脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

悪口が国語

2014-06-02 | Weblog
「悪口が国語」
先週靖国の落書きについて、あれはハングルではないということから落書きをしたのは韓国人とは言えないと言うことを書いた。
そうしたらある人がじゃあ絵馬はどうなるんですかと聞くので、見たらこれはきちんとしたハングルで書かれた文だ。
特に日本沈没と言うのはよくつかわれるフレーズで、この絵馬に関しては99%彼ら彼女らがやったと言える。
しかし私が指摘したのは問題になった落書きのことで、それに関してメディアは落書きを犬畜生と病気を表す言葉だと言っていたが、しかし子音だけの文字やケとセだけ書いているだけでケセッキと書いてあると決めつけるのは短絡的すぎる、たぶん韓国人ならケとセだけ書いてあったら犬と鳥と解釈するだろう。また病気なんていう言葉はどこに書いているのだろうか、もしPの音を表すピウムが書かれていたのでピョン(病気)と書かれてあったとするならば、それは日本語の「い」という言葉が書かれてあったので犬畜生と書いてあったというのと同じ、それに韓国人だったら悪口をもっとうまく書く、もともと辱と言う悪口をつくる言葉遊び的な文化があって悪口が国語の国であるから書くとしたらもっと完璧な悪口を書くだろう。
悪口を自慢する気はさらさらないが、私なら21ウエ○ムとか18セ○キ、イルボンビ○ニセ○キ(絶対使っちゃだめだよ)と書くが、たぶんこの件に関してのみ韓国人が書いたとは言いがたいと思っている。

ただ絵馬のことも含めて、向こうは悪口が文化だそういう悪口が国語になっているのだから民度がひくいといわれてもしかたがない。
いくら戦争のうらみとは言っても日本人の文化を冒涜するようなことをするのは絶対にやってはいけないことだと思うし、こういうことが世界にむけて発信されるとなんと民度がひくい民族なんだと逆に自分たちをおとしめることになる、ただそれでも10年前や20年前に比べたらかなりよくなってきたほうだ、マナーもよくなったし、こういうことをしてはいけないというルールも外国に行くようになってだいぶ比較できてきているし、まだまだ日本人に比べたら足りないところはあるが、しかしそれでも私などは昔と比べてよくなってきていると考えている。

「1対10000の関係」
私の知り合いにアラビア系のハーフのアメリカ人がいる。
彼女は父親がアラビア人で母親がアメリカ人だと言っていたが、こういうハーフの家族関係は子供が一方の母国語でやりとりするので、当然彼女はアラビア語も英語も話せる、さらにおもしろいのはおやじがムスリムで母親がキリスト教徒だと言っていたが、むこうではこういうユニークな家庭が少なくはないだから個性の強い人間が多い。言葉を話すということは個性的であるといってもいい、なぜなら考え方が一つではなく言葉を話すごとに広がっていくからで、個性は人との比較や客観的に見てそれがそうだといえるから個性であって、ただ目立つことだけが個性だと思っている奴がいるが個性というのはそういうことではない。
私があほだと思う奴は目立ったり、さからったりすることが個性だと思っている奴たぶん人と比較したり客観的に物事を考えることができる能力がない、だからしょうむないことで目立ったりさからったりすることでしか自分を表現できないのだろう、こういうタイプはスポーツしかできない奴に多く見られるが目立つことが個性なのは南米の鳥と同じ、よく成人式でサルのような奴らが奇抜な格好で思いっきり目立とうとしているが、しかし個性というのは自分たちの狭い世界で目立ったりさからうことではない、それは1対1000あるいは1対10000の関係から見えてくることであって、君は1対10000の関係においてもそう言えることができるのかといわれた時にそうだと言えることが本当の個性であると思っている。
そう考えるとたいていの人間の目立とうとしていることは個性ではない、強がりで俺はそういえると言ってもしっかりとした考え方を持たなければそう言い切ることはできない、個性というのは持って生まれたものであるけれども、しかしそれをだしていくには非常にむずかしいことだ。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする