-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

もしや 畑沢大海牛の化石かな ー つかの間の夢でした

2021-10-20 15:19:04 | その他

 もう半年前の話です。令和3年4月12日、吉六沢から流れて来る水路の土砂を浚(さら)いました。冬に大量に積もった雪が、春になると一斉に溶け出てきて、勢いある水流は水路の周囲の土砂を大量に削り落として下流に流れます。下流になると勢いが弱まり、土砂は水路に堆積します。そこに大量の落ち葉と枯れ枝が加わり、所々が塞がってしまいます。水は水路から溢れて、田んぼの畔などを侵蝕して壊します。20年前ごろまでは、水路脇の田んぼを所有している人が水路の土砂を取り除いていましたが、今は誰もいません。3年ほど前からは私が面白がって水路の土砂を浚って遊んでいます。ひと浚いごとに水の流れが変わるのを見ていると、達成感が湧いてきます。春先の密かな遊びです。子どもの時から春先の水の流れを変える遊びが好きでした。今も昔の子どものままです。

 今年は例年と比べて土砂の量が多く、流れて来た石も大きいものでした。例年よりも水量が多かったのです。ということは、冬の降水量も多かったことを意味しています。積雪量が多かったというデータはありませんが、雪の合間に雨が度々、降っていました。同じ積雪量でも雪の密度が高いのです。それが短い時間に溶け出したようです。

 水路の底を浚っている時に、大きくて細長い石のような物が出てきました。奇妙な形をしています。棒の端から平たい物が飛び出しています。平べったい感じが哺乳類の肩甲骨に似ています。これを見ていて、とんでもない方向に頭が回転しました。「化石か」→「大きい哺乳類」→「海牛(かいぎゅう)か鯨それともナウマンゾウかな」などと次々に妄想が繋がります。結構、心臓がドキドキ。

 しかし、哺乳類などの肩甲骨の形もよく知りません。よく覚えているのは、夕飯に出てくる秋刀魚や鯵の骨ぐらいです。じっくりと調べる必要がありました。それから月日が経ち、いつの間にか投稿する機会を逃し、とうとう今日になってしまいました。

 結局、どの哺乳類の肩甲骨とも違いました。またこの石を裏返して見ると、一様な石質ではなくて、畑沢でよく見慣れている「珪質の頁岩」が含まれていました。あらためてよく見ると、石の殆どは砂岩に近いような泥岩でした。夢は破れました。畑沢大海牛(ハタサワダイカイギュウ)は幻に消えました。ところで、ヤマガタダイカイギュウは大江町で昭和53年に発見されたそうです。その昔、海牛は大江町から畑沢まで泳いで来なかったようです。

 

 

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永年、憧れている大富地区で草刈り

2021-10-16 15:51:32 | 自然

 山形県東根市の大富地区は、私が四半世紀以上もの間、憧れて来た地区です。この地区には乱川の伏流水が湧き出る「どっこん水」があって、イバラトミヨの仲間が生息しています。また、山形空港があって飛行機が発着しています。小学生時代から私の頭の中では、魚が泳ぎ飛行機が飛び回っています。大富地区は夢のような存在でした。

 私の生まれ故郷である畑沢は山間の集落で、平地に水が湧きだしている場所は何所にもありません。水域と言えば川幅4m程度の小さな渓流です。イバラトミヨなどという世にも珍しい氷河時代から生き残りは生息していません。本を何度も眺めて興味を深めていました。畑沢で飛行機を見るのは、畑沢の南北に狭く伸びた空間を高く飛んでいる姿だけです。畑沢の空は狭いだけに、自由に大空を飛び回る飛行機に憧れていました。間近に見たのは、東京への修学旅行で科学博物館に展示されていた古いタイプの自衛隊練習機だけです。

 幸いにも、高校の同級生が大富地区出身でした。毎日の汽車通学の中で、この魚と飛行場の話を聞いていました。いい友達だと思いました。早速、天童市内の同級生と一緒にお宅にお邪魔し、小見川と養鱒場、さらに飛行場を見せて貰いました。

 それから半世紀、この度、その大富地区から「草刈りのお招き」があり、二つ返事でお受けしました。令和3年9月28日、ワクワク、ドキドキしながら愛用の草刈鎌と胴長を持って大富小学校の近くに集まりました。総勢39人で、例年よりも参加者が多かったそうです。若くて元気な若者たちも大勢です。彼ら彼女らは頼りになります。私も経験と口数だけは、若者以上です。

 小見川の水は綺麗です。さすがは湧き水です。畑沢の水も綺麗ですが、平地での綺麗な水は特別です。そして川の中での会話が楽しいものでした。実にテンポよくユーモアあふれる言葉が出てきます。つい私も地元民になっていました。

 綺麗な水にしては、草は繁茂しています。コカナダモなどの外来植物がのさばっています。それでも作業は順調でした。やはり若者たちの活躍と、人生ベテランたちの経験と口数が効果的だったようです。午後3時頃までの予定が、午前中に終了してしまいました。

 午後の空いた時間では、山形大学の半澤教授が大富地区のイバラトミヨが「カクレトミヨ」として新種の報告がされた理由や経緯を説明してくださいました。憧れの地区で小見川に入り、地元の人と話し、さらにカクレトミヨのお話まで聞くことができました。素晴らしい一日でした。

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秋晴れの中、あれこれと

2021-10-14 19:36:30 | 近況報告

 令和3年10月10日(日)の午後、北村山地域史研究会の講演がありましたので、午前中を有効に活用すべく畑沢へ行きました。村山市林崎から背炙り峠へ向かう途中、元の大倉小学校の近くに大勢の人が集まっていました。人が集まっていれば、直ぐに興味を持ちます。野次馬根性そのものです。その中のお一人に聞きましたら、村山市の駅伝大会でした。いろんな世代の選手が走るそうです。この場所で向こうから走ってくる選手からタスキを受取って、湯沢地区の方向へ走るそうです。元気に走れる人たちにとっては最高の天気です。私は天気が良くても元気に走ることは苦手です。長距離を走ることは大変です。足が早くて颯爽と走れるのは羨ましい限りです。

 

 峠への途中、いつものようにビューポイントで大倉地区を眺めます。いつ見てもいい眺めです。遠くの朝日山系が見えないのが残念です。稲刈はほぼ終わるようです。

 

 畑沢では石仏の文字を読みたいと思っていました。本格的に読むには拓本を行うべきですが、面倒なことは苦手です。できれば写真撮影で画像処理して読み取ろうとチャレンジしてきましたが、まだ成功していません。でも、太陽光線が当たる角度によって陰影が上手くできる場合があります。

 この日は上畑沢の延命地蔵堂近くの一字一石供養塔を撮影してみました。多少、文字が浮き出てきましたが、はっきりは読み取れませんでした。新たな工夫が必要です。

 奈良文化財研究所が素晴らしい手法を編み出したようです。カメラを固定して、石碑などに様々な方向から斜め光をあてて何枚も写真を撮ったものをパソコンで合成処理するらしいようです。しかし、私にはその手法を真似る技術がありません。「何とか さんなね」、それでないといつまでも石仏を読み取ることはできません。

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