映画の話でコーヒーブレイク

映画の話を中心に、TVドラマや旅行の話などを綴ります

ピグマリオンとマイ・フェア・レディー

2008-01-17 | 複数の映画
1月21日はオードリー・ヘップバーンの命日です。

亡くなって十五年近く経ってもいまだ人気は衰えず、
常に好きな女優ランキング上位に入るオードリー・ヘップバーン。
                   

私も御多分に洩れず一番好きな女優はと聞かれれば、やっぱりオードリーです。

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        ピグマリオン (1938)

    マイ・フェア・レディー(1964) と
          プリティーウーマン(1990)

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彼女の主演映画で真っ先に思い出すのは、「ローマの休日」と「マイ・フェア・レディー」。

たまたまビデオショップの古い映画コーナーで、「マイ・フェア・レディー」、「プリティー・ウーマン」のオリジナルであるバーナード・ショー原作「ピグマリオン」を見つけました。これはミュージカルではありません。

       

ヒギンズ教授をレスリー・ハワードが、イライザをウエンディー・ヒラーが演じています、って言っても「だれ?」ですよね。

レスリー・ハワードは「風と共に去りぬ」で腹立たしいほど優柔不断な、「何でスカーレットは彼に惹かれちゃうわけ、どこがいいの?」としか思えなかった気の弱~いアシュレーやってた人です。この映画では別人のようで、自信たっぷりで傲慢だけれどちょっぴりおかしな英国紳士を演じつつ、監督もやっています。

ウエンディー・ヒラーは「オリエント急行殺人事件」でロシアの亡命貴族の老婦人をやっていた方です。

この映画では「アラビアのロレンス」や「ドクトル・ジバゴ」の監督デビッド・リーンが編集で名を連ねています。
1938年制作なので白黒で画像は悪いですが、ストーリーは「マイ・フェア・レディー」とほぼ同じです。


このお話、
元々は古代ギリシャ神話、オイディウスの「変身物語(メタモルフォーゼ)」って仮面ライダーか何たら戦隊みたいな名前ですが、現実の女性に失望したキプロス王ピグマリオンが理想の女性の像を作り恋に落ち、愛の女神アフロディーテに人間にしてもらい妻にするというお話しです。

下町の花売り娘に淑女のたしなみを教え込む紳士をピグマリオンになぞらえたということですね。
でもこれって、ひとつ間違えると現代では犯罪になりかねません。

「マイ・フェア・レディー」はオードリーのため息がでるような美しさと斬新で豪華な衣装、
そしてミュージカル仕立ての華やかなハッピーエンドのシンデレラストーリー。

エンディングで「僕のスリッパはどこだい?」というせりふはハッピーエンドを示唆しているのでしょうか?
前からこのエンディングってどういうこと?と腑に落ちませんでした。

当時、英国上流階級の言語学者と花売り娘って言うのは、現代のハゲタカファンドのCEOと娼婦(「プリティー・ウーマン」です)っていうぐらいありえないカップルでしょう。
たかだか百年ほど前の英国が舞台の「ミス・ポター」で
「商人なんか家に入れないでちょうだい。空気が汚れます」とおっしゃった上流階級の母親の発言に、
ぶったまげたけれど、そこから察するにやはり二人のハッピーエンドってありえないのです。

プリティーウーマンでも、「いったい彼女は何を望んでるの?現実的に考えて結婚はありえないんじゃない?」というなんとも消化不良の結末でした。


「一番影響を受けた本は何ですか?」と聞かれて「銀行の預金通帳だ」と答えるような皮肉屋のショーがこんな少女マンガみたいな結末を書くとは思えません。

というわけで調べてみたら、な、なんと、オリジナル戯曲の結末はイライザとヒギンズのハッピーエンドではないのです。
イライザはヒギンズのもとを去り、フレディー(「君の住む街で」を歌っていた彼です)と結婚するのです!

ショーはオリジナルの結末に固執し、何故二人の結婚がありえないかというエッセイまで書いているらしいのですが、映画では監督らがハッピーエンドの可能性を残した曖昧な終わり方に変更したようです。
この映画の脚本でショーは第11回アカデミー脚本賞を受賞しているってことは、最終的にこの結末を受け入れたってことでしょうか?

でもフレディーと結婚という結末はなんとも締まらないですね~。
という訳かどうか、以降リメイクも同じ曖昧な結末を踏襲しているのです。


英国に行ったことはありませんが、今なお住む場所・話し方・楽しむスポーツ等で社会的地位がわかる階級社会だと聞き驚きました。
サッカーは労働者階級のスポーツって、日本人にはちょっとびっくりです。(上流の方はラグビーやポロですって。)

ショーの戯曲「ピグマリオン」は、そんな英国の階級社会を痛烈に皮肉った風刺劇です。
下層の下品な花売り娘でも、見かけを美しくし、上品な振る舞いと話し方を教え込めば、社交界で見破れるものなどいやしない、所詮上っ面がしか見ていないと皮肉っています。
舞踏会でヒギンズの弟子と名乗るハンガリー人言語学者が、
「英国人は英語の正しい話し方を知らない。あんな完璧な英語を話せるのは、教育を受けた外国人だけだ。」
そしてあろうことか、「イライザは王家の血を引くハンガリー人に間違いない」と太鼓判を押す。

これこれ、ショーさん、完璧な英語を話せるのは外国人ってあーた・・・勉強不足ですみません。
完璧な英語への道は、果てしなく遠い・・・。
出来ることならヒギンズ教授に教えを請いたいもんです。

「人は見た目が9割」なんて本もベストセラーになってるくらいだから、外見もそれなりには整えなくっちゃね。

舞踏会の後、してやったりと喜ぶヒギンズたちを見て、イライザは自分が実験道具に過ぎなかったことに気付く。
彼女は半年の特訓で、成長し自我に目覚める。
結婚でもすればと言われ、
「花は売っていたけれど、この身を売ったことはない」とかえし、
「どう扱われるかによって、レディーにも花売りにもなるのよ」と言う。

彼女の父親も無学で困り者だけれど、
「10ポンド払う」と言うヒギンズに、
「10はいらねえ。5ポンドがいい。持ち過ぎは身の破滅だ」と答える。
人を騙して喜んでいるヒギンズたちと、イライザや彼女の父親と、果たしてどっちの人間性に好感が持てるでしょうか?

まあ、磨いたからってここまで上品で美しくなれるのはオードリーだからですよね。
でもその美しさゆえに、ショーの風刺がかすんでしまっている気がします。


この映画は、1965年のアカデミー賞で監督・主演男優(レックス・ハリスン)・作品賞など12部門で獲得しましたが、オードリーは主演女優賞を取れませんでした。
ブロードウェーの舞台でイライザを演じ大ヒットさせたのに映画でキャスティングされなかったジュリー・アンドリューズが「メリー・ポピンズ」でこの年の主演女優賞を獲得したのはなんとも皮肉です。
(この役はジュリー・アンドリューズがするべきだと、当初オードリーは辞退したそうです。)

          

*アスコット競馬場の衣装が印象的ですが、私個人としては「君の住む街で」の場面でオードリーが着ているオレンジの服が好きです。(残念ながら写真がありませ~ん。)


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2 コメント

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Unknown (anemone)
2008-01-18 19:01:30
楽しく拝見しました。そう!私もこの映画にはまった若かりし頃、オードリーの美しさにころっとだまされ・・・いや心奪われ、吹き替えとは知らずに「一晩中踊り続けたい」や「君すむ街角」の入ったレコードを買い求めました。
 衣装のすばらしさとオードリーの魅力は、原作の意図やねらいを吹き飛ばすインパクトでシンデレラストーリー大好きな乙女心をとらえましたよ。
今や現実を生きるおばさんとなった私には、「どう扱われるかによって、レディーにも花売り娘にもなる」というセリフにドキッ!
たとえおばさんとして扱われたとしても、レディーの気持ちで生きてやる。
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ありがとうございます (anemoneさま)
2008-02-03 11:28:38
オードリーの美しさ、衣装の素晴らしさに異を唱える人はいませんよね。
「おばさん」なんて言わせないぞ~!の心意気で頑張りましょう!
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