-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

畑沢の大杉

2013-10-24 18:38:49 | 自然

 

 背炙り峠から畑沢へ入ってから間もなく、上畑沢の延命地蔵堂の脇を通ります。私は、いつもこの景色に見とれます。道の間近かに迫り、まるで覆いかぶさるようにしてドーンと大きな杉の古木が枝を拡げています。「おー、来たか若造」かな、それとも「こら、スビタレ」とでも言っているのでしょうか。古木から見たら、還暦を過ぎた私でも単なる若造です。いったい、この古木は何歳になるのでしょう。少なくても百年以上は経っているはずです。この古木の脇には、西暦1811年に建立された湯殿山碑があります。この石仏と同じだとすれば、約二百年になりますし、石仏よりももっと前からあったとすれば、二、三百年になります。もしも、石仏よりも後に杉が植えられていると、杉の根の成長とともに地面の工作物は大きな痛手を被ります。しかし、古木の根は石仏にあまり悪さをしていないようですので、石仏建立以前から古木があったとした方が辻褄(つじつま)が合いそうです。

 ところで、我が母校、常盤中学校裏山の城跡には、城主によって植えられたと言われている杉の古木があります。伝説が本当だとすれば、植えたのは、1600年以前ですから、400年以上になります。畑沢の古木と城跡の古木を比べると、残念ながら城跡の古木がずっと先輩格かと思います。つまり、畑沢の古木は、400年は経っていないでしょう。

 もう一本の大杉が下畑沢にあります。こちらも延命地蔵堂の大杉と同じぐらいの太さです。熊野神社境内にあります。こちらは少し手がかりがありますが、あくまでも「仮定」での年代推定です。熊野神社は、「村社 熊野神社縁起」によれば、明暦元年(西暦1655年)に造営されたようです。平成25年4月の畑沢祭で、「神社が建てられた時からの杉かもしれない」の話題がありました。神社などでは「神木」として杉を大切にする風習がありますので、神社が造営されてから切らずに残された可能性が十分にあります。もし、神木として扱われていなかったら、過去の何回かの建て替えの時に既に切られていたはずです。やはり大切にされてきた感じがします。そこで祭の時の話を事実と仮定すると、大杉は約360年を経ていることになります。延沢城の400年には及ばないとしても、十分に「神様」となれる大杉です。

 

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