今から30年前、私は女声合唱団”コールねやがわ”に所属していました(当時の指揮者は鈴木京子先生)、所属はアルト、理由は”支えるパートの醍醐味”を味わいたかったからでした。
その時ソプラノで歌っておられたのが北前美耶子さん、大阪府立寝屋川高校出身、才媛で強いオーラーを放ち、私にとって憧れと羨望の的でした
彼女が”オモダカ ミヤコ”のペンネームで文筆家と知った時(1991年)丁度50歳を迎えた私は無謀にも「自分の”軌跡”のためにもコンサートを!」と思い立ち演奏家や舞踊家その他に呼びかけ”石川啄木の≪朗読劇≫”を企画し、脚本をお願いしたのでした。
美耶子さんはすぐに快諾して下さり、あっという間に≪啄木≫が書き上げられました。
私はそれを、これまた無謀にも、当時NHKの大河ドラマに出演していた俳優の森田順平さん(昨年のテレビドラマ半沢直樹に岸川部長としてご出演)に≪啄木≫を演じてほしいと依頼、これまたすぐに快諾して下さり(実は森田さんは私が大学出たてほやほやの時、福岡教育大学付属小倉小学校5年生で音楽を担当させて頂いた御縁もあり) あれよあれよと言う間に守口市のエナジーホールで上演と言う夢が実現したのでした。
以来20数年私たちは”親友”としてして付き合いお互いに無くてはならない存在でした。
今から2年前、ある悲しいニュースを耳にしました 北前さんが”脳梗塞”になられ、「暫くそっとして置いてやつてほしい」という知らせでした。
私は理由なく、もの悲しい思いと共に彼女の回復を祈りました。
先月(4月)待ちに待ったに1通の封書が届きました、北前美耶子さんからの”個展”のお知らせでした、急いで封を切ると「リハビリとして”大人のぬり絵”を始め作品を発表するので見てほしい」と言う待ちに待った朗報でした。
そしてそのニュースが読売新聞に記載されたのです! ”半身まひ 再起の塗り絵”のタイトルで彼女が「同じような苦しい境遇にある人に、少しでも希望を与えることが出来れば」と話している、とありました。
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今日、パートナーと待ち合わせ彼女に会いに行ってきました。ギャラリーの入り口で迎えてくれる彼女に私は涙をこらえるのが必死でした
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本当に本当に見事な作品が待っていました!北前さんが無心に一生懸命に塗られた証です。そして何とそこには同じく脳梗塞で倒れられ見事にご回復されている市川猿翁さんの直筆のお手紙と胡蝶蘭が届いていました(北前さんは以前、市川猿之助さんの脚本を書かれたこともあります、その御縁で猿之助さんが寝屋川市民会館にも来られたことがありました)。
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ここでもう一つ皆様に聞いてほしい話が・・・。実はシンガーソングライターで作詞家、以前ロック歌手として名を馳せたお嬢様、北前佐枝子さんが19時から、同じく市民ギャラリー2で講演をされたのです。
「自己表現・無意識の力」のテーマでした。
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2002年に単身で単身渡欧した彼女はソロCD2枚を世界リリース、2005年に世界最大ヘヴイメタル音楽祭Wacken Open Airにアジア人女性として初出演、ライデン大学で英語言語と文学修士号を取得され帰国後、英詞事務所を設立、なんと2011年にブータン王国結婚祝賀曲の英語作詞、2012年に東日本大震災被災者支援国際チャリティーソングの英語作詞と歌唱担当をなさるなど現在寝屋川を拠点に幅広く活躍されている方です。
”人生は芸術作品。この作品を最高のものにしませんか”の呼びかけに私は何度も頷き、共鳴しました、コンサートに行ったら必ず居眠りをするパートナーが 佐枝子さんの話に真剣に耳を傾け頷く姿は、これ又感動的でした(彼女が美人で、ステキなせいもありますが・・・)
と本日のブログは長い長いものになりました、今日の出来事は一生忘れ得ぬものとして書き留めておきたかったのです、最後まで お付き合い頂きありがとうございました
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