日経夕刊「シネマ万華鏡」で「今年有数の傑作」獲得。
中条省平氏をして「本年屈指の1本としてお薦めしたい」と絶賛の本作。
新宿まで行くのはちょっと・・・と躊躇していたのに、
何と!109シネマズMM横浜で公開中やおへんか!? というわけで早速映画館へGO
レディースデイだというのに・・・小ぶりのスクリーンでしたが、たった20数名。
う~ん、どうでしょう? 私は1/2
**********************
愛の勝利を
ムッソリーニを愛した女
**********************
< ストーリー >
洋裁店を営むイーダは、政治活動家若きベニート・ムッソリーニと恋に落ちた。
彼にのめり込み、自分の全財産を投げ打ってまで彼の理想を実現させようと献身的に支える。
やがて彼との間に男児を出産する、ムッソリーニが既婚者であることを知る。
自分こそが彼の妻であり、息子を認知させようとするイーダだったが、危険人物として精神病院に
入院させられ、息子からも引き離される。不当な入院であることを訴える手紙を書くも取り上げられ、
脱走するも連れ戻される。成長した息子も次第に心を病み・・・。
ムッソリーニとイーダ
社会主義活動家であった若き日のムッソリーニと出会ってしまったばっかりに・・・。
妻子がいることを隠して、自分に惚れた女を弄び、金を貢がせ(彼女が勝手に「これ使って」と
差し出したんだけれど)、疎ましくなったら邪険にして、権力を使って長年に亘って精神病院に監禁って
片や、イーダも好きになったら一直線。
愛に溺れ、全財産を貢ぎ、妻子の存在に気付いたら息子を盾に自分の方が妻に相応しいと迫る。
それが無理ならと息子の認知を求め付きまとい、精神病院に入れられても、ひたすら彼に執着する。
どっちもどっち。過激というか偏執狂的というか。
他人の人生、ここまで踏みにじっていいのか? ここまで踏みつけにされても、まだ追っかけるか?
これは果たして「愛」なのか? それとも「意地」の張り合いなのか?
「追えば逃げる、逃げれは追う」という、まずい恋愛パターンです。「押してもだめなら、引いてみな」
一体全体、彼女は何のために長年に亘ってこんな戦いを続けたのか?(彼女は高い所に登るのがお好き)
こんな「愛」の形・・・いやそもそも「愛」なの? 「愛」の変化形?
「かわいさ余って憎さ百倍」いや、度を越した愛は・・・危険です。
前半は女性目線で「何て奴だー」とムッソリーニを批判的に見ていましたが、
途中から「なんでここまで執着するかなぁ~?」とイーダを引いた目で見ておりました。
原題は「VINCERE」。イタリア語で「勝利」という意味のようです。
そして日本語タイトルは「愛の勝利を」。
う~ん、一途な思いを一生貫き通したっていうのはある意味「勝利」なんですかね?
ムッソリーニといえば、坊主頭にいつも帽子をかぶったファシストの独裁者というイメージ
しかなかったのですが、激動の人生です。 ウィキペディアは→こちら
wikiより
愛人も沢山いらしたようで、御盛んです。
wikiの英語版のよると、
長年隠蔽されていたイーダとムッソリーニの関係は2005年イタリア人ジャーナリストによって
明らかにされ、イタリアではTVドラマとして放映され、本が2冊出版されたとのこと。
映画では既婚者ムッソリーニと出会ったことになっていますが、ラケーレとの結婚はイーダとの関係の
後となってます。ここんとこ、どっちが先かって結構大事なところですよ。
イーダが先で、その後ラケーレに走って結婚となれば・・・イーダ像が変わります。
でも真実は闇の中。
昔の白黒報道映像を多用し、映画上映前のニュース映像で当時の時代の雰囲気を感じます。
終盤のムッソリーニは報道映像のみで描かれ、ムッソリーニを演じていたベニート・アルビノは
成長した息子を演じてますが、眼光鋭い俳優さんです。
イーダを演じるジョヴァンナ・メッゾジョルノが美しい。
「コレラの時代の愛」で見て綺麗な女優さんだなぁ~と思っていました。
そういえば「コレラの時代の愛」は、彼女に惚れて旦那さんが死ぬまで半世紀待ち続けた、
これまた一途な男の話でした。
人生をすべて捧げるほど愛する相手にめぐり会えたというのは、結末がどうあれ幸せなことなんかなぁ?
***** 見た 映画 *****
6月 8日 「愛の勝利を ムッソリーニを愛した女」@109シネマズMM横浜
中条省平氏をして「本年屈指の1本としてお薦めしたい」と絶賛の本作。
新宿まで行くのはちょっと・・・と躊躇していたのに、
何と!109シネマズMM横浜で公開中やおへんか!? というわけで早速映画館へGO
レディースデイだというのに・・・小ぶりのスクリーンでしたが、たった20数名。
う~ん、どうでしょう? 私は1/2
**********************
愛の勝利を
ムッソリーニを愛した女
**********************
< ストーリー >
洋裁店を営むイーダは、政治活動家若きベニート・ムッソリーニと恋に落ちた。
彼にのめり込み、自分の全財産を投げ打ってまで彼の理想を実現させようと献身的に支える。
やがて彼との間に男児を出産する、ムッソリーニが既婚者であることを知る。
自分こそが彼の妻であり、息子を認知させようとするイーダだったが、危険人物として精神病院に
入院させられ、息子からも引き離される。不当な入院であることを訴える手紙を書くも取り上げられ、
脱走するも連れ戻される。成長した息子も次第に心を病み・・・。
ムッソリーニとイーダ
社会主義活動家であった若き日のムッソリーニと出会ってしまったばっかりに・・・。
妻子がいることを隠して、自分に惚れた女を弄び、金を貢がせ(彼女が勝手に「これ使って」と
差し出したんだけれど)、疎ましくなったら邪険にして、権力を使って長年に亘って精神病院に監禁って
片や、イーダも好きになったら一直線。
愛に溺れ、全財産を貢ぎ、妻子の存在に気付いたら息子を盾に自分の方が妻に相応しいと迫る。
それが無理ならと息子の認知を求め付きまとい、精神病院に入れられても、ひたすら彼に執着する。
どっちもどっち。過激というか偏執狂的というか。
他人の人生、ここまで踏みにじっていいのか? ここまで踏みつけにされても、まだ追っかけるか?
これは果たして「愛」なのか? それとも「意地」の張り合いなのか?
「追えば逃げる、逃げれは追う」という、まずい恋愛パターンです。「押してもだめなら、引いてみな」
一体全体、彼女は何のために長年に亘ってこんな戦いを続けたのか?(彼女は高い所に登るのがお好き)
こんな「愛」の形・・・いやそもそも「愛」なの? 「愛」の変化形?
「かわいさ余って憎さ百倍」いや、度を越した愛は・・・危険です。
前半は女性目線で「何て奴だー」とムッソリーニを批判的に見ていましたが、
途中から「なんでここまで執着するかなぁ~?」とイーダを引いた目で見ておりました。
原題は「VINCERE」。イタリア語で「勝利」という意味のようです。
そして日本語タイトルは「愛の勝利を」。
う~ん、一途な思いを一生貫き通したっていうのはある意味「勝利」なんですかね?
ムッソリーニといえば、坊主頭にいつも帽子をかぶったファシストの独裁者というイメージ
しかなかったのですが、激動の人生です。 ウィキペディアは→こちら
wikiより
愛人も沢山いらしたようで、御盛んです。
wikiの英語版のよると、
長年隠蔽されていたイーダとムッソリーニの関係は2005年イタリア人ジャーナリストによって
明らかにされ、イタリアではTVドラマとして放映され、本が2冊出版されたとのこと。
映画では既婚者ムッソリーニと出会ったことになっていますが、ラケーレとの結婚はイーダとの関係の
後となってます。ここんとこ、どっちが先かって結構大事なところですよ。
イーダが先で、その後ラケーレに走って結婚となれば・・・イーダ像が変わります。
でも真実は闇の中。
昔の白黒報道映像を多用し、映画上映前のニュース映像で当時の時代の雰囲気を感じます。
終盤のムッソリーニは報道映像のみで描かれ、ムッソリーニを演じていたベニート・アルビノは
成長した息子を演じてますが、眼光鋭い俳優さんです。
イーダを演じるジョヴァンナ・メッゾジョルノが美しい。
「コレラの時代の愛」で見て綺麗な女優さんだなぁ~と思っていました。
そういえば「コレラの時代の愛」は、彼女に惚れて旦那さんが死ぬまで半世紀待ち続けた、
これまた一途な男の話でした。
人生をすべて捧げるほど愛する相手にめぐり会えたというのは、結末がどうあれ幸せなことなんかなぁ?
***** 見た 映画 *****
6月 8日 「愛の勝利を ムッソリーニを愛した女」@109シネマズMM横浜