半透明記録

もやもや日記

『夢のかけら』世界文学のフロンティア3

2008年09月04日 | 読書日記ーその他の文学

今福龍太・沼野充義・四方田犬彦 編(岩波書店)



《収録作品》
死者の百科事典(生涯のすべて)…ダニロ・キシュ
海岸のテクスト…ガブリエル・ガルシア=マルケス
最後の涙…ステーファノ・ベンニ
一分間…スタニスワフ・レム
災厄を運ぶ男…イスマイル・カダレ
ユートピア/奇跡の市…ヴィスワヴァ・シンボルスカ
ゆるぎない土地…ヴォルフガング・ヒルビッヒ
魔法のフルート…ボフミル・フラバル
かつて描かれたことのない境地…残雪
コサック・ダヴレート…アナトーリイ・キム
ハーン=ハーン公爵夫人のまなざし…エステルハージ・ペーテル
金色のひも…アブラム・テルツ


《この一文》
“私は走りはじめました。足音が幾重にも木霊してどこか闇の彼方に消えていくのが聞こえました。胸をどきどきさせて、息を切らせて「M」のところまで来ると、はっきりとそのつもりで、中の一冊を開きました。私にはもう分かっていたのです、どこかでこのことについてもう読んでいたのを思い出したんでしょう、これがあの有名な『死者の百科事典』なんだ、と。分厚い一冊を開くまでもなく、たちまち何もかもはっきりしたのです。 
   ―――「死者の百科事典」(ダニロ・キシュ)より ”



本というものを読みはじめてからずっと短編集やアンソロジーを好んできましたが、ひょっとしたら、私は間違っていた、あるいは間違っていないまでも絶望的に力が足りていないのかもしれないという不安に苛まれました。短編集やアンソロジーの短さと多彩さが私を喜ばせてきたのですが、面白く読んだわりに、すぐに忘れてしまう物語はあまりに多いです。物語が短いからといって、作者が言いたかったこともはたして些細な事柄であったとは言い切れないのではないか。私は今さらそんな疑念がわいてきて、どうにも落ち着きません。短編小説はもっと気軽なものだと思っていたのに。

私がこんな疑惑に悩まされることになった原因のひとつには、この『夢のかけら』の最初に収められているダニロ・キシュの「死者の百科事典」を読んだことがありそうです。『死者の百科事典』はダニロ・キシュの短編集で、ここに収められたのはそのうちのおそらく表題作です。先日読んだ『東欧怪談集』の中にも同じ短編集から「見知らぬ人の鏡」という話が収められていました。あちらも強烈でしたが、こちらはさらに強烈な物語でした。

「死者の百科事典」に描かれている【死者の百科事典】という書物は、おそらく私が求めてやまない種類の本であり、読みたくてたまらないと願いつつもそのことにずっと私は気が付いていなかった種類の本でもありました。
つまり、【死者の百科事典】には、無名のごく普通のなんでもない人物の生涯についてが事細かに記されています。著名な人物は含まれていません。物語の中で主人公は、2か月前に死んだ父の項目を読むことになります。一晩かけて、父の人生のすべてを。

死んでいったごく身近な人物のその生涯について、あるいは今はまだ元気に生きているやはり身近な人物のこれまでの生涯について、私はほとんど知ることがないのだという事実に愕然としました。かれらの生涯の断片を垣間見ることは出来ますが、しかしそのすべてについて知ることは出来ません。あの時どんな風に思ったのか、あの時なぜあんな風だったのか、ここへ来るまではどこをどう通って来たのか。

私は物語の中にさまざまな人生を、たとえ誰かの手によって描かれたものであっても本物の人生を見出すことは可能だと常々考えていたわけですが、生きている、あるいはこれまで生きていたすべての人々それ自体が短い、ささやかな物語であり得るということにはまったく気がつきませんでした。このダニロ・キシュによるほんの短い物語の終わりにさしかかった時、私はあんまり驚いたためか、涙が噴き出すのを止めることができませんでした。驚いたためなのか、この物語に備わったすべての人々への優しい眼差しのためなのか、あるいは私と私を取り巻く人々とのそれぞれの生涯が思われてのことなのか、理由はまだはっきりとは分かりませんが、いずれにせよ、私はたいへんな衝撃を受けました。そして、私は短編小説というものを自分がどのように考えていたのか、実のところこれほどまでの力を持つものだとは考えていなかったことなどを反省させられたわけです。


最初のこのお話があまりに強烈だったので、あとに収められたいくつかの物語は、ほとんど私を素通りしていきました。イスマイル・カダレの「災厄を運ぶ男」はちょっと印象的でしたが。
こんな風に、やはり誰かが一生懸命書いたものであるのは同じなのに、素通りしてしまう。こんなことでいいのだろうかと、少しばかり悩みました。ですが、やっぱりこれはこのままでいいのかもしれません。今はちらりとその姿を見ただけで通り過ぎてしまいましたが、いずれまたどこかで再会することもあるでしょう。
私を素通りしたり、そもそも私と出会うことさえない無数の物語があるように、私を素通りし、そもそも私と出会うことさえない無数の人々もいることでしょう。しかし、その中にはそのうちに私がその人のことを知りたくてたまらなくなるはずの人も含まれています。同じように、ひょっとしたら、すれ違った誰かが私のことを知りたくてたまらなくなるかもしれません。その時、【死者の百科事典】の在り処を知らぬ我々は、お互いが失われてしまった時点で、どうやってお互いのことを伝えたらいいのでしょう。もしかしたら珠玉の物語であるかもしれぬものが、今にも絶えずひっそりと消え去ってゆくことを、どう受け止めたらいいのでしょう。


ところで、求めているもの以外にも確かに存在する物語のすべてに正面から向き合い、そしてそのすべてを愛するということは私には不可能ですし、おそらくその必要もないのでしょう。きっと人間についても同じことです。物語も人も、私にとって必要な限りにおいて、興味深く愛すべきものであり、それで十分なものです。これまでと同じように、私は多くの短編や人物と出会っては別れ、ちょっと一緒に歩いたり、頻繁に思い出したりすっかり忘れ去ったりを繰り返すことでしょう。ここまでは、これまでと同じだと思います。
「死者の百科事典」が私を変えたとすれば、実際にどこかしら以前とは変わってしまったという実感があるのですが、それは多分、私が出会わない物語や人物、一言も言葉を交わすこともなくすれ違ってしまう物語や人物に対する意識でした。無いも同然だった彼等の存在を、今なら少し感じることができます。このわずかではありますが決定的な変化は、この先私を少し優しい人間にするかもしれません。そうだったらいい。そうだったらいい。



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2 コメント

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それにしても (piaa)
2008-09-04 22:32:16
すごい本ですね~
こんなのがあったとは知りませんでした。
レムも知らない作品だし、マルケスも新潮の全小説に含まれていない作品ですね~
でもこれはどういうセレクションなのでしょう。なんか統一感がないような…

先日河出から発売された残雪の「暗夜」が欲しいのですがあまりにも高い(約3000円)ので書店で指をくわえて見てきました。
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ほんと (ntmym)
2008-09-04 23:07:33
この本のラインナップは凄いですよね。私もこんな本があるとは知らなかったのですが、フラバルの作品を探していて見つけました。

残雪氏は変わった経歴の人みたいですね。この本に入っていた作品に関しては、けっこう面白かったです。昔のどこかの文学全集にもこの人の作品が入っていたような気がしますね。
新しい本は高いですもんね~(とか言いつつ、私は高価な古本を次々と……ああ!)
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