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私の直方の風景

私の住んでいる直方の好きな風景を紹介します。

★「旧蔵内邸」に行って来ました~その3(邸内)

2017年03月30日 21時36分53秒 | 郷土の歴史
「旧蔵内邸」に行って来ました~その3(邸内)

”平成27年に国指定名勝の「旧蔵内邸」のみどころ”~「邸内」について・・・
私自身の観察力や勉強不足ですが、各所にある説明板などを引用して、ピックアップします。

旧蔵内邸の門を入ると、全般的な説明板があります。


邸内の配置図です。


大玄関間に入ります。土間には、大理石が使われています。




庭園の眺めを取り入れた丸窓のある茶室です。



外からみた茶室です。丸窓が見えます。


主屋の玄関間です。


仏間の壁紙に使用されている豪華な「金唐革紙(きんからかわし)」です。
現存するものは、国内に数例の貴重なもの、とのことです。


居間です。


中庭の様子です。


現在は、展示室となっている「宝蔵」です。


座敷です。


18畳間が、2つ続く最大規模の大広間です。




縁側には、屋久杉を使った弓型の高い天井が、連なっています。




控間の説明です。


裏庭の様子です。



白と灰緑色の大理石を使用したハイカラなデザインの浴室です。




*筑豊の炭鉱主の邸内の様子のご参考;こちらもどうぞ・・

☆花子とアンと伊藤伝右衛門邸☆その1  2014年08月27日
☆花子とアンと伊藤伝右衛門邸☆その2  2014年09月12日

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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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★「旧蔵内邸」に行って来ました~その2(庭園)

2017年03月28日 23時15分58秒 | 郷土の歴史
「旧蔵内邸」に行って来ました~その2(庭園)

筑豊の炭鉱主の邸宅を見学する際には、その庭園の規模や美しさに驚かされますが、
「旧蔵内邸」も回遊式庭園で、池の水は農業用水路の利用など、工夫され、
池を中心に庭園の景色を楽しむことが出来るよう、茶室や座敷などが、配置されています。

”旧蔵内邸のみどころ”~「庭園」について、説明板を引用します。


座敷から見た庭園や回遊した際の、スナップ写真です。


丸窓の部屋は、茶室です。












*筑豊の炭鉱主の邸宅の庭園のご参考;こちらもどうぞ・・


*旧伊藤伝右衛門邸のお雛様見物に行って来ました*~その3庭園~  2015年03月31日


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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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★「旧蔵内邸」に行って来ました~その1(ひなづくし)

2017年03月26日 14時15分21秒 | 郷土の歴史
「旧蔵内邸」に行って来ました~その1(沢山のお雛様です)

先日、3月11日(土)に、築上町の旧蔵内邸に行って来ました。
日本の産業近代化を支えた筑豊の炭鉱主の大邸宅は、旧伊藤傳右衛門邸(飯塚市)、麻生本家(飯塚市)、
旧貝島六太郎邸(宮若市)、旧堀三太郎邸(直方市)などは、過去に、私も見学に訪れましたが、
旧蔵内邸(築上町)については、今まで、出掛けるチャンスがありませんでした。
今回、ご案内して頂いた、TKさん、お世話になり、本当に有難うございました。(^_^)/~

さらに、今回、旧藏内邸のひなまつり~「旧蔵内邸 ひなづくし」(2月2日~3月14日開催)の
催しに、間にあったので、邸内のあちこちで、いろいろなタイプの雛飾りを見物することが出来ました。

なお、旧蔵内邸は、福岡県築上郡築上町の田園風景の中にありますが、敷地面積7,200㎡、
延床面積1,250㎡と広大な屋敷で、国指定名勝(平成27年3月10日指定)となっています。

また、旧藏内邸は、藏内次郎作、保房、次郎兵衛の藏内家三代の住宅で、明治時代から昭和前期まで
筑豊地方を中心に峰地坑(添田町)、大峰坑(大任町・川崎町)などの炭鉱を経営し、大正5年、
藏内鉱業株式会社を設立し、その後、大分県尾平鉱山で錫、長崎県の大串金山で金の鉱山も経営しています。
大正8年には全国第6位の石炭産出高を誇りました。
*筑豊には、数多くの炭坑がありましたが、峰地坑(添田町)、大峰坑(大任町・川崎町)の位置関係図です。


右手、貴船神社の参道から、左手の広大な旧蔵内邸に入ります。






風格のある大玄関に入ります。大玄関は、土間と玄関の間で、15坪もの広さがあります。


早速、大玄関の間に、豪華な雛飾りが、迎えてくれます。
「旧蔵内邸 ひなづくし」(2月2日~3月14日開催)の見学開始です。


旧蔵内邸を見学した際の、チラシです。青色部が、見学可能なエリアです。それにしても広い!!です。
















さて、邸内で最も広い、18畳間が2室続く大広間に入ります。天井の高さは、3.45mもあります。
ズラリとひな人形が展示されていました。


















*お雛様のご参考;炭鉱主邸宅のお雛様・・・こちらもどうぞ・・

☆直方の五日市ぶらり散歩☆(4)直方歳時館(旧堀三太郎邸)  2015年03月08日

*旧伊藤伝右衛門邸のお雛様見物に行って来ました*  2015年03月28日


*旧伊藤伝右衛門邸のお雛様見物に行って来ました*~その2~  2015年03月30日


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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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●大河小説「青春の門」の再スタート;●その3 ”筑豊富士”散策

2017年02月15日 22時28分52秒 | 郷土の歴史
「青春の門」のイメージ散策;その3”筑豊富士”散策

「青春の門フォーラム」が終わって、タイムスリップをした余韻の中で、
「青春の門」の小説や映画の場面、山本作兵衛さんの炭坑画の世界、自分でも経験した現代の国内外の石炭採掘の世界、
今身近に通勤している田川地区の炭坑の面影等々、色々なことを、頭の中でぐるぐると思いめぐらしました。

そして、新飯塚駅から、会場への道を歩きながら見た「炭坑の風景」を残すぼた山が、改めて魅力的な
新鮮な風景に思えました。今はすっかり、緑豊かな普通の小山の風景と変わらない姿ですが・・・

そこで、飯塚市のコミュニティセンターを後にして、のんびりと町なか歩きをしながら、
「旧住友忠隈ぼた山”筑豊富士”」の近くの菰田地区に向いました。
普段、田川で感じている「青春の門」の舞台背景を、飯塚でも何となくイメージしながらの散策です。
次は、歩いた際の経路図(googleより)です。


”筑豊富士”のこの辺りは、炭坑長屋(炭住)の面影を残す家並みがあり、
NHKBSプレミアムの新日本風土記「筑豊」の中でも大きく登場しました。
その際の、今は緑豊かな「旧住友忠隈ぼた山”筑豊富士”」を背景としたTV画像です。






その中で55年余り、当時から営業を続け、活き活きと紹介されたのが、池松酒店です。
炭坑華やかなりし頃の賑わいの様子など、池松酒店の主人や女将さんから説明があり、
池松酒店に集う「角打ち」仲間の皆さんの想い出話しに花が咲いていました。
(放送後、私も”勉強”を兼ねて、池松酒店で、楽しい角打ち体験をしました。(^_^)/~)




若い頃の石原裕次郎も輝いています。


棚に飾られた酒樽容器が、池松酒店の歴史を感じさせてくれます。


*NHKBSプレミアム新日本風土記「筑豊」について*
2016年6月24日放送され、筑豊の風景、直方、飯塚、田川などの炭坑時期の生活や現在の
文化、炭坑節・川渡り神幸祭などお祭り風景が、広く紹介されています。

”筑豊富士”の麓のバイパス道路など、菰田地区周辺をしばらく散策してから、飯塚駅へ向います。






飯塚駅に着いてから、振り返った”筑豊富士”ぼた山の風景です。




飯塚駅のかっぱ地蔵さんです。私もお賽銭を寄付しました。
左のたぬきさんは、筑豊の炭坑で良く見られる大変硬い木の化石(硅化木)の上に立っています。


少々歩き過ぎて、足ががくがくしましたが、気持ちは大満足で、飯塚駅から直方駅に帰ります。

●補足● 
五木寛之は現在84歳、「青春の門」は、第一部「筑豊編」を36歳の時に、1969年からスタートして、
第八部「風雲篇」の1994年4月連載途中で中断、最初のスタートからは、今年で48年目となります。
そして、今回の執筆再開は、中断から23年ぶりということで、かなりの話題となっております。
今回の「新青春の門 第九部漂流編」再スタートの舞台はシベリアで、時代は1960年代の前半、
伊吹信介29才という設定です。筑豊に戻り、新たなる展開になるという、信介の今後が大変期待されます。

今回の「新青春の門 第九部漂流編」再スタートにより、掲載誌「週刊現代」の販売もかなり伸びたようです。
私も、「新青春の門 第九部漂流編」再スタートの「週刊現代」を、早速購入して読みました。
その「週刊現代」には、「青春の門」の流れが、簡潔にまとめてあり、その記事の一部を加工して、ピックアップします。


こちらもどうぞ;**「旧住友忠隈ぼた山”筑豊富士”」について**  2012年09月14日

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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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●大河小説「青春の門」の再スタート;●その2

2017年02月12日 23時23分26秒 | 郷土の歴史
大河小説「青春の門」の再スタート;その2

青春の門フォーラム」に参加;その2
さて、会場に到着です。飯塚市のコミュニティセンターは、中央公民館図書館などの施設になっています。




コミュニティセンター前の広場では、ちょうど「筑前飯塚・地産大豆de節分まつり」が
開催され、子供たちや家族でにぎわっていました。
こういう風景も、地域盛り上げの雰囲気が伝わってきて、良いですね~。


さて、飯塚市のコミュニティセンターに入ります。1階は飯塚市立図書館になっています。
ちょうど、蔵書点検期間中ということで、図書館は休館日でした。
ロビーでは、フォーラム出席の知り合いの方たちとも、偶然にお会いし、雑談に花が咲きました。
初めての場所で、時間も少々あったので、ロビーをあちこち眺めました。
館内入口には、飯塚山笠が飾られていました。




さて、「青春の門フォーラム」会場の4階に上がります。会場への案内ポスターです。
よく見ると、かっての香春岳一の岳と、削り取られた現在の一の岳の写真が並んでいます。


そして、青春の門の映画のポスターや撮影時のそうそうたるスターが並んだ写真です。
サイン入りで、1974年のメモが入っています。門司の松永文庫からの寄贈のようです。


フォーラムの内容から、年配者(つまり信介世代)が多く、三々五々に集まられ、
静かな中にも、熱気が盛り上がりそうな会場風景です。




まず、第一部は、田川市石炭・歴史博物館の安蘇龍生館長による講演です。
タイトルは、「『青春の門』の時代に生きて~あの頃の筑豊」です。


続いて、第二部は、西村隆幸局長の歯切れのよい、名司会のもとで、
安蘇館長と筑豊総局の若手記者2人(山本諒記者、広田亜貴子記者)のパネリストが
「おかえり信介しゃん」のテーマで、パネルディスカッションでした。
若手記者2人は、まだ若き20歳台で、筑豊の「青春の門」の舞台の取材、五木寛之への
インタビューの様子などを紹介してくれました。
その経過や内容は、私も西日本新聞を見て、あらかじめインプットしておきました。


安蘇龍生館長は、田川伊田の地元出身で、教育畑を歩まれる傍ら、石炭の歴史や
炭坑社会の仕組みを研究され、しかも博物館の現館長という経歴で、まさしく専門家です。

若手記者2人は、30歳前ですが、今回の新聞記事への取り組みは、本当に
一生懸命取り組んで、成果を出しており、私も新聞を読んで、真摯な姿に感銘を受けました。

ディスカッションや会場からの様々な経験談や熱心な意見が出され、「青春の門」に対し、
大歓迎する一方で、描かれ方への疑問が出されるなど、色々な見方があるものだな―
といろいろと勉強になりました。

確かに、筑豊という風土の中で生活し、炭坑の仕組みや共同生活の実態も知る方や、
研究しておられる方々にとっては、「青春の門」の展開ストーリーは、
小説の特性かも知れないが、部分的であり、炭坑社会の制度上間違っている
部分もあるという指摘もありました。

ともすればマイナスイメージの、荒っぽい気風や暴力的な風土という強い印象で、
描かれているが、本当は、温かい助け合いの共同社会が形成された、という
プラスイメージが大きいのに・・・という気持ちもあり、です。

五木さんにとっても、母親の里の八女から、はるばると飯塚や田川へ自転車で来て
「筑豊でお茶の行商」をした際に、そのキップの良さや人間味にあふれ、
全国から集まった働く者たちの「共和国」があり、気風に憧れた、との好印象を持ったとの事です。
いずれにしても、「筑豊」という地域社会を取り上げて、一気に全国に広めてくれた功績にたいしては、
五木さんには、感謝です。

そして、伊吹信介と同世代の青春時代を過ごした方たちにとっては、大事な自身の
日記のようなものでもあるでしょう。会場からもそういう雰囲気が感じられました。

私にとっても、大変勉強になりました。

また、会場入口の廊下には、映画「青春の門」のロケ風景、松永文庫からの
寄贈写真、当時のスター達とのスナップ写真、サイン入り写真などがズラリと並べられ、
どれも懐かしく素晴らしいものでした。
特に来場者の皆さんにとっては、自身の青春時代にタイムスリップ出来たに違いありません。
私にとっても感動的なものでした。以下は、うまく撮れませんでしたが、その雰囲気の例です。












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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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●大河小説「青春の門」の再スタート;●その1

2017年02月11日 22時41分29秒 | 郷土の歴史
大河小説「青春の門」の再スタート;その1

五木寛之の1969年スタートの大河小説「青春の門」が、「第8部 風雲篇」の途中
1994年(平成6年)4月以来、23年ぶりに週刊現代(平成29年2月4日号)で、
「新 青春の門」第九部”漂流編”として、再スタートしました。
これに先立ち、地元の西日本新聞社筑豊総局では、正月から再開記念の特集を組んで、
「おかえり信介しゃん」、五木寛之へのインタビュー「語る新青春の門」記事が
連載され、私もこれらの記事内容を興味を持って読みました。

「青春の門」については、以前のブログですが、こちらもどうぞ
●香春岳;「青春の門」の舞台、烏尾峠よりの風景  2016年06月16日

◎『青春の門・筑豊編』の舞台  2015年10月27日

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そして、去る1月29日、飯塚市のイイヅカコスモスコモンの向い側にあるコミュニティセンターで
「青春の門」を語ろう、の「青春の門フォーラム」があり、私も参加出席して充実した時間を過ごしました。
主催は、西日本新聞社、飯塚市立図書館です。

今回は、まず、私の”道中記”です。位置関係を示します。


直方駅から、福北ゆたか線に乗り、新飯塚駅で降ります。
ちょうど駅構内通路には、お雛様が飾られて、しばし華やかな気持ちになりました。


飯塚は、2月~3月にかけて、市内各地で、町をあげての「雛(ひいな)のまつり」が、開催されます。
旧伊藤伝右衛門邸、千鳥屋本家、麻生大浦荘、商店街、市内各地が雛まつり会場になっています。
次は、素晴らしく豪華な旧伊藤伝右衛門邸の雛飾りを見物した際の、ブログです。
*旧伊藤伝右衛門邸のお雛様見物に行って来ました*~その2~  2015年03月30日

*旧伊藤伝右衛門邸のお雛様見物に行って来ました*  2015年03月28日

大きな麻生飯塚病院の病棟群の横を歩きます。


私もこの病院に何度かお世話になっております。


歩いて遠賀川(嘉麻川)の沈下橋を渡ります。
沈下橋の向こうに、筑豊富士の名前で呼ばれる忠隈のぼた山が見えます。


そして、内住川です。沈下橋とぼた山と水鳥の遊ぶ風景が、のどかです。


内住川の河川敷に白蓮の歌碑があります。



「師の君の 来ますむかふと 八木山の 峠の若葉 さみどりのして・・・白蓮」とあります。


この辺りは、俳優の火野正平が自転車で巡るNHKBSの「日本縦断~こころ旅」に
登場しており、私もその時の映像を思い浮かべながら歩きました。

★☆NHK番組特記 「日本縦断 こころ旅」 九州上陸!★☆  2011年11月05日

**「旧住友忠隈ぼた山”筑豊富士”」について**  2012年09月14日

そして、嘉穂劇場のそばを通ります。炭坑の繁栄の頃の風情を色濃く残す
嘉穂劇場は、昭和6年に開場し、江戸時代の芝居小屋の特徴である
「桝席や花道、廻り舞台等」を持つ、貴重な施設です。






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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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直方駅前の風景;スーパー「サンリブ直方店」移転、そして現在

2017年01月11日 10時55分26秒 | 郷土の歴史

直方駅前の風景;スーパー「サンリブ直方店」移転その後


直方駅前の須崎町商店街入口そばにあった「サンリブ直方店」が昨年8月末に閉店し、
市内の知古に新築移転、11月にオープンして、2か月余りが経過しました。

旧店舗は直方駅近くの立地でしたが、老朽化が著しい、ということで、
旧店から1.5kmほど北側の直方第三中学校入口交差点前にあった
鉄工所跡地に移転したものです。
旧店舗は、1972年に開店し、44年間あまり、私にとっても便利が良く、
たびたび利用したものです。店内の商品の配置が鮮明に頭に浮かびます(^_^)/~
また、直方駅から近いこともあり、近隣の町村の年配者の買い物の楽しみでもありました。

今度の新店舗は、直方駅から、徒歩で約1.5kmの知古にあり、約20分かかります。

という訳で、私も大いにお世話になった懐かしさを込めて、旧店舗と新店舗を眺めてみました。

旧店舗と新店舗の位置関係です。


8月末まで、営業していた際の、須崎町公園側から見た風景です。右手に「鍋料理の鳥松」が見えます。


同じ場所から、現状を眺めます。右端は須崎町商店街入口です。


直方駅前から、現状を眺めます。左手茶色の建物は、「社会保険直方病院」です。
真ん中の「サンリブ直方店」の旧店舗は、現在、解体工事中です。右手背景は、雲取山です。


同じく、解体中の「サンリブ直方店」の旧店舗です。左手は、料亭「毘沙門天」です。


知古の新店舗です。
新しい「サンリブのおがた」は2階建てで、売場面積は約5,000㎡、
総合スーパー「サンリブ」を核店舗とし、1階には、百貨店「井筒屋」などが出店、
2階には、家電量販店「エディオン」などが出店しています。
また、旧店舗に比較して、駐車場が広く(1階が広く、さらに2階にもあります)
店内も明るく、買い物しやすい配置になっています。


直方3中入口交差点からみたサンリブです。


「直方3中入口交差点」の信号機付近からです。背景の右側に、福智山が見えます。


直方在住者にとって、「サンリブ直方店」の旧店舗は、古くから馴染みのスーパーでもありました。
更に昔を振り返ると、林芙美子が通った映画館「開月館(かいげつかん)」跡でもあります。
こちらもどうぞ
●直方「林芙美子忌」と「開月館案内板」のこと  2016年07月02日

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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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初詣2017;風治八幡宮(田川市伊田)

2017年01月07日 23時04分46秒 | 郷土の歴史
初詣2017;風治八幡宮(田川市伊田)

田川への通勤の際にいつも側を通り、ご挨拶をしている風治八幡宮さんにも、遅ればせながら、初詣しました。
元日早々には、長い参拝の列が続き、絶大な信仰があります。
私の場合は、1月4日の早朝でしたので、静かな参拝でした。

1.田川伊田駅より歩いて、伊田商店街入口から、風治八幡宮を見ます。


2.最初の鳥居を通ります。




3.次の鳥居を上がり、拝殿に向います。そして、お参りします。




4.2本煙突と竪坑櫓が、境内のイチョウの樹の背後に左右に見えます。


5.境内の社務所の横にそびえる夫婦銀杏です。


冬場は、すっかり落葉状態ですが、晩秋の黄葉は、こんなに素晴らしいです。


6.ご由緒です。




年間祭儀です


風治八幡宮さんについては、2016.6にNHK・BSプレミアム
「新日本風土記」の『筑豊』の中で川渡り神幸祭が特集されています。
何と言っても最高に盛り上がる川渡り神幸祭は、五月第三土・日曜日に、
福岡県無形民俗文化財に指定され、県下五大祭りに数えられています。
私も昨年、5月21日~22日に初めてじっくりと見ることが出来、感動しました。

こちらもどうぞ


◎「風治八幡宮の川渡り神幸祭」~その1


◎「風治八幡宮の川渡り神幸祭」~その2 彦山川の川渡り


◎ 「風治八幡宮の川渡り神幸祭」~その3 にぎわいの露店


◎ 「風治八幡宮の川渡り神幸祭」~その4「お旅所」


◎「風治八幡宮の川渡り神幸祭」~その5 熱気を伝える町の風景


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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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初詣2017;お多賀さん(多賀神社)

2017年01月05日 21時57分25秒 | 郷土の歴史
◎初詣2017;お多賀さん

元日の夕刻、お多賀さん(多賀神社)に初詣に行きました。

多賀神社の一の鳥居から参道に入ります。この一の鳥居の銘は、
江戸時代の黒田家に仕えた儒学者貝原益軒の書です。


福北ゆたか線、平成ちくほう鉄道が走る袴線橋を渡ります。


次の鳥居を昇ります。


広場に上がると、今迄人影が少なかったのですが、一気に人波に出会います。
この広場の一角は、広い駐車場になっています。つまり、参拝者の大部分は、
鳥居を歩いて上がるのではなく、車で駐車場広場に入り、参拝に訪れているのです。
駐車場は車で満杯状態で、参拝者もズラリと並んでいます。
私もその列に入り、周囲をキョロキョロと眺めつつ、写真も撮ります。
順番待ちで、私の参拝までには、30~60分はかかりそうな予感です。
お祭りにお馴染みの出店もあります。「梅が枝餅=梅安餅」にも、多くの人が、
並んでいます。昔から変わらない味ですが、私も並んで購入します。


右手に林芙美子が直方滞在の少女時代、願をかけたという、馬の銅像です。




一段高く楼門に上がります。


楼門を通過して、本殿の広場に入ります。列に並んだまま、左右のお札売りや
飾り物販売の様子を眺めます。おみくじがびっしりと結び付けられています。
夕刻の多賀神社参りですが、夕陽も沈み、提灯の明かりが輝き始め、正月気分を盛り上げます。






ようやく本殿に着き、願い事を唱えながらお参りします。


お参りして帰る時間には、すっかり日も暮れて、提灯が鮮やかに輝いています。。


私は、お多賀さんを振り返りながら、今年も良いことがありますように・・・・(^o^)/


こちらもどうぞ~最近の多賀神社の初詣の様子です。


◎直方の初詣◎2016~多賀神社  2016年01月02日


◎初詣2015~多賀神社  2015年01月20日


☆直方の初詣(その1);多賀神社☆☆  2014年01月12日


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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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●田川石炭記念公園の初冬の風景

2016年12月10日 12時56分23秒 | 郷土の歴史
田川石炭記念公園の初冬の風景

石炭記念公園は田川市の代表的な公園のひとつで、三井田川鉱業所伊田坑の跡地に整備され、
平成17年に現在の形に整備されているということです。
そして、三井田川鉱業所の伊田竪坑の 第一・第二煙突や竪坑櫓が保存されています。
また、田川市石炭・歴史博物館があり、日本初の世界記憶遺産となった山本作兵衛の
炭坑記録画が展示されています。現在は、本館の大規模な改修工事中のため、休館中で、
工事の完了は平成29年3月となっています。
そのため、山本作兵衛の炭坑記録画は、別棟の産業ふれあい館(復元炭坑住宅)にて、
展示されています。
石炭記念公園の二本煙突や竪坑櫓は、毎日の通勤で、いつも眼に入る風景ですが、
今回、改めて初冬の風景として、眺めてみました。
1.石炭記念公園、田川市石炭・歴史博物館より、香春岳方面です。真ん中に炭坑夫(夫婦)の像が見えます。


2.左手に竪坑櫓、右手に二本煙突です。右端に田川市石炭・歴史博物館です。


3.石炭記念公園より、風治八幡宮と境内のイチョウの樹です。背景は、香春岳です。


4.竪坑櫓と二本煙突のシルエットです。


5.石炭記念公園に展示の、石炭輸送でかっての筑豊本線を大活躍した蒸気機関車です。


6.炭住(復元炭坑住宅)の長屋です。炭住での生活が再現されています。
また、山本作兵衛の炭坑記録画(複製)も、現在、ここで展示されています。


7.同じく、時代や労働環境に応じた各種炭住が再現されています。


8.そびえたつ二本煙突です。ボイラーの蒸気排煙用で、高さ約45m余りの煉瓦造りです。


9.紅葉と竪坑櫓と二本煙突です。


10.同じく、紅葉と竪坑櫓と二本煙突です。


11.右手に香春岳と紅葉です。


12.石炭の木、メタセコイアと田川市石炭・歴史博物館です。


13.「石炭の木 メタセコイア」と刻まれています。


14.2本のメタセコイアと田川市石炭・歴史博物館です。


15.石炭記念公園を後にします。


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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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