YOU TUBE ではっぱ隊の「YATTA」を、世界のいろいろな国の人々が楽しそうに踊っている動画を見て感動したという話は、以前にもここに書いたかと思います。私はアレを見るたびにやたらと満たされます。根拠のない落ち込み気分などは、あっさりと吹き飛ばされてしまうのです。それは曲自体の非常なポジティブさのためもありますが、何と言うか、一見バカバカしく見える彼らのパフォーマンスが、あっさりとどこか遠い国の誰かに受け入れられていると言う事実に、その度ごとに感動するからです。あの裸に葉っぱ付きのパンツ一丁という出で立ちのインパクトと、悲しみを転化する明るい曲調は、言葉は通じなくとも人の心に訴える力を持っているからに違いありません。「丸腰だから最強だ」。いや、まさに。踊りも含めて名曲です。
私が思うに、日本のものが世界に受け入れられているのが凄い! というばかりでなく、ここにはまだ考えるべき問題が隠されているのではないでしょうか。日本のものが外へ出ていくだけでなく、海外からのものを私たちはいつの間にか簡単に手に入れられるようになっています。日本人であれ、外国人であれ、はっぱ隊に魅せられる人もいれば、ほかのものを好きになる人もいる。誰がどういうものを好むかということと、国籍は関係ないのではないかなと思ったわけです。文化の違いによってある程度は好みにも差がみられるのかもしれませんが、それでも、私が好きなものを同じように好む人々が外国にもいくらか存在するということを、YOU TUBE の多くの動画は教えてくれるわけです。これは、例えば古典文学が数カ国後に翻訳されたりしてきたことと似ているようでもありますが、現在の凄いところは、あることが伝わっていることが目に見えて実感できるということですね。インターネットの普及というのは、やはり凄いことです。私は当たり前のような顔をして、こんな時代を生きているのです。
はっぱ隊のことで、私がもうひとつ考えていたのは、「ノスタルジー」ということです。私にはこの曲はものすごく懐かしい。私が学生だった頃はずっとウッチャンナンチャンが全盛で、いろいろな番組を好んでよくみていたものでした。はっぱ隊ついでの懐かしさから、ポケットビスケッツやブラックビスケッツといったウンナンのバラエティ番組発の音楽ユニットのいくつかの曲を聴いたりして、ますます懐かしさが募りました。「ああ、あの頃は平和だったよな。あの番組がすごく好きだったんだよなー。番組の次の日は、学校へ行くと、みんなでその話をしたものだった」と、懐かしさがどっと押し寄せます。それと同時に、今の子供たちは、私が子供だった頃に感じたような楽しさを、いったいどういうものに対して感じるのだろうと気になるのです。私たちはいつの間にか大人になりましたが(年齢的な意味で)、今の子供たちにどういう楽しいことを提供できているんだろう、と少々心もとない気持ちにもなります。少なくとも、今のテレビのバラエティ番組は、私にはそれほど魅力的ではないのですが、それは私が年をとったせいでしょうか。でも、今さらテレビ番組が子供たちの間に社会現象を起こすようなことはないように思えるのです。彼らが大きくなった時、ふと子供時代を振り返って、「ああ、あの時はああいうことがあってみんなですごく楽しかったんだよなー」と思えるようなものが、あるのでしょうか。あるのかもしれません。私の近くには子供がいないから分からないだけなのかも。それにまあ、そもそもそういうのは人それぞれですし、私などが心配するには及ばないのでしょうけれどね。
そんなことを考えながら YOU TUBE を流れていくと、「セカイのハレ晴レ。今日もまた何処かでハレ晴レ」という動画が目にとまりました。人気ラノベが原作のアニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』のテーマに振り付けられたダンスを日本だけでなく世界各国の若い人たちが踊り、それぞれで動画を投稿し、さらにそれを誰かがまとめたもののようでした。アジア、ヨーロッパ、北米、南米、いろいろな国の女の子と男の子が、ある女の子はハルヒのコスプレで、ある女の子はひとりで自分の部屋で、ある女の子と男の子たちはちゃんと5人揃ってイベント会場で、一生懸命踊っていました。でもって、みんな凄く上手。かわいい。
YOU TUBE : 『セカイのハレ晴レ。今日も何処かでハレ晴レ。第七版』
途中から、溢れるものがとまりませんでした。我ながらどうかしています、こんなことで泣いてしまうのは。でも、私はすごく感動したのです。動画をみせられることで、彼らのそれぞれが、友達や兄弟姉妹の間で打ち合わせながら、衣装を用意したり、振り付けを練習したり、それをイベントで発表したり、動画に撮ってサイトに投稿したり、そうした背景も見えてくるようでどうにもたまりません。同じものを好きな子たちが、同じようなやり方でそれを好きでいる。「ハルヒ」が好き、という点で、彼らはそっくりです。そこに妙に感激しました。いや、こういうことは今までにだっていくらでもあったには違いないとは思うのですけれどね。ビートルズが、あるいはある映画が、小説が、世界中でヒットしたとか。でも、なにか今までとは違うような気がします。特定の個人の熱狂が伝わる。しかも、今はそれがただちに目に見える形になるというのが、凄いじゃないですか。画面に登場するのがみんな若い人たちであるというのも、なんだかやたらと私を感激させます。
やっぱり私などが心配するには及ばなかったのです。私たちはたぶん、いつも何かを手放しながら、また同じ手で別のものを摑んで歩いているのでしょう。繋がったり離れたりを、いろいろな方法で試しているのかもしれません。それがいいことなのか悪いことなのかなんて、私には分かりませんが、インターネットの出現は私たちの在り方を変えつつあるし、それがどういうものであれ、前進か後退かも分かりませんが、私たちはともかく「移動しているらしい」ことが感じられるだけでもなんだか胸がいっぱいになってしまいます。
まとめられません。私ひとりで盛り上がっているだけです。
ただひとつ言えるのは、すごく面白いらしいという噂だけはきいていた『涼宮ハルヒ』ですが、いよいよそれがどういうものかが気になってきました。大勢が熱狂するからには、そこには何か魅力があるはずです。それで、結論から言うと、私はさっそくハルヒのテレビアニメ版を観たわけですが、ここには確かにその何かがありました。原作がラノベだからってバカにしてはいけません。アニメ視聴前の私には大いに反省してもらいたい!(正直、そんなに期待していませんでした。みなさま、ゴメンナサイ!) ああ、こりゃ、原作も読もうかな。
と、長くなったので、それについてはまた後日。
>日本のアニメが受け入れられるのは、もしかしたら、もっとも「日本的ではないから」ではないのでしょうか?
なるほど、そういう見方もあるかもしれませんね。実際、現代の日本には、もはやかつての日本にあったものは失われているのかもしれません。私にはそれがはたして良いことなのか悪いことなのかは分かりませんが。
「本物を見極める目」は、人種や民族に関わらず、ある人にはあるし、ない人にはないと私は考えます。また、私がここでとりあげたかったのは「それが本物か偽物か」「普遍的な価値があるか無いか」ではなくて、「それを好きか嫌いか」という問題でした。私はいくつかの動画を見て、世界の人々の「個人的な好き嫌い」の分布が、必ずしも国籍や文化的背景に拠らないのではないかなと思ったのです。
ねこきむちさんのおっしゃるように、日本と外国とで違ったものの見方が厳然と存在しているように思えます(欧米で人気のバンドが日本では人気がないことはたしかにありますよね)。しかし、それにもかかわらず同じ対象に同じ情熱を傾けることが大いにあり得るということにも気が付くべきじゃないかな、と思ったりするわけです。
日本人だから、というだけでなく、何かほかの要素によって、私たちは何かを好きだったり嫌いだったりすることもあるんじゃないかなーなんて。おんなじものを好きだったら、それが日本人だろうと外国人だろうと、やっぱり一緒に盛り上がりたくなりますよね!
そういうことに私は期待したくなるんですよ(^^)
アニメは少しだけしか観ていません。
レヴューはこちら↓
http://piaa0117.blog6.fc2.com/blog-entry-800.html
『日本人は「みんながうけいれるから、わたしも」外国のひとたちは、「わたしがおもしろいとおもうから」…云々』というねこきむちさんの感じ方こそ古すぎます。40歳くらいの人たちならそうかもしれませんが、いまどきの若い人たちは自分の好みがはっきりしています。
だからこそ「アメリカやヨーロッパで絶大な人気を誇るバンド」であっても、自分達の肌に合わない、とはっきり言えるようになったのではないでしょうか。かくいう私は46歳になりましたが、ビートルズなんて一度もいいと思った事がありません。
アニメも結構面白かったですよ☆ 絵は奇麗でしたし! って、でも原作の挿絵はイマイチですか; それはそれで興味ありますね。
「ハイペリオン」は劇中にも登場しましたが、私は前から読んでみたかった作品です。こちらも読みたい!