日本音楽ヘルパー協会 館長のひとりごと

「音楽はすべての人を前向きにしてくれます」をモットーに、出逢い・ふれ愛・睦み合いを実践するボランティア・グループです。

服部克久さんの”私の履歴書”を読んで(11/13)

2016-11-13 | 音楽ヘルパー

今月の1日から日本経済新聞の”私の履歴書”の執筆者が作曲家の服部克久さんとなり毎日拝読しては、切り抜いてファイルさせていただいています。

父上の服部良一さんの”私の履歴書”が連載されたのが今から35年前、読んではいましたが、その頃はまだ40代、現在ほど音楽療法との関わりもなくただぼんやりと読み流したことを残念に思っています。

服部克久さんはこの11月1日に80歳、傘寿を迎えられますますお元気の様子、ご長男の隆之さんがNHK大河ドラマ「真田丸」の音楽を書き、隆之さんのお嬢様の百音(モネ)さんが17歳でヴァイオリンの国際コンクールで優勝なさるなど、親・子・孫・曽孫と4代そろつての音楽家とはなんと果報なご家族でしょう!

”履歴書”の内容は服部父子が作曲・編曲された曲の紹介や、過去、一世を風靡した歌手や著名な方たちが毎日のように登場、”音楽ヘルパー”の私たちにとって本当に有り難く、今日、日本の60代~90代の方たちの”そのとき流れた名歌・愛唱歌”を入手出来て有り難い限りです。

ぜひ皆様にご紹介させていただきたいのが、昨日(11/12)の記事、克久さんが”パリ国立高等音楽院”受験のために1955年9月に神戸港から”阿蘇丸”で出発されるくだり、 そのままUpさせて頂きます。 

『日本郵船の「阿蘇丸」に乗り込むと見送りの人々が岸壁に小さく見えた。1,2,3とワルツのリズムを刻む真っ白なハンカチがひときわ目を引いた、 父だ。そういえば「ハンカチはワルツで振りなさいとメツテル先生(良一氏が個人レッスンを受けられた先生)から教わった」と言っていた。僕もワルツで応えた。1,2,3、1,2,3。父のワルツは見えなくなるまで続いた。涙が止まらなかった。』

この日、私は橋本ヘルパーと寝屋川市和光小学校区の福祉委員さんたちと約130名の高齢者の皆さんと””ミュージックセッション”を担当、”ウミ””故郷””赤とんぼ”の歌をとワルツのリズムで”手指運動”  心の中で”白いハンカチ”に思いを馳せていました

    

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