Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

新・花燃ゆ、第29話“女達の園!~前編” 2015年7月19日

2015-07-19 15:24:12 | 日記・エッセイ・コラム

一昨日、東京ドームでの全セ8-6の逆転勝利に引き続き、昨日の広島ファンで埋まったズムスタ・マツダオールスター戦では鯉の独壇場で賑わい、全セが8-3で全パに2連勝した!先発の黒田博樹が1回と2回のパ・リーグ打線をツーシームで手玉に取り無失点に抑えた!3回、4回と、マエケンがストレート1本でパ・リーグ打線を完璧に抑えた!3回裏、先制のソロをを叩き込んだ会澤翼が最優秀選手賞300万円とホームラン賞を獲った!5回裏にタイムリー2ベースを打った新井貴浩に敢闘選手賞100万円が贈られた!・・・

また田中広輔が、2試合を通じてチャレンジ精神と個性あふれるプレーでファンに夢や希望を与えたと認めらる“Be a driver賞”を獲った!きっとJapanese Car of the Year(2014~2015年)に輝いたmazda”Demio”が贈られたことだろう!いいな、いいな!明日20日の広島の先発はジョンソンが予定されている・・・あっ、そうそう、明日月曜日、海の日にはアラベスク・ホールで加古川合唱連盟主催の“サマーコンサート”が午後1時に開演され、我等、加古川混声は3曲、“栄冠は君に輝く”、“今ありて”、“君よ八月に熱くなれ”、を歌ことになっている!よかったら、お越しやしておくれやっしゃ・・・

大奥の1日は、敬親様、都美姫様、元徳様、銀姫様の前に、多くの主(おも)だった奥勤めが集まり、朝のご挨拶を交わす“惣触れ(そうぶれ)”と云う儀式から始まった、敬親『皆、息才で在るか?』、都美姫『お蔭さまで、若き姫と一つ家(や)に暮らすようになり、私も若返ったように御座います!』、銀姫『私こそ、母上様には、昼、夜にそれはそれはご丁寧なお導きを賜り、身の引き締まる様な!』、都美姫『是非、元気なお世継ぎを今すぐにでも!』、銀姫『心がけまする、いずれそのうち!』、おっほほほほほ~~~!、敬親『互いに良き処を敬い、力を合わせ、奥を盛り立てよ!長州はこれより、いささか険しい道を辿ることになる故!』・・・

都美姫の前に椋梨藤太が参っていた、都美姫『よう参った、此度また晴れて、まつりごとに戻ったとか!?』、椋梨「老体に鞭打って、お役に立つ所存でございます!つきましては、御前様はじめ、奥の方々にお力添え願いたき儀が!」、それは長州が幕府に対して戦意無きとことを示すため、今の山口の藩庁から、元の狭い萩の城へお城移りすることになった!そうなると難儀なことに、大奥の部屋数が足りなくなった、都美姫も銀姫も、元々は江戸のお住まいだったため、萩城には殿の世話係の部屋しかなかった、到底、お二方のお住まいになる柚鳥(ゆとり)は無かった、そこで、女中に暇乞いをして、お付の者を減らすことのお役目をお次の美和と鞠が、園山様から仰せつかることに相成った!園山取締役『奥から退く者を選び、速やかに立ち去るよう説得するのじゃ!』・・・

そのお役目を銀姫の世話係、老女・潮(うしお)に美和が報告すると、何故、お受けした!と立腹した、銀姫『如何にも椋梨の考えそうな!』、美和「椋梨様が?」、『幕府をなだめるためじゃろうな!このまま我等が山口に居座っては、幕府に戦意ありと見なされよう!今は萩に行くしか手立てはあるまい!じゃが、椋梨ごときに我等の暮らしを指図される謂われはない!城移りの手伝いなど放って置け!』、その時「お前に何が出来る?おなごの分際で!」、以前、文が椋梨邸に伺った折、人をを侮辱した椋梨の罵声が、美和を突き動かした、美和「恐れながら、そのうち誰かがその任務を負わねばならぬなら!」、銀姫『お前の裁量で我等を萩へ送って見せるとは?面白い!ならば、その働き、とくと見せて貰おう!』、はっ!、『但し、この部屋から一人の御付も減らさぬ!心せよ!』・・・

早速、美和と鞠は、奥の全ての名とお役目が書かれた “女中分限帳”を預かり仕事に取り掛かろうとした、一人一人当たっていては時間がかかる、何かいい手立てが無いものか?そこへ御半下頭(おはしたがしら)・志乃率いる御半下(おはした)連中がやって来て言った、女中を減らし萩移りの件、何故、美和がその差配を仕切るのか?出過ぎた事では?我等この話受け賜ること出来ない!と申し出た、表使いの日出(ひので)がやって来て志乃に助言した「案ずるな、少々面倒くさいものでも、宛がって相手をさせれば、城移りの手伝いなど、美和も直に諦めよう!」・・・

日出から聞いて美和は、勤続50年を超す御蔵番奥女中・国島(くにしま )様に助けを求めて、誰も居ぬ御蔵を訪ねた、そこには豪華絢爛な宝の様な器やお道具等が整然と並べられていた、美和は見惚れていた、そこへ御蔵番・国島がやって来た、美和は、お願いした儀があると切り出したが、『帰りなさい!ここは毛利の奥の奥!何方と言えども、断りなく立ち入ること、許しませぬ!』、すると国島は急に気を失ってその場に倒れた!美和「しっかりなさいませ!どなたか!」、鞠が駆けつけ寝床に国島を寝かせてくれた、国島は江戸からの城移りで御調子を崩されていたようだ、蔵に並べられた器は都美姫と銀姫が江戸から持ち帰られたもので、国島がお手入れしていた!・・・

蔵だけではなく、奥には御衣裳を扱う者、病人を世話するもの、ご善処から、お掃除番に至るまで、すべての女達が自分たちの仕事に誇りを持って働いていた、誰も自ら暇乞いをと言うものなど居なかった、その時、正気を取り戻した国島が言った『奥に生きた者の歳月は、ここに暮らした者にしか分からぬ!』、国島が身体を起こして続けた『お前に差配を命じたは園山様か?』、美和「国島様、日出様よりお名前を聞いて参りました、此度の城移りに、お力をお貸しして頂けませぬか?国島様ほどのお方なら、皆も耳を傾けてくれるやも知れぬと!」、『ここへ運んでくれたこと、礼を申す、だが、お前の力にはなれん!』・・・

そんな頃、藩庁では、厳しい立場に置かれた長州のこれからの在り方について、椋梨率いる幕府恭順派と、周布、小田村らの旧体制派に分かれて、話し合いがもたれた、椋梨藤太「このままでは、お家滅亡は必定!幕府への謝罪以外、道は御座らぬ!」、小田村伊之助「お待ちください、攘夷の道も、京への進発も、我等、覚悟を持ち決したもの!にも拘らず、ここで幕府に膝を折って屈服すれば、志しそのものを貶(おとし)めることに成りますまいか!?」、周布政之助「ならば、戦えばよい!」、幕府と戦う??、お主は正気化??、周布「今更、慌てて頭を下げ、許しを乞うたところで、何が変わる!?」・・・

椋梨「なるほど、周布殿らしい闊達(かったつ)な御意見!小田村、宇和島藩へ渡り、我が藩への助力を求めたが、成らずに終わったそうじゃのう!?」、遺憾ながら!、椋梨「只の一藩も加勢を頼めぬ我等に、幕府軍に打ち勝つ力を持つことが出来ると思うか!?」、周布も小田村も返す言葉が無かった!・・・会議の後、周布は屋敷に帰り、縁側で腰かけ、伊之助と盃を酌み交わしていた、周布「まつりごととは、ただの酩酊じゃ、人の熱に煽(あお)られ、まだ見ぬ景色に憧れて、宴の日々を重ねるが、醒めて観りゃ、一人!己の無力だけが、身を苛(さいな)む!」・・・

盃に伸ばす周布の手を抑えて伊之助が励ましの言葉を贈った「無力では御座いません!周布様は伊藤等を英国へ遣わされた!高杉を牢に入れ、私を長崎に報い、藩の誰もが戦さを避ける中、お蔭で私と高杉だけは死中を逃れた!」、周布「買い被りじゃ!」、伊之助は酒に逃げようとする周布を哀れに思い言った「御身体をおいたわり下さい!又上がります!」、周布「もう、くんな!」、伊之助「幕府を倒す!その道、在りやも知れません!」と言い残して伊之助は周布をあとにした・・・

大奥では総取締役・園山の支持で外交役を務める表使い(おもてつかい)・日出が何やら美和の様子を覗ってい来た、「仕事は、はかどっといるか?」、美和は国島様の助力を得ることが出来なかったと、日出に報告した、そこに鞠がやって来て、各働き場の半下の名簿を書き写して、美和に見せた、「まず、この者達から説いて聞かせましょう!」と提案した、ですが!、鞠「急がねば!このままでは、わたし達が城下がりを言い渡されてしまいます!」、日出「なるほど、それならば誰も文句を言えませんね!美和様ご自身が暇乞いすると云うのなら、皆も言うことを聞くでしょう!」、わたしが城を・・・?、日出「冗談ですよ!」と言い残し去って行った・・・

藩庁屋敷では敬親が、野山獄で囚人に孟子の講義をするため松陰が編集した講義録“講孟剳記一(こうもうさっき、後に松陰が講孟余話と改めた)~改名 講孟余話” を読んでいた、それから、縁に出て都美姫に語った、『都美姫、此度の事態はいささか大きい!わしが詫(わ)びねばならぬ時が来るやも知れぬ!』、殿!、『これからも毛利家を頼む!末までもずっと!』、都美姫『心得て居ります!必ず!』、固い契りに結ばれた二人はじっと見つめあった!・・・

小田村は高杉小忠太を訪ね「椋梨様に気を着けんと!」と忠告した、二人は、その日、井上聞多(ぶんた)が藩庁で「今は長州の非を認めるような振る舞いは、慎むべきと存じます!」と殿に必死に訴えた言葉を気にしていた、井上は、幕府に対し謝るだけでは成らぬと!高杉小忠太が気にしていたのは、その後のことだった、城の廊下で椋梨が他の者と何やら密談をして居った!?椋梨は倅の晋作や小田村をことさら、嫌って居った!御身辺に気を付けられよと、小忠太の方からも小田村に忠告した!小田村「私など、倒したところで、いかほどの者でもありますまい!椋梨様なら他にも・・・」、その時、周布の身の上に何か起きなければと、伊之助に悪い予感が襲った!・・・

その夜、周布邸に、「近くまで参ったのでなあ!」と言い、椋梨が現れた、周布「丁度良い、お主は、藩をどのようにされる御積りか?」、椋梨「今も昔も、望みは変わらぬ!徳川と云う大樹のもと、お家が末長ごう安泰であるよう、力を尽くすのみ!」、周布「徳川の世がまだ続くと、本気でそうお思いか?」、椋梨「例え、徳川と云う名は失(う)せても、幕府と云う力は残る!」、周布「力にはひれ伏せと言うか?」、椋梨「生きるためで御座る!皆が、長州を潰しに掛かって居る!我等が今、生き延びる道はただ一つ、藩を固く一つに結び、立ち向かう事!」、周布「何を、今さら!」、椋梨『そのためには、(いしづえ)が要る!これまでの全ての責めを負い、己を投げ打ってくれるものが!周布殿、今日の訪れを、はなむけと思うて下さらぬか!』・・・

その夜、伊之助と小忠太の予感が的中した!帰宅途中の井上聞多は忍びの者らに襲われた!井上を襲ったのは、幕府の強靭を強く唱えるものであった!井上は瀕死の重傷を負ったが、幸運にも懐に入れていた鏡の所為で、一命をとりとめた!・・・伊之助が血相をかえて周布を訪れた、周布の無事を見届けて安堵した!周布「先刻、椋梨がやって来た、わしに、はなむけを渡すと申してのう!」、伊之助「椋梨様の言うことなどに、耳を貸しては成りませぬ!」、周布「案ずるな、あやつの思い通りなどには成らん!」、周布は盃に酒を酌(く)んで、それを伊之助に勧めた、伊之助はそれを有難く飲み干した、そして一礼して去って行った、はなむけの盃と成らねば良いが・・・

 

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阪神11回戦に勝利し、薮田の2勝目なるか? 2015年7月15日

2015-07-15 19:08:37 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜の甲子園からの中継は無かったが、先発野村が撃たれて広島が2-5で敗れた、入浴を済まし夕食の食卓に着くと、今夜はABCタイガースが生中継した“広島vs阪神11回戦”は3回に入っていた、3回裏、先発・薮田和樹が2アウトフルベースのピンチを迎えたが、ゴメスを見逃しの三振に仕留めてピンチを脱した!今夜は4回表で広島にビッグチャンスが生まれた、先頭バッター菊池がレフト前へヒットし、丸がフォアボールで出た、あっ、ノーアウトランナー1,2塁で四番・新井貴浩が1,2塁間を破るタイムリーヒットし菊池が帰り、広島が1点先制した!・・・

今夜の薮田は荒れている、3回裏にも、俊介にデッドボールを与え、4回裏にも坂に危険球を投げ警告を受けた!5回表、あっ、早くも緒方監督は、薮田に試練を与えたか?薮田を下げ、堂林を代打に出してしまった、1-0のリードのまま、5回裏から戸田隆也がマウンドに立った、いきなり戸田は2アウト1,3塁のピンチを迎えたが、上本を空振りの三振に討ち取って難を逃れた、6回表、菊池がセカンドゴロに倒れた後、丸がフォアボールで出たが、新井がピッチャーゴロ、シアーホルツが空振りの三振に倒れて、広島は得点に繋がるチャンスが生まれなかった!・・・

7回表から、左腕・加藤がメッセンジャーを継いで登板した、先頭バッター松山竜平が歩いた、木村昇吾がバントで松山を送った、ここで阪神は加藤を下げ、安藤をマウンドに送った、あっ、会澤翼が安藤のかわりっぱなをレフト前に運び、松山を返し、広島に2点目が入った!7回裏、大瀬良大地が登板した、阪神へのジェット風船の乱舞のあと、先頭打者・鳥谷をショートフライに討ち取った、代打・今成をセカンドゴロに仕留めたが、福留を歩かせてしまった、そして四番ゴメスに対した、粘られたが大瀬良はゴメスを高いセンターフライに討つ獲った!・・・

8回表から福原が登板した、菊地が空振りの三振、丸が浅いセンターフライ、新井がサードゴロの三者凡退に倒れた、8回裏、大瀬良が続投する、1アウトから上本にセンターへ抜けるヒットを痛打されたが、後続をセカンドゴロとセンターフライに抑えて、広島が9回表の最後の攻撃に入る、オ・スンファンが登板した、シアーホルツが歩いて赤松が代走で出た、あっ、木村昇吾の打球が左中間を破った!赤松が帰り駄目押しの3点目が入った!代打・鈴木誠也が大きなライトフライに倒れて3アウト!・・・

9回裏、少し心配だが、中崎翔太が抑えとして入った、だが代打・関本にレフト前へヒットされた!次の鳥谷のファースト左を襲う強い打球を新井が好捕したが、中崎のカバーが少し遅れて、セーフになってしまった!中崎はノーアウト、1,2塁のピンチを迎えた、だが大和を浅いショートフライに討ち取った!福留の強い当たりが菊地を襲う!名手・菊池が巧くさばきセカンドベースの田中へ投げて2アウト!田中からファーストの新井へ転送される!ダブルプレーで3アウト!中崎よ、よく踏ん張った!広島が阪神を3-0で破りゲームセット!誰に勝利投手が?恐らく4回無失点に抑えた薮田だろう?あっ、戸田隆也が2勝目を挙げ、中崎に12セーブ目が着いた!・・・

これで広島カープは38勝42敗1分け、首位DeNAまで2ゲーム差の5位で前半戦を折り返した、17日(金)夜7時開始、東京ドームでの1日目と、18日(土)夜6時30分開始、ズムスタでの2日目の、賞金争いのお祭り “全セvs全パ・マツダオールスターゲーム2015”夢の饗宴を迎えるが、原辰徳監督率いる全セと工藤公康監督率いる全パの選ばれしプレーヤー達の方も、観戦する方も、勝負にこだわらず、野球を楽しめばいい・・・リーグ後半戦は7月20日(月)から始まり、我が広島は中日をズムスタに招き3連戦を戦う、さあ、首位攻防を巡って、団子状態のセ・リーグは益々面白くなるぞ!・・・

ところで、大型で強い台風11号955hPaが、時速20kmのゆっくりしたスビードで、珍しくズバッとここ加古川方面目掛けて、遥か四国沖を北上しているようだ、播州への影響は17日(金)未明からだそうだが 、最大風速40m/秒、1時間当たりの最大雨量70mm、落雷・突風も予想される、ここ加古川にも、もうすでに台風が連れて来たムシッとし温風の影響でシトシト雨が降りだしている、まあ四国を越えてきた台風は勢いが弱り、風の影響は余りないだろうが、ここ3,4日の加古川は32℃を越える蒸し風呂状態にある!また今、夏の大潮の時期で、高波・高潮に要注意だ、早く、この台風が過ぎ去り、梅雨が上がり、スカッとした真夏の空を見たいものだ!・・・

 

 

 

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新・花燃ゆ、第28話“泣かない女!~後編” 2015年7月13日

2015-07-13 12:55:54 | 日記・エッセイ・コラム

その頃、京には、危機を逃れ、生き延びようとする者達が居た、、人足(にんそく)の身なりに扮した長州藩・京都留守居役、桂小五郎と、久坂の死を知らされた身重の辰路が三条大橋の袂で逢っていた、そして桂は何かと辰路の力になっていた、これからは芸子の幾松を頼って行けばなんとかなる、気が強いが裏が無い幾松なら、決して悪いようにはしない、頼って行け!そこへ「そこで何をしておる?」新撰組に見つかったが、桂が張り巡らした仕掛けが功を奏して、新撰組から逃げ伏せた、「久坂のヤヤの命を頼む!」と桂は辰路に別れ告げ、闇夜の中に消えて行った!・・・

下関に着いた文と鞠(まり)は 、攘夷派と奇兵隊が潜伏していそうな、とあるお寺のお堂を訪ねた、奥から次々男たちが現れて、二人を取り囲んだ、「お主等は誰じゃ?」、お城よりの使いのものに御座います!使い?誰からの?そこに「お文さん!」同郷の野村靖と品川弥太郎らが現れた!品川が「三田尻で飯を作ってもろたじゃろう!」文を皆に紹介した、皆は、高杉を探しているが消えてしもた!と文に伝えた、高杉は最初の交和を終えた後、イギリス艦からそのまま消えてしもうた!わし等の邪魔を恐れて藩が高杉を隠したようじゃった!交和の談判は既に始まっていた!文が描いていた見習いから正式な奥勤めへの夢が薄らいでゆく・・・

そこには高杉も役人も居らず、他を当たり高杉を捜し出し、交和を止めさすと連中は息巻いた、文『待ってつかわさい!』、野村が訊いた「そう言えば、お文さんは何故ここに?」、『わたしは・・・』文は言葉に詰まった、ご免!奇兵隊の中原が文の背負っている包みを検(あらた)めようとした、すると鞠が中原の手を獲ってねじ上げた!何をする!、文『この方は御前様のご使者です!』、品川「まさか、異国に渡す御前様からの貢物ではないでしょうね?」、野村「見せて下さい、文さん!見せろ!」・・・

何をしとる!そこへ伊之助が駆けつけてきた、兄上!、品川「小田村様、わし等は攘夷に命を懸けちょる!久坂さんが生涯懸けた志しにじゃ!やのに、その妻が!異国との交和に手を貸しちょる!」、伊之助は叫んだ『これは殿からの御命令じゃ!つまらん言い掛かりは止めろ!久坂文を責めるのは、筋違いじゃ!』、野村「殿の御命令じゃと?わし等は藩命で京へ赴き、そして兄は!志しを果たそうとして死んだ!」、品川「高杉は許さん!伊藤も、井上も・・・」、そこへ次々伝令が入って来た「白石邸の近くで伊藤を観たと!」、「大変じゃ!砲台が壊されちょる!」、「異国人たちが次々と!上陸しちょる!」、おのれ~~!・・・

文、鞠と伊之助だけが残された、そこへやって来た役人らに、ここを整えよ!交和のための仕度場じゃ!と伊之助が指示した、文に向かって伊之助が手を差し出して言った「さあ、文、それを!高杉には私から渡しておこう!案ずるな、高杉も伊藤も、確かな場所に隠もうとる!」、文『高杉様に会わせてつかわさい!これを身に着けて頂くために、山口から夜通し歩いて来たんです!高杉さんは何処?御存知なんでしょう!教えて頂けるまで、山口には帰りません!』、伊之助「決して引かぬと云うのか?」、文『このことに、これからの、わたくしが懸っているのです!』・・・

伊之助「奥勤めなどせずとも良い、久坂がそげなこと、喜ぶと思うのか?久坂の分も幸せになって、それがお前に出来る唯一の供養ではないんか?」、文『旦那さんの無念を晴らしたいんです!恨みごとを言うとるんじゃありません!久坂が命を懸けて、動かそうとしたもんを!その先に観たかった景色を、同じように私も観たいと思うてはいけませんか?』、伊之助「城の中から、そう・・・」、文『確かめたいんです、働きます、決めたんです、どうか、高杉さんに取り次ぎを!どうか!』と頭を下げた・・・

高杉をかくまった伊藤利助は高杉に 手こずっていた、高杉『我々を狙う連中はこっちに向かうに違いない!』、晋作と一緒にいると、イギリスで居た時のハラハラ感を今も味わっていると嘆き、利助は芋でも、喰うものを探しに行くと出て行った、高杉が一人寝転がっていると、そこに伊藤ではなく、小忠太から交和用として、預かった五七の桐の紋の着いた礼服を携えた文が一人現れた、文はそれを差出し伝えた『奥より命じられ、これを届けに参りました!』・・・

高杉「これを着て、交和に行けと?」、文『御父上は私の様なものにまで頭を下げられました、お確かめください!』、高杉「お前が奥に入ったと噂に聞いちょったが,誠じゃった、面白い、お前は昔から俺の気に入らんことばかりする、久坂に惚れたんも、その一つじゃ!」、文『久坂のためにはならんと言われました、奥に入るも、交和の助けをするも!』、高杉「人には勝手に言わしちょけ!心の内は、ただ、その者だけが知れば良い!俺も心のままに生きる!聞け、俺は、此度の交和で、ただ負けを認めて頭を下げる積りはないんじゃ!俺は港を開きたい!」・・・

文『港?』、高杉「長州に、異国への大きな窓を開きたい!交和は、そのための糸口になる!」、『長州を開国する?』、「如何じゃ?」、『面白い!異国への窓やなんて!それは大層面白う御座います!』、「じゃろう?異国との本当の戦さはこれからじゃ!交和の談判には、また行く、暴れちゃる!お前も奥で何ぞやらかしてやれ!取り澄ました仕来りや建て前は気にするな!思う存分狂うてやれ!」、はい!、「それも供養じゃ!」・・・

翌日、伊之助は伊達宗成(むねしげ)に会うため伊予の宇和島へ出かけて行こうとしていた、(えっ、仙台藩伊達家の分家ながら、小生の母方の先代が代々重臣を務めた伊達家の血を継ぐ宗成が、何故?伊予に?)、伊達宗成さまはご聡明で、異国との事情にも通じて居った、伊之助は、これからの長州のために力を貸してもらえるよう頼みに行くのだった!文は伊之助に礼を言った『この度は高杉様の事で、ようして頂いて!』、伊之助「決心は変わらぬか?」、はい!・・・

伊之助「これからお前が生きる場所では、お前を守る者は誰もいない!お前を愛(いつく)しむ家族も、共に笑う塾生たちも、せめて、これを!」伊之助は1枚の紙切れを文に渡した、それは大奥での新しい呼び名、美和(みわ)が書かれていた!奥勤めのおなごには、新しい名が要るんじゃろ?三つの輪はお家の御紋じゃ!それにあたり、寅次郎、久坂、そして兄の私が、お前を見守ることにする!、『兄上!』、これはお前への守り刀じゃ!、『ありがとうあんした!』、何時会えるとも知れない二人が別れて行った・・・

元治元年(1864)8月14日、英国海軍“ユーリアラス号”船上で、紋付き袴に烏帽子(えぼし)に身を包んだ高杉は通訳・伊藤利助ともに、再び交和に臨んだ、『賠償金など一切、払うつもりはない!』、高杉は粘り強く交渉を進め、賠償金の支払い、彦島の借用などを退け、実質的に下関を貿易港となる内容の協定を結ぶに及んだ!と、後に、英国公使館通訳、アーネスト・サトウはこう記している!“かのものは魔王のごとく轟然(ごうぜん)と構えていた!” 、この交渉をきっかけに、諸外国の日本に対する脅威は、幕府から雄藩(ゆうはん)と呼ばれる新勢力へ移って行った!・・・

その頃、江戸幕府による長州への攻撃準備は、着々と進められていた!芸州・広島から山口に向かうルートを始めとして、石州・島根から、萩からも、徳山から、小倉からも、5方面から山口へ進軍する計画が立てられた、そして長州ではこの男、椋梨藤太が攘夷以前の保守体制に大きく揺り戻そうとしていた!今こそ椋梨様の御登庁を!、この期に及んでも、まだ幕府には謝罪せぬとも良い!などと云う陰湿なものが居るとは!そんな声が保守派から上がっていた、椋梨が言った「あのお方に少々お手伝い願おうかのう!」何か企んで居った・・・

文が下関での大仕事をやり終えて、大奥取締役・園山様の前に呼ばれていた、『面を上げよ、此度の下関への使者の段、格別の働きであったと聞いておるぞ、ようやった!』、文「恐悦至極に存じます!」、『よって、本日より正式に、奥での勤めを許す、名を・・・』、すると文が伊之助がくれた”美和” を出そうと阻(はば)んだ「恐れながら、美和を・・・」、すると園山は怒って言った『ひかえよ!自ら名を決めるなど、僭越(せんえつ、自分の身分・地位を越えて出過ぎること)であろう!』・・・

そこへ都美姫が来て言った『美和か、苦しゅうない、それをもって、下関への仕えの褒美としよう!』、文「ありがとう存じます!」、都美姫『夫の無念を晴らしたいと?それは良き心がけじゃ!精進せよ!』都美姫は去って行った、都美姫は、前第12代藩主、毛利斉広(なりとう)の娘として生まれたが、男兄弟が居なく、敬親を養子に貰って毛利家を継いだ、大奥御殿の御前様となり倹約に務めた都美姫だったが、子宝に恵まれず、銀姫を正室に迎えたお世継ぎの元徳は、徳山藩第8代藩主・毛利広鎮(ひろしげ)からの養子だった!・・・

園山『御前様からのお達しである、今日よりは、銀姫様のお次(おつぎ)としてお仕えするよう!下っ端の雑用係りじゃが、お目見えも許される!』、その日から着物の格が上がった文改め、美和は、銀姫様のお世話をする職場での挨拶回りに忙しく動いた、「この度、銀姫様のお次としてお勤めいたすこととなりました美和で御座います、どうぞ宜しゅうお願いいたします!」、周りの半下たちの目が冷たく文を観た、その中には、久坂の下で仕えた家族のものが京で命を失った!、父が下関の戦さで討ち死にしました!と云う者もいた!・・・

調達物資・表使い(おもてづかい)の日出(ひので)が文に近づき、耳元で言った「美和殿は毛利家を朝敵に追いやった久坂玄瑞様の妻と、皆に知れてしまったのです!一体誰がその様な事を言うのかのう?」、美和が、大勢の奥勤めを侍(はべ)らかして駒回しをしている銀姫様のお部屋に行った時に、その発信元が直ぐに分かった、天然の銀姫が笑顔で言った『お前か!お家を朝敵に追いやった久坂の妻とは?誰か賭けをせんか?この者が何時、逃げ出すか?泣き出すか?勝った者には、この駒を取らそう!博多から取り寄せた元徳様のお気に入りじゃあ!』、怒りが込み上げて美和が言った「恐れながら、賭けにはならぬは!私は決して逃げません!生き抜いて見せます!貴方の妻として!」・・・

 

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新・花燃ゆ、第28話“泣かない女!~前編” 2015年7月12日

2015-07-12 19:30:03 | 日記・エッセイ・コラム

今朝8時半に家を出て、小生と家内は次男の運転する車に同乗して鳥取に向かった、この旅は次男の発案だった、今年3月1日に鳥取中央病院に救急搬送され、その4日に息を引き取った亡き長男を弔うために、播但道、中国縦貫道から鳥取自動車道を経て、鳥取市街地を抜け、浦富、岩美から、そして長男が最後のサーフィンに出かけた陸上川(くがみがわ)河口にある東浜(ひがしはま)海岸を訪れた、今日の東浜は蒸し暑く、風も波もなく凪(な)いでいた、何組かの家族連れの親子がパラパラ海水浴を楽しんでいた、サーファー達は車の中で波を待っているようだ・・・

  

帰りは山陰ジオパークロードを辿り、東浜から直ぐ隣の兵庫県境を越え、浜坂から温泉町・湯村温泉街を抜け、美方の山中を南下して行った、村岡のドライブインステーション“日本海”で昼食を摂った、小生は但馬牛肉ピリ辛ラーメン800円を喰った、程よいピリ辛がうめえのなんのって!(*^_^*)ジュルリ!更に養父の裏街道を南下して、播但自動車道の“朝来クリスタル道の駅”ではお馴染みの黒豆アイス300円を頂いてから家路を急いだ、この秋には来春の散骨の打ち合わせのため鳥取市賀露の渡船業者に逢いに行ってこようと計画している・・・・

 

禁門の変の後、朝廷はすぐさま“長州征討”を命じる詔(みことのり)を幕府に下した、同じ頃、イギリスをはじめとする四か国(しかこく)連合艦隊による下関報復が開始されていた、今日から花燃ゆは新しく展開し、文は、老女・園山様の御恩情により毛利家山口藩庁の女の城・大奥御殿に、御半下頭・志乃の下で“奥勤め見習い”として上がることとなった、大奥は、老中、表使(おもてつかい)、若年寄(わかどしより)、中老(ちゅうろう)、御側目(おそばめ)など色んな階級に分かれているようだった、奥での名前を頂いて初めて半下(はんした)になれるようである!そこに毛利敬親の正室・都美姫と嫡男・元徳の正室・銀姫が現れ、下関が異敵の手のものに落ちたと知らされた!・・・

大砲291門、兵力5000人余りと、圧倒的な連合艦隊の軍事力の前に長州藩はなすすべがなく下関は壊滅され、占拠された!暫く不穏な日々が続くとしても、その様な事は殿方にお任せすればよいことで、大奥には関係なく、ただ日常の御勤めを万事怠りなくなお一層励み備えればよかった、見習いの仕事は水汲みから始まった、文は他の半下とともに桶を両手に持って水を汲みに行った、文は初日からやらかしてしもうた、桶の水を廊下でこぼしてしもうたのじゃ!・・・

文らが水をふき取っていると、そこへ銀姫がやって来て文に声をかけた、『お前が家(や)の主なら奥の守りを何とする?答えてみよ!』、文「鉄砲で御座いましょうか?異国には女子でも扱える、こまい短筒があると聞き及んで居ります!それで己の身を守るのです!」、その文の答えが、えろう銀姫に気に入られた、だが、銀姫はおなごの戦さは美くしゅうなければ?と考え直して言った、でも短筒は美しくない!そうじゃ美しくて雅な内掛けをふんだんに飾りたてて敵の気勢を削ぐのじゃ!そんなことか~~~い!銀姫は天然じゃった!老女・潮(うしお)も呆れて居た、その時、文が園山様からお呼びがかかった?・・・

その頃、表のまつりごとの場では、周布政之助が藩庁にやって来て敬親に申し出た 、「砲台は壊滅し、もはや戦いを続けることが出来ません、一刻も早よう、異国と停戦の交和を結ぶべきで御座います、すでに奇兵隊の高杉晋作を獄から出し、下関に送って居ります!」、周布は交和の交渉役として高杉を推した!答えはいつもの『そうせえ!』だけではなく、『交渉役には装束(しょうぞく)などを整えさせ、最上の格を与え、毛利家の名に恥じぬよう致せ!』が返って来た、ははは~~~!・・・

一方、下関では、高杉が伊藤利助とともに異国との交和に赴くよう、お世継ぎ元徳様から直々に申し渡されたとの噂は、奇兵隊にも波紋を呼び起こしていた、異国に頭を下げるなんど、攘夷を目指してきた塾生たち、中原復亮(またすけ)ら奇兵隊士には受け入れがたき事であった!一刻も早く高杉を探し出し、交和を思いトドませるんじゃと怒り心頭じゃった!伊藤は友の井上聞多(ぶんた)にも交和に出てくれるよう頼んだが、井上は反対じゃった!頭の固い攘夷派なんぞ討たれてしもたらええんじゃと、応じなかった、伊藤と井上はイギリス留学の際、日本を列強に負けん国にする!と誓いあった仲であった!井上はその場にいた高杉に、お前は如何するんじゃ?だまっちょらんで、なんとか言え!と訊いた、高杉は立ち上がって答えた『わしはゆく、俺には秘策がある!これは好機じゃ!』と・・・

文は、園山さまに付き添われ、高杉の父・小忠太(こちゅうた)の前に出ていた、小忠太はおもむろに、殿より代々、高杉家が拝領致してきた“五七の桐のご紋”の礼服を差出し、文に、下関で異国との交和に臨む高杉晋作には無くてはならないものゆえ、手渡してくれよと頼まれた!そのような大切なものを何故わたくしに?、な~~んでか?その当時、下関には交和に応じんとする男で溢れて居った、故、男では危ない!?小忠太に是非!と頭を下げられ、文は「慎んでお受けいたします!お家のため、亡き夫・久坂玄瑞のために、命を懸けても!必ずや、この品、高杉様にお届けいたします!」と、そのお仕えお引き受けした!・・・

そして、武芸の心得のあるお次・鞠(まり)と云うお目付け役と共に、その品を大切に背負い、旅笠、脚絆姿の文は、園山様に見送られて大奥をあとにしようとしていた、その前に、文は園山様に「無事この使いを果たした暁には、見習いから正式な奥勤めとしてお認めくださいますか?御前様に御身観得叶う身と成りましょうか?」と訊いた、園山『それは、その時となったら考えよう!』と言ってくれた、文のシッカリ者~~!国を窮地に追いやった夫の罪滅ぼしとなれば良いがと、都美姫は密かに願っていた!・・・

文は、下関への道中の途中、休憩のときに鞠に言った「私を見張れと言われてきましたか?いいんです、ありのままの全てを園山様にお伝えください!隠すようなことは何もありませんから!」鞠が大奥の隠密であることは重々承知をして居った 、高杉が攘夷派の者と通じていないかと鞠が訊いた、高杉様とは、これまで、ずっと顔を合わせてきましたから、例え違う道を歩むとしても、これからもずっと・・・、奥勤めを始めたのはその方々のためではあのません!では何故?文は母・滝と父・百合乃助の事を思っていた、そうです、文は自棄(やけ)になったのでなかった、自分の脚で歩きたかっただけじゃ!自分の目や耳で自分の生きとる場所を確かめとうなったんじゃ!そうじゃ、久坂さまの代わりに、好きなだけ、好きなだけ、歩けば良い!・・・

 

 

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運転免許更新のため乗り鉄する! 2015年7月10日

2015-07-10 22:30:15 | 日記・エッセイ・コラム

今年9月7日までに済ませばよかったが、今日何も予定が無かったので、明石の運転免許更新センターへ行くことに決めた、昨夜から、6月11日に加古川教習所で受けてパスした“高齢者講習終了証明書”、免許書、更新のお知らせはがき、印鑑、更新手数料2500円、交通安全協会会費1500円などを用意しておいたウエストバッグを身に着け、キチッとした身なりして歩いてJR加古川駅に向かった、天気は良かったが湿度81%の汗がしたたり落ちる梅雨独特の高温多湿であった!ジャージ姿でもないし、第一こんな日に走ったら何枚タオルがあってもおっつかん!歩いていても汗が背中を伝ってお尻の割れ目に流れ落ちる!・・・

自動切符販売機に320円を入れて乗車券をゲットして、上り3番ホームへ上がって行った、やがて12時11分発、米原行き新快速がホームに滑り込んで来た、それに乗り込み車中の人となり、暫し故郷・加古川に別れを告げた、もう半年ぶりになるだろうか、新快速2区間の旅に出かけるのは?空席はあったが運動のために、ドア辺りで立ち続けた、やがて播磨のお目付け役として明石に赴任した、徳川家に代々仕えた信濃(しなの)松本藩からの譜代大名・小笠原忠真(ただざね、1596~1667年)によって、1618年に築上された明石城の坤櫓(つちやぐら)と巽櫓(たつみやぐら)が小生を迎えてくれた!・・・

北出口のバス停から神戸学院大前行きに乗り込み、210円区間にある更新センターへ到着した、これまで小生は大変混雑する朝一番に来ていたが、今回は高齢者講習の時に『昼から行ったら、ガラスキやでえ!』と講習者仲間から教えてもらった 通りに行った、正解だった、人はパラパラまばらで、制服を着た案内役のおばさん達も片間って暇そうにしていた、小生が受付近くに近づくと先を争って、小生の書類を奪い取るようにして受付を済ませ、4000円払うと、交通安全協会、眼の検査、写真撮影まで、次々と手際よく指示してくれ窓口を渡り歩いた、早いのなんのってありゃあしねえ!本籍確認用紙に貼り付けられた運転免許証が手渡されるまで、1時間もかからなかっただろうか!?・・・

  

外へ出ると献血の呼び込みが熱気を帯びていた、しかし小生の顔を見ると顔をそむけてお声が途切れた、寂しい!今でも血液をいっぱい採って欲しいのに!帰りは歩いて明高(県立明石高校)前を下り、太寺(たいでら)界隈の散策を楽しみながら駅の方角へ向かって行った、明石城公園東隣りの崖っぷちに建つ明石市立文化博物館下にさしい掛かった時、一度、人類の起源ともいわれる“明石原人”や、雄雌一頭づつ展示されている“アカシ・ゾウ”の骨格標本を観てみたいと思い付き、道路から自転車と人用のエレベーターはあるが、急勾配の坂を上って行った!・・・

登り着いたところには博物館の正面玄関があった、その前の広場には涼しそうな水車と、“ゆほびか”の碑があった、ゆほびかとは、穏やかで、静か、豊か、ゆるやか、水の波立たぬ事や、人柄の奥ゆかしい様を表現した言葉らしい、そこには源氏物語・若紫の一節 “近き所には、播磨の明石の浦とぞほ、殊(こと)に侍(はべ)れ。なにの、いたり深き隅はなはけれど、ただ、海の面を見渡したほどなむ、あやしく、こと所に似ず ゆほびかなる所に侍る。” が刻まれていた??処処、刻印が崩れていて何のこっちゃさっぱりわからん!?建物周辺の光景を撮っていたが、すぐバッテリー切れになった!が~~~ん!( ゜Д゜)・・・

  

館内に入ると、エントランスホールには東二見の祭り太鼓出しと、年代物の漁船数隻が陳列してあった、あとは、明石たこ大使のギョギョ“さかなクン”が募集した何百枚もの中学生以下のたこイラストと、明石市の姉妹都市、カリフォルニア州バレホ市親善大使団との交流写真展など、期間展覧会のみをざっと見て廻ってから、博物館を離れJR明石駅へ降りて行った、ホームに入って来た播州赤穂行新快速に乗って加古川に向かったが、今日の小生の乗り鉄は これで終わりではなかった!車中で博物館のパンフレットを読破せんとして夢中になっていると、何時の間にやら見慣れた看板があとへあとへと置かれていった!イカン!のり過ごした!・・・

次は姫路~~、次は姫路~~!♪さよう~~なら、さようなら!加古川を降りそこね!♪、姫路駅で上りの新快速・野洲(やす)行きに乗り換え、白すぎ城に改修された姫路城を車中からチラッと捉えてから、懐かしの加古川へ戻って来た、何時間ぶりだっただろうか?やはり住み慣れた加古川に帰るとホッとし落ち着き気が休まる!ニッケパークタウンのダイキに廻ってドライキャットフードを買って帰った、6時頃になっていただろうか?いい時間になっていた、早速、湯船にお湯を張り、汗を流してから湯船でくつろいだ!ダブル乗り鉄の日がゆっくり過ぎて行った!・・・7月に入って我が広島カープは5勝2敗と調子を上げ3位に着け、優勝戦線まっしぐらだ!明日のドラゴンズ12回戦もジョンソン先発で勝ってくれるだろう・・・

 

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