私たちは岩手県北上市の≪サトウハチロー記念館≫を訪問しました♪
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これは私たちがミュージックセッションの現場で度々サトウハチロー作詞のうた(彼はご自分の作品をこう呼んでおられたそうです)を歌い、≪日本の宝人サトウハチロー≫の姿を少しでも身近に感じたかったからです(実は6年前訪れた時はあいにくの休館日で入れませんでした)。
ここで物凄いハプニングが起きました!!
なんと館長で八ローさんの息子であられる佐藤四郎さまがお出ましになられたのです!(実は入館したときに受付の方に厚かましくも「館長様はおられますか?」とお尋ねしていたのです)
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私たちの協会を紹介させていただき訪問の趣旨を伝えたところ快く受けてくださり≪ハチローの人間像≫が語り始められました・・・!!
父ハチローの生前の姿・酒、たばこを物凄く飲んでいたが肝硬変と解るとピタリと止められたこと、姉佐藤愛子さん(館長さんにとっては伯母さま)のこと(愛子さんは高校野球がお好きでわざわざ東京から甲子園の近くに引っ越されたのだそうです)etc・・・
そこで私は思い切って長年仮説立てて来たことをお尋ねしてみたのです。
≪サトウハチロー作詞・中田喜直作曲≫のうたが多いのはハチロー氏と中田氏の父上 中田章氏(かの有名な早春賦の作曲者)がじっこんにされていたのではないか? その関係でサトウハチロー&中田喜直のコンビが出来たのではないか・・・など思い切って尋ねました。
仮説は当たっており、ハチロー氏と喜直氏の親交ぶり(豪快なハチロー氏と繊細な喜直氏)、お二人の曲がギネスに乗る位多いこと等々 50年前中田喜直先生の授業を受けた事のある私は膝を打つ思いで拝聴しました。
突然館長さんの奥様が(実はこの方も関西ご出身大阪の松原市だそうでみんなで大喜び!)ピアノの蓋を開けられ「弾いてごらんなさい」とおっしゃいました!(ハチロー氏が奥様と第2夫人にプレゼントしたUPライトピアノが2台仲良く並んで置いてありました)
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とっさのことでビックリと感激とでビビビッときましたが思い切って名曲(うれしいひな祭り)を弾かせていただきました(この辺りは他のヘルパーも書いていると思いますので≪音楽ヘルパー通信≫をご覧ください)。
続いてハチロー氏の書斎(四郎様が元カメラマンでいらしたのでお住まい当時そのままに復元されていました)に入ることを許され氏が聴かれたという手回しの蓄音機で≪秋の子≫を聴かせていただきました。歌っているのは伴久美子さん、私が小学生だった頃一世を風靡された方の歌う声を聴きまたまたグーッとこみあげて来るものがありました♪
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すっかり長居をしてしまった私たちは「帰りの飛行機に間に合わないので・・・」とおっしゃるガイドさんの声にびっくりして後ろ髪弾かれる思いでサトウハチロー記念館をあとにしたのでした♪。