-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

畑沢の田植えは、終盤を迎えています。

2014-05-30 21:04:16 | 近況報告

 5月19日に畑沢へ田植えの手伝いに行ってから11日目の今日、楯岡での法要の後で畑沢へ足を伸ばしました。畑沢の田んぼは、ほぼ田植えが終了しようとしていました。周囲に花々が咲き乱れる中で、田植え機械に乗って、田植えを急いでいます。向こうに見える建物は、荒屋敷の家々です。

 畑沢地区生涯学習推進センターの前には、紫木蓮が咲いていました。今ごろに、しかも葉と一緒です。


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炭焼き窯の跡

2014-05-29 17:53:43 | 歴史

 畑沢でも、薪から石油に変わった「燃料革命」が起きるまでは、木炭作りは盛んに行われました。昭和30年代は、まだ真っ盛りでした。しかし、木炭は畑沢の自宅で使われるものではなくて、囲炉裏を置かない町で大量に消費されていました。畑沢で作る木炭は、町へ売るために作られたのです。畑沢では、囲炉裏に薪を燃やして(木をくべで)いましたので、家の中が煙だらけでした。畑沢で木炭を使うときというのは、あまりありませんが、それでも来客時に火鉢を使う場合、大勢の人が集まる公民館の中、畑沢分校の大きな四角い火鉢で子どもたちの弁当を温めるときなどだけです。寒い冬の布団の中を温める「行火(あんか)」にさえ、滅多に使われることはありませんでした。畑沢で作られる木炭は、あくまでも大事な売り物だったのです。

 木炭作りは、何百年にもわたって行われましたので、どこの山に入っても直ぐに「炭窯」の跡を見ることができます。私は背中炙り古道を調査していますので、その周辺の山中でも炭窯の跡に出会います。背中炙り峠周辺の炭窯の跡は、他の場所と比べようもないほど、尾根のいたるところにります。峠を越えて楯岡へ売りに行くのに、最も便利な場所だったのでしょう。それでも、今回、投稿する炭窯の跡のように保存状態の良いものはありません。今回、投稿する炭窯は、背中炙り峠と尾根続きの場所にありました。5月8日に石切り場の跡「ローデン」の入口にありました。私の元気すぎる先輩「大戸H氏」が発見しました。

 普通の炭窯の跡は地面の窪みだけですが、今回のそれには「石材」と「煤」が残されていました。次の写真の石材で黒くなっているのが、煤です。実にリアルです。

 ところで、この炭窯跡では石材が残っているのに、何故、他の場所では石材が残っていないのでしょうか。炭窯の作り方は、どこでも同じはずですから、異なる形で残されているのが不思議です。

 炭窯を作る場所は、適当な大きさに成長した広葉樹が生えている場所です。材料がある場所にその都度、炭窯を作ります。材料がなくなれば、そこの炭窯を捨ててしまいます。しかし、ただ窯を捨ててしまうのではなくて、石材は再利用していたものと思います。いくら山中とは言え、炭窯に適する石材を簡単に手に入れられないはずです。だから炭窯に石材が残らないで、窪みだけが残っていたのではないかと思います。

 それでは、今回、投稿している炭窯には、何故、石材が残されているかが逆に不思議になります。石材が残っているということは、もう再利用する必要がなくなったということではないでしょうか。つまり、畑沢の炭焼き時代の「最後の炭窯」の一つを意味するものと思います。時代の変遷を語る「記念すべき炭窯」に遭遇したことになります。それを発見した先輩は、やはり只の人物ではありません。

 しかし、木炭が使われた時代は終わりを迎えます。石油ストーブが入ってくると、きつい労働を伴う薪の使用はがたんと落ちてしまいました。並行して木炭も使われなくなりました。

 

 

 

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捕ったドウ。いや、分かったドウ(ショウジョウバカマ)

2014-05-28 09:20:25 | 自然

 以前に「これは何の花でしょうか」で投稿した花です。

 ひょんなきっかけで、この植物の正体が分かりました。畑沢の寺田沢を散策していたところ、沢水の脇にこの植物を見つけました。いつも通っている場所なので、葉を見た瞬間に「ショウジョウバカマ」を連想しました。あれほど調べたはずなのですが、そのころは分かりませんでした。ショウジョウバカマが咲いている時の姿とは大きく変化していたので、どうしても分からなかったようです。

 これは「花」ではありませんでした。受粉が完了して、花弁(はなびら)が落ちて額だけが残った姿です。ショウジョウバカマの花は、全く似つかない下の写真の姿をしています。

 地面から出てきた花茎は短くて、地面すれすれに花が咲いています。ところが、受粉が完了すると、花茎がするすると高く伸びて、花が咲いている時とは全く異なる別物に変化してしまいました。その長く伸びた花茎の姿は昨年、下畑沢の山中で見つけた「ノギラン」と似ているので、ユリ科の植物かなと「馬鹿の一つ覚え」で考えていました。

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「背中炙り古道」と「楯」との関係

2014-05-27 17:30:37 | 歴史

 5月2日に背中炙り峠の調査を行いました。調査の目的は、これまで古道として明らかにしてきた「古道」よりも、もっと古い街道の跡があるはずであるとの私の仮説を確認するためです。

 

 昔の街道は、尾根に作られています。しかし、その原則に照らし合わせて考えると、背中炙り古道のルートでは、大きく原則から逸脱して、尾根でない所を道にしている場所が2か所あります。そして、その2か所とも、本来は尾根筋に道を作ることができるはずだった場所です。

 その原則を逸脱している箇所の一つは、乳母木地蔵堂(峠)から村山へ向かう直ぐの道筋です。峠からの道は尾根を外れて急な斜面の側面を進んでいます。

 ところが、その急な斜面の上には、なだらかな尾根が続いていますので、あえて急斜面をトラバースする必要性はありません。昔の街道が獣道(けものみち)や杣人の作業道から自然発生的に生じたものであるとすれば、歩行が楽で安全な尾根を避けるはずがありません。現在、残っている急斜面をトラバースしている道跡は、自然発生的なものではなくて、無理やり急斜面を削って造られた道です。何故にそのような道が残っているのでしょうか。理由は簡単です。尾根上に楯を造る際に、これまでの道が邪魔になったために、強制的に急斜面に付け替えさせられたものと思われます。楯そのものも大掛かりな工事を要したものと思われますが、道の付け替えにもかなりの労力を要したことでしょう。付け替えた道の中ほどには、「弘法清水」も湧出しました。その工事の年代は、「南出羽の城」の著者である保角里志氏が楯の構築された年代を関ヶ原の戦いに備えたころと推察されていますので、その説に沿った考え方をしますと西暦1600年の少し前あたりになります。

 背中炙り越え街道は関ヶ原の戦いのずっと以前から、銀山の金銀を運ばせた道であることはもちろんのこと、その一千年ぐらい前ごろからも使われていたであろうことを考えると、急斜面に「付け替えさせられる前の道」が残されていることが想像されました。そこで、先ず、乳母木地蔵堂から南へ尾根伝いに調べてみましたが、「楯の跡」ばかりで道の跡は一切残されていませんでした。「楯」自体が尾根を中心に作られていますので、道の跡が残されていないのは無理からぬことです。しかし、楯の最終端からはっきりとした道の跡が現われました。楯の最も西の端には、「切岸」があります。その切岸の直下からつづら折れの道形がありました。

 この道形は、現在残されている付け替えさせられた道(弘法清水のある道)には、繋がっていません。また、道巾と浸食された路面からは、杣人の作業道という程度のものではなく、れっきとした街道として使われたものと思われます。しかし、切岸から上の方の道が消えていますので、楯によって付け替えさせられる前の道の全てを解明することができません。それでも、関ヶ原の戦いを前にして、対上杉軍に躍起となっている野辺沢氏の必死だった当時の状況が目に見えてきます。楯と付け替え道路の工事には、大勢の作業者が必要です。畑沢村住人は勿論のこととして、野辺沢領内住人さらには銀山の鉱夫も駆り出されていたことでしょう。鉱夫は土工事が得意です。

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神様トンボの仲間(エゾイトトンボ)

2014-05-26 21:13:52 | 自然

 通常のトンボと異なり、体が細いトンボの類を畑沢では「神様トンボ」と呼んでいたことは、「カワトンボ」の投稿時に説明しました。今回は別の神様トンボを紹介します。

 畑沢寺田沢の休耕田で撮影したものです。二匹が繋がっていて、前の方のオスがメスの首根っこを押さえて、他のオスからとられないようにしています。メスは甚だ迷惑だと思いますが、トンボの世界では常識のようです。この状態で、メスは尾部を水中に入れて産卵していました。

 肝心なことを忘れていました。名前は「エゾイトトンボ」と言います。「エゾ(蝦夷)」という言葉は、古代大和政権の東北に対する差別的意図が含まれているので嫌いなのですが、まあ名前だからしょうがないとしておきますか。

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