脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

イルミ ムウオエヨ 名前は

2015-02-02 | Weblog

何年か前にエクソシストのリメイク映画が上映された。日本ではなじみはないがエクソシストはイタリアやヨーロッパでは盛んに行われているそうである。ところでエクソシストにおいて一番重要なことは何かわかるだろうか?これは私の見解なのであるが、まずそれを語る前にユダヤの神について語りたいのだが実はユダヤ教では神は名前を持たない。神を直接見たり知ることは死を意味するので当時はそのことを恐れて神を主と書く時も母音を表記せずに子音のみで表記したそうであるが、聖書から影響を受けたヨーロッパの人間にとって名前には神の力が込められていたり魔術的な意味合いがあると言ってもいいと思うが、それは日本の言霊とよく似た概念であると思う。話はエクソシストの話に戻るが神父はとりつかれた人によく言うシーンがある。お前は一体何者なのだ!実はエクソシストにおいてこれが重要である。名前と言うのはこういうオカルト的な事柄においては相手を支配することに等しい。神父たちが聖水をふりかけ聖なる言葉をあびせるのは相手を弱らせ名前を聞くためであり、そしてその弱らせたところで相手の名前を聞く名前を聞いたらもう99パーセントエクソシスト完了。相手は苦しくなって俺の名はベゼバブルだとか名前を言う、その時in the name of Godによって退散しろと言葉を投げかけてエクソシストは完了する。たぶん映画を見る人は聖水をふりかけたり聖なる言葉によって相手を弱らせそのまま追い込んでやっつけると思っていると思うが、しかしエクソシストは相手の名前を聞き出さなくてはいけないのである。私はエクソシストってこういう手順で行われるんだなあということはわかる。しかしそれを行うためには修行をしたりその前に断食したりと実践的な行いが重要である。

 

 

この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« MOBはコミュニタリアン的... | トップ | ここがヘンだよ イサンヘヨ »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事