Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

北京五輪女子マラソン 2008年8月17日

2008-08-18 03:25:32 | 日記・エッセイ・コラム

親子カフェ

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昨日の男子100m決勝のウサイン・ボルトは凄かった、あのタイソン・ゲイはアサファ・パウエルと同組みの準決勝で4位に終わり姿を消した、100m決勝はボルトとパウエルのジャマイカ勢の一騎うちとなった、スタートして20mぐらいから196cmの長い脚がバネのように弾みウサイン・ボルト(22才)がぐいぐい前に出てカモシカが走るがごとく他を全く寄せ付けず、後半腕振りを止め両手を広げて流す様にしてゴールした☆☆

タイムはななな~~~んと、この5月ニューヨークでのリーボック・グランプリで樹立した彼自身の世界新9″72を塗り替える脅威の世界新記録9″69であった☆☆彼は黒い稲妻LIghtning Boltの異名を持ち100から200から400mまでをこなす末恐ろしいマルチスプリンターである、今後の彼の200/400mの走りにも注目していきたい・・・

今朝早々女子五輪マラソンの録画予約して氷丘南混声の音練のため氷丘公民館に出かけた、10分ほどの休憩の間、トイレに行く途中ロビーのテレビに思わず目をやった、そこには苦痛に顔をゆがめ歩き始めた土佐礼子の哀れな姿が映っていた、見てはいけないものを観てしまったような信じられない映像であった(・_・)

昨日の衣装チックで何時の間にかブレザーは本番衣装対象から外されていて、襟付き黒シャツを買う羽目になった、市民会館ホールでの通し稽古のあと寺家町商店街まで脚を伸ばし、メンズファッションプラザ“マエダ”で他の男性合唱団員のものより一味違う3990円の掘り出し物に目をつけて帰った・・・

今日の午後1時半から始まるセンタービルでの通し稽古へ行く前にマエダに立ち寄り昨日のフッショナブルな襟付き黒シャツを受け取り稽古場で加古川シティオペラの衣装スタッフに見せ衣装チェックを全てクリアした、今日の通し稽古で合唱曲全てを通してかなり正確に歌えている自分に気付き大きな自身になった、午前中の氷丘南混声の発声練習と鈴木憲夫作曲混声合唱組曲“ほほえみ”の中から‘ほほえみ’と‘めぐりあいの中に’2曲を歌いこんできているので声もよく出た・・・

5時過ぎ通し稽古から帰宅するとサッサッと風呂に入り夕食を済ませて、すでに結果の分かってしまった北京五輪女子マラソンのVTRを居間のデッキで観た・・・今日の北京は気温24℃湿度57%微風とコンデションとしてはそんなに悪くない、問題は装甲車も通る硬い石畳の路面が選手たちをいかに悩ませるかであった、現地時間8時30分ランナー達は一斉に横に広がって広い天安門広場をスタートしていった・・・

レースは1kmを3′54″というアップしているようなペースで進んでいった、3キロも11′13″で、北京大学内の両脇柏と松の樹が迫る狭い道にはいる、5キロ地点を18′24″で通過していく、アテネの銀メダリスト、リンダ・カスタ(米)が早くも脚を痛めてリタイアする、7km付近からぱらぱら雨が降ってきた、40人ほどの大集団が10kmを36′10″で通過して行く・・・

五輪でまだ無冠のポーラ・ラドクリフが集団の前に立ち15kmを53′52″を通過する、中村友梨香は集団の前に出ていたが、土佐礼子が16km付近から痛めている外反母指の影響が出てきたか集団から遅れ始めた、調子のよさそうなマーラ・山内の横で中村は健在のまま環状2号線に入る、19km付近土佐は苦痛で顔をゆがめ集団から1′07″遅れとなる、ルーマニアのC・トメスクが少し飛び出してトップ集団は20kmを1°11′27″で通過する・・・

土佐は後続のランナーに次から次と抜かれ見るも忍びない形相となり今にも止まりそうになる、土佐はこのマラソンに自分のマラソン人生の集大成にしようと望んでいたのに・・・トメスクは更にスピードアップしあまりにも急激なスパートで2位集団はあっという間に100mほど開いてしまった!!環状3号線に入りラドクリフやリディア・シモンが引っ張る2位集団はトメスクを追う、トメスクは快調に飛ばし25kmを後の集団に160m差をつけて1°28′16″で通過して逃げて行く・・・

ラドクリフと中村の勢いがなくなり集団から後方に置かれ始めた、集団とトメスクとの差が52秒差(250m)となりトメスクの独走態勢は更に強まった、2位集団はトメスクが通過してから1分15秒遅れ1°46′50″で30km地点を通過して行く、ヌデレバが何時の間にか2位集団に収まっていて集団の前に出て引っ張り始める、さすが女王である、左太もも疲労骨折の後遺症が徐々に深まりラドクリフの脚の蹴りが鈍ってきた、更に後方に置かれていった・・・

周春秀ともう一人中国ランナー張淑昌の二選手は8人の2位トップ集団で粘り精華大学を通過していく、2005年ヘルシンキ世界陸上でラドクリフが金メダルに輝いた時3位銅メダリストとなったトメスクの独走態勢はついに400m差となり35kmを2°01′55″で通過しゴールタイムが2時間27分台にまで上がる、中村がトップから遅れる事2′12″で35km地点を通過していく・・・

25km付近でリタイアした痛みと疲れで悲壮な涙顔の土佐が夫の敬三さんに抱えられ救急車に乗せられる映像が入る、ラドクリフが立ち止まりガードレールにつかまりながらストレッチをして少しびっこをひきながらまた走り出す、ヌデレバと中国の2選手とマーサ・コム(ケニア)がトメスクを追う、シモンとマーラ山内(イギリス)が後方に下がっていく、鳥の巣が目の前に大きく浮かびあがってくる、トメスクは40km地点を2°19′07で通過し鳥の巣の敷地に入っていく、41キロを過ぎあと1900mをのこす残すのみとなる・・・

金メダルは間違いなくトメスクに確定である、あとは銀と銅を誰が取るかである、トメスクが国営スタジアムのトラックに入ってきてあと300メートル・・・2°26′43″でゴール☆☆トラックには周とヌデレバが並ぶ様にして入ってきた、周がヌデレバの前に出て二人のバックストレートでのデッドヒートが展開された、キャサリン・ヌデレバが周をゴール前で交わし銀メダルを勝ち取った、周は3位銅メダリストとなった・・・

22歳2度目のマラソンの中村は13位2°30′19″でゴールし2012年ロンドンに向かけての挑戦が始まった、ラドクリフは23位2°32′38″で完走を果たした、コンスタンティナ・トメスク(38才)はよほど嬉しかったと見えてルーマニアの国旗を背負ってトラック外周を何回も何回もウイニングランしていた・・・

野口みずきが出場を断念した時そして補欠の天満屋の森下友が怪我治療中のため出場辞退した時補欠選手は複数人用意しておくべきであると小生は思ったと同時に、あんなにもう一度オリンピックに出たがっていたQちゃん高橋尚子に走らせてやりたかった、もったいない、尾崎好美も加納由理も小崎まりもいたではないか・・・

<ヘルシーワン/p>

コメント
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