今年いただいた年賀状の中に、今から65年前、私が中学3年生の時に英語を習っていたU先生(現在87歳)からの写真付きのお葉書が届きました。
U先生は現在(一社)二科会写真部に所属され、世界各地の写真を撮っておられる方ですが、頂いたポストカードを拝見して私は腰が抜けるほど(大げさではなく)びっくりしました!
実は昨年の11/27~12/2にかけて開催された日本墨相展特別選抜展出品した100号2点の内の1作目(時空を超えて)のアングルと全く同じだったのです!
今から40年前、ロスアンゼルスに住む義姉家族と当時6年生の長男と3年生の次男と総勢9人でグランドキャニオンに行ったので「その思い出に・・・」と描いたのです…
あまりの感動で私は恩師に手紙を書き(半世紀以上年賀状だけのお付き合いでした)小倉に帰ったらお会いしたい旨お伝えしました。
本日(4月1日)菩提寺に叔母の7回忌で帰倉するので先生が経営されていた喫茶店での再会が決まりました、そこでついでと言ってはなんですが某中学の音楽教師として9か月だけ担任した現在62歳の男子二人にもU先生に会って頂くことにしました。
言ってしまえばたったこれだけのことですが私にとっては恩師と教え子3世代が時間を共有するという有り得がたいことでした(ここでまたサプライズ、なんと教え子N君の恩師がU先生と親友でいらしたのです、その方は90歳で今なお現役で後輩と一緒に男子会をされているとか)
折しも本日は元号の発表された日、先生と奥様、義妹さん(私たちは同級生、仲良しでした!)と教え子さんたちと沢山の感動と感激を共有して私たちが繰り出したのは
日本初のアーケードとして先日テレビで放映された”旦過市場”と、小倉で唯一のデパート”井筒屋”に行き、ここでもまた某売り場の幹部を務めるSさんに会い(中学校の時可愛くて男子のアイドルでしたが現在も熟女として輝いておられました!)14時から18時という短いながらもパンパンに充実した時間をShareして小倉の街に別れを告げ18時37分発のさくら号で帰阪したのでした(行きも帰りも周りの席は外国人ばかりでした(笑)
帰宅するとこれまたびっくり!! 主人と少年野球のコーチ仲間のHさんが桜の枝を届けてくださったとかで玄関に活けて(?)ありました、
私の昭和31年度中学3年生の時の通知表と生徒会の活動・学級別のリレー(いつもスターターでした)の賞状とパートナーが生まれた昭和14年12月23日(なんと天皇陛下と同日です)に行商人さんから買ったという獅子と布袋さんの有田焼の置物とひっくるめてupさせていただきます(長いブログになり申し訳ありません)。