Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

花燃ゆ、第27話“妻のたたかい!~前編” 2015年7月5日

2015-07-05 19:48:01 | 日記・エッセイ・コラム

長州の復権を朝廷に嘆願するため上洛した久坂隊であったが、力づくで復権を迫ろうとした来島隊等に押しきられて御所・蛤御門に攻め込み、10倍の兵力を持つ幕府軍との戦闘に巻き込まれていった!来島隊が門を守る会津軍を圧倒していったが西郷吉之助率いる薩摩軍に無惨にも破れはてた!久坂隊も鉄砲隊に苦戦し痛手を負ったが、何とか堺町御門から鷹司邸に辿り着き、直に天子様への嘆願を迫ったが、『ならん!何故、御所を戦場にし、天子様に刃を向けた!?この御所にお主等の声を聴く者など居らぬは!』と聞き入られなかった!御所には大砲が撃ちこまれ戦場と化した!・・・

久坂は、入江九一と品川弥太郎に、直ぐ引き返し、元徳様の入京を止めるよう命じた、無念、文と一生生きる!との約束が果たせず!だが久坂は『人の命とは歳月の長さではない、10歳で死ぬものは、10歳の中に、20歳で死ぬものは、20歳の中に、それぞれ春夏秋冬が在り、実を結んでいる!もし同志の中で、私の心を継いでくれる人が居たら、私の実は空ではない!どうか一粒の籾(もみ)として、次の春の種となれますように!』松陰の言葉を思い出しながら、志し半ばとなって果たせなかったことは、長州に残る者に志しを託して、久坂と寺島は髪を切り、向かい合い、互いの剣で刺しあい自害した!文よ、俺の分も生きよ!そして久坂玄瑞は享年25の生涯を終えた!そして久坂等による天皇への嘆願は最悪の形で終わった!・・・

入江は弟・靖に志しを託し御所内で品川弥二郎をかばいながら、絶命した、品川一人が長州に戻り、元徳の上洛を止め、京で起こった全てを知らせた!やがて萩の実家にも、文と久米次郎のもとにも、その知らせは届いた!野山獄の高杉にも、妻・雅と前原一誠によって知らされた、『そげなつまらん戦さで、あいつらが死んだりするもんか!嘘じゃ、嘘じゃと言わんか!前原、嘘じゃと言わんか!』と晋作は嘆いた!すみは兄上・入江九一の死を品川から知らされた!品川は何回も土下座して謝った、「もう謝るな!」と弟の靖が泣きながら品川をねぎらった!・・・

長崎の伊之助と松島にも知らせは行った、松島剛蔵は弟の伊之助に言った「長州は朝廷を敵に回した!江戸藩邸には幕府の手が入り、長州藩士等は捉えられたものも出てきた!伊之助、はよう身を隠さねば!」・・・、山口藩庁の中河原御茶屋では、元徳等一行が毛利敬親に、幕府軍が長州へ攻め入り、長州征討の命が出たと伝えた!『我が藩は朝敵となったのか!?天子様が毛利を討てと!?』、この禁門の変で、朝廷は長州藩を朝敵とし、毛利敬親、元徳、親子の処罰を命じた!・・・

萩の実家から、文は久米次郎を連れて久坂家へ戻ろうとした、父・百合乃助が止めた「もう久坂家には戻るな、お前はこの家に居れ、藩からお達しがあった!此度の責めを負うて、久坂家の家名は断絶!久米次郎との養子縁組も破談となった!久米次郎は小田村家に返すようにと!」、文は一人久坂家に戻った、そこには役人達が入り、辺り一面は散らかされ、あらゆる書状が検(あらた)められていた、「藩命によってこの家は閉ざす!もう間もなく、門を閉ざす故、早々に立ち退け!」との沙汰が文に下された!文が手直した久坂の茶碗が壊されていた!文から次第に力が薄らいでいった!そこへやって来た久米次郎が、寅次郎教訓の一節を暗唱して文を励ました!帰らぬ父上を思うてか・・・

 

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“勝利の白クマ”安藤が、なでしこジャパンに合流! 2015年7月5日

2015-07-05 13:58:09 | 日記・エッセイ・コラム

6月9日、1次リーグ初戦のスイス戦前半29分で、安藤梢(こずえ、32歳、FFCフランクフルト)が相手GKと激しく交錯して、1-0の勝利に導くPKを獲った!それ以来、安藤は戦列離脱を余儀なくされていたが、16日に日本で受けた左足首骨折手術が成功して昨日午後、杖を突きながら成田を出発した、無論、まだプレーするには程遠いが、今日、カナダW杯日本代表23名の一員として、バンクーバーで練習する“なでしこジャパン”と合流した!だが安藤の留守の間、彼女の身代わりにベンチを温め、背番号7のユニホームを着て、なでしこジャパンを応援していた者がいた!・・・

それは、6月17日、1-0で勝利したエクアドル戦でウィニペグに遠征した折、選手思いの“やさ雄”佐々木則夫監督57歳が買ってくれた“勝利の白クマ”だった!その白クマちゃんが、決勝トーナメントに入ったから今までずっと、安藤となでしこジャパンは強い絆で繋がれてきた!その白クマを岩渕真奈が世話係として大切に面倒を見てきたようだ、また、2011女子W杯ドイツ大会でベスト4進出の原動力となった丸山桂里奈(32歳、スペランツァFC大阪高槻、読売新聞スポーツ欄“なでしこトーク”コラムニスト)が右膝負傷で手術を受けた折も、佐々木監督は、丸山に熊の縫いぐるみを贈っていた!何と選手思いの監督だことよ・・・

小生、先程まで6ch“新婚さんいらっし~~い!~カナダ発大爆笑!国際結婚スペシャル!”を観ていた、それはスタジオからのものでなく、何処かの湾岸近くの船上デッキから撮られたアウトドアロケされたものだった、よくよく観ると、船上から映る背景には、小生の記憶の中に存在する光景が流れていた!何と!バンクーバーのダウンタウンだ!と一目で分かった!そこは、ななな~~~んと!English Bayを臨むSunset Beach Parkと、その背後にそびえるマンション・スカイスクレイパーが乱立していた!そのビーチに沿って走るPacific Blvdに面して此度の頂上決戦の場“BC Place Stadium”が在るはずである!番組そっちのけに、血眼になって探したがカメラアングルの所為か?1983年6月にグランド・オープンしたBC Placeらしき建物は現れなかった!? ・・・

カメラが左へ動くと、大自然イッパイの広大な公園 “Stanley Park”の森が映っていた!なかでもバンクーバーの住宅地と繁華街を結ぶ堅固な造りのBurrard Bridgeが決定づけた!この橋からBurrard Stのなだらかな坂を上がって行くと左側に、カナダ到着時、初めの1週間を滞在したYMCAがあるはずだ、今は高層住居ビルが立ち並んでいるが、小生が居た40年近く前には、高層ビルはSunset Beach沿いにはポツポツ建っていたが、この辺りにはほとんど、築100年近くの木造の住宅街が広がっていた、小生も、その一画のハウスキーピングの部屋を借りて住んでいた、この辺りはバンクーバーの繁華街が隣接しとても便利だった、謂わば小生の庭の様なもんだ!この橋から少し右へ降りて行ったところに、土・日の昼間と週日の夜に、小生が勤めていたBlack Top Cabsのタクシー会社があった!当時、通っていたVancouver Collegeも歩いて行ける、懐かしい・・・

なでしこ達よ、ここまでくれば勝負にこだわることはない!ドイツW杯に続いて2大会連続、アメリカとの頂上決戦を、思いっきり楽しんでくれればいい!佐々木監督、先発メンバーを全部入れ替えて戦っても良いではありませんか!?折角、W杯代表に選ばれ、バンクーバーくんだりまで来ているのに、ベンチ応援だけで終わることになるようでは、つまらん!連覇して、前回のドイツ大会では一人当たり650万円の優勝賞金・報奨金うんぬんよりも(今回は優勝賞金が上がり、前回の5割増し、900万円は下らないようだ)、佐々木監督、後生だから、全員サッカーで行きましょう! では明日の朝8時にお会いしましょう(;'∀')・・・

 

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