私の直方の風景

私の住んでいる直方の好きな風景を紹介します。

「日本園芸協会福岡友の会」 H24.5の活動

2012年05月29日 23時16分00秒 | 園芸友の会
5月度の「日本園芸協会福岡友の会」の活動状況報告です。
今月も「家庭菜園」を重点的に活動しています。





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「門司港レトロ地区に行ってきました」

2012年05月28日 19時51分33秒 | 日記
海峡・港・橋・山そして、レトロな大正の風景がある門司港に行って来ました。
門司港レトロ地区には、私のお気に入りの風景があちこちあり、何度もお出かけしております。
今回は、親しくしている友人のマンションを訪問し、いつもと違った角度からの光景を見ることが
出来ました。そして、以前撮った画像も一部ピックアップしました。

A 門司港レトロ地区のお馴染みの「バナナのたたき売り」の風景です。
この画像は、以前JRウオーキングに参加した際の門司港駅前のイベントです。
♪♪ さあ、さあ 買うた、さあ買うた、バナちゃんの因縁聞かそうか。私の生まれは台湾で、
親子もろとももぎとられ、かごに詰められ船に乗り、金波銀波の波越えて、
   着いたところが門司港。・・・・ ♪♭♯


B C 門司港レトロ地区の合成画像です。この夜景版は北九州市作成で、JR駅にポスターで
貼られていたものです。このポスターが貼られていた際には、通勤途上いつも眺めていました。
私にとって大変感動的でした。
そして、この夜版を参考にして昼版を合成作成しました。
まず、夜版の門司港レトロです。


次に昼版の門司港レトロ地区を作成してみました。


1.昼間の門司港駅です。駅舎は大正3年に建築された国の重要文化財です。


2.夜の門司港駅です。


3.めかり公園より、夕暮れ時の門司港レトロ地区です。


4.定番のレトロタワー展望台からの風景です。いつ見ても感動します。
まず、昼間のレトロ地区の風景です。
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次いで夜版の風景です。
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5.門司港駅の南西側にあるマンションの友人宅より見た門司港地区です。
関門橋や関門海峡、レトロ地区など、一望できます。
門司港駅から発着する列車を眺めることが出来ます。
まさしく鹿児島本線の起点を実感出来ます。
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6.友人宅から見た門司港地区の夜景です。関門橋もライトアップされています。
6-1


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[直方市役所8階から見た直方レトロ地区]

2012年05月22日 23時19分40秒 | 郷土の歴史


[.直方市役所8階から見た直方レトロ地区]

.遠賀川河畔に建つ直方随一の高層建築である直方市役所8階から、直方市街地を
360度見渡す事が出来ます。今回は、直方レトロ地区を眺めました。
1-1

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直方市役所・警察署の横を通り、殿町地区に入り、右手は殿町商店街入口です。
こちら側の入口には、成金饅頭の四宮、みやはら書店、飯野弘文堂などがありました。
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左に入れば、古い街並みが残る「直方レトロ地区」です。
まず、古い病院が3軒あります。
5.「旧讃井医院」、
大正11年(1922年)の建築で、当初は内科・胃腸科・歯科を備えた総合医院
だったそうです。これは現在、「向野堅一記念館」となっています。
向野堅一(1868~1931)は、直方出身で、旧満州(中国東北部)に渡って
銀行を設立するなどした実業家で、孫文とも親交があった、とのことです。


6.次に「江浦医院」です。明治34年(1901)の建築で、現在も耳鼻咽喉科医院
として開業しています。懐かしく親しみのある木造洋風建築です。


7.さらに「旧奥野医院」~「現直方谷尾美術館」です。
これは大正6年(1917年)の建築です。
外観はそのままに内部改装され、平成2年(1994年)に明治屋産業の故谷尾欽也氏の
谷尾美術館となり、平成8年(2000年)に、美術館と作品が直方市に寄贈され、
市立の「直方谷尾美術館」になっています。


8.続いて、町屋建築が2軒並んでいます。
向かって右手が「石原商店」、左手が「前田園茶舗本店」です。
いずれも昭和初期の格調高い古い建築物です。


91011. 「ギャラリー野口」
「ギャラリー野口」は、骨董品はじめ、ガラス館、食器や小物、焼き物などなど、8店舗あり、
「monoものロード(旧長崎街道)」の道筋を形成しています。
本館には、各種食器や昔懐かしい色とりどりのビーズや下げ物などの小物類が所せましと
陳列されています。のんびりと見回りしながら、思わず手に取ってみたくなる品物が
沢山あります。




12-1.「直方歳時館」(堀三太郎邸)と直方市体育館


①左手下の「直方歳時館」は、元々 堀三太郎の住宅として、明治31年に建築されたものです。
堀三太郎は、「子孫の為に美田を残さなかった鉱業家」として知られています。
また、貝島太助、麻生太吉、伊藤伝右衛門、安川敬一郎と並んで、筑豊の5大炭鉱主と
呼ばれています。邸宅は現在、「直方歳時館」として、直方の四季折々の生涯学習施設として、
活用されています。

②丘の上右手の白い建物は直方市体育館です。
(直方市体育館は、綾瀬はるか主演の「おっぱいバレー」のロケ地にもなっています。
 ⇒参照2011年06月08日 閑話休題;筑豊電鉄の風景「おっぱいバレー」映画登場に関して)

13-1.双(雙)林院、多賀神社、石炭記念館


①殿町の双(雙)林院です。
徳川時代の直方には、福岡藩の分家の東蓮寺藩(後に直方藩)が設置されています。
初代藩主は、1623年に福岡藩主となった黒田長政の4男の高政(たかまさ)で4万石を
与えられ、東蓮寺藩として、現在の殿町の双(雙)林院辺りに館を構えていました。
4代目は、1688年に着任した長清(ながきよ)で、5万石に加増され、3年後の1691年
(元禄5年)に館を、現在の双(雙)林院の辺りから、多賀公園のある妙見山
(=御館山)へ移しています。

②この時に、妙見山山上にあった妙見社は、移設され現在の多賀神社となっています。
多賀神社創建の際の一の鳥居は、藩主黒田長清創建となっており、その文字が刻印
されています。直方を知る人にとってお馴染みの多賀神社のお祭りがあります。

③石炭記念館
100年の歴史持つ、炭鉱主が集まったかっての「筑豊石炭鉱業組合直方会議所」です。
筑豊地区の石炭採掘に関する膨大な資料展示があり、石炭輸送に活躍したSLや救護
訓練用坑道もあります。もちろんここにも今はときめく山本作兵衛さんの作品が
展示されています。

コメント (2)
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