長州の復権を朝廷に嘆願するため上洛した久坂隊であったが、力づくで復権を迫ろうとした来島隊等に押しきられて御所・蛤御門に攻め込み、10倍の兵力を持つ幕府軍との戦闘に巻き込まれていった!来島隊が門を守る会津軍を圧倒していったが西郷吉之助率いる薩摩軍に無惨にも破れはてた!久坂隊も鉄砲隊に苦戦し痛手を負ったが、何とか堺町御門から鷹司邸に辿り着き、直に天子様への嘆願を迫ったが、『ならん!何故、御所を戦場にし、天子様に刃を向けた!?この御所にお主等の声を聴く者など居らぬは!』と聞き入られなかった!御所には大砲が撃ちこまれ戦場と化した!・・・
久坂は、入江九一と品川弥太郎に、直ぐ引き返し、元徳様の入京を止めるよう命じた、無念、文と一生生きる!との約束が果たせず!だが久坂は『人の命とは歳月の長さではない、10歳で死ぬものは、10歳の中に、20歳で死ぬものは、20歳の中に、それぞれ春夏秋冬が在り、実を結んでいる!もし同志の中で、私の心を継いでくれる人が居たら、私の実は空ではない!どうか一粒の籾(もみ)として、次の春の種となれますように!』松陰の言葉を思い出しながら、志し半ばとなって果たせなかったことは、長州に残る者に志しを託して、久坂と寺島は髪を切り、向かい合い、互いの剣で刺しあい自害した!文よ、俺の分も生きよ!そして久坂玄瑞は享年25の生涯を終えた!そして久坂等による天皇への嘆願は最悪の形で終わった!・・・
入江は弟・靖に志しを託し御所内で品川弥二郎をかばいながら、絶命した、品川一人が長州に戻り、元徳の上洛を止め、京で起こった全てを知らせた!やがて萩の実家にも、文と久米次郎のもとにも、その知らせは届いた!野山獄の高杉にも、妻・雅と前原一誠によって知らされた、『そげなつまらん戦さで、あいつらが死んだりするもんか!嘘じゃ、嘘じゃと言わんか!前原、嘘じゃと言わんか!』と晋作は嘆いた!すみは兄上・入江九一の死を品川から知らされた!品川は何回も土下座して謝った、「もう謝るな!」と弟の靖が泣きながら品川をねぎらった!・・・
長崎の伊之助と松島にも知らせは行った、松島剛蔵は弟の伊之助に言った「長州は朝廷を敵に回した!江戸藩邸には幕府の手が入り、長州藩士等は捉えられたものも出てきた!伊之助、はよう身を隠さねば!」・・・、山口藩庁の中河原御茶屋では、元徳等一行が毛利敬親に、幕府軍が長州へ攻め入り、長州征討の命が出たと伝えた!『我が藩は朝敵となったのか!?天子様が毛利を討てと!?』、この禁門の変で、朝廷は長州藩を朝敵とし、毛利敬親、元徳、親子の処罰を命じた!・・・
萩の実家から、文は久米次郎を連れて久坂家へ戻ろうとした、父・百合乃助が止めた「もう久坂家には戻るな、お前はこの家に居れ、藩からお達しがあった!此度の責めを負うて、久坂家の家名は断絶!久米次郎との養子縁組も破談となった!久米次郎は小田村家に返すようにと!」、文は一人久坂家に戻った、そこには役人達が入り、辺り一面は散らかされ、あらゆる書状が検(あらた)められていた、「藩命によってこの家は閉ざす!もう間もなく、門を閉ざす故、早々に立ち退け!」との沙汰が文に下された!文が手直した久坂の茶碗が壊されていた!文から次第に力が薄らいでいった!そこへやって来た久米次郎が、寅次郎教訓の一節を暗唱して文を励ました!帰らぬ父上を思うてか・・・