私の直方の風景

私の住んでいる直方の好きな風景を紹介します。

◎ 「風治八幡宮の川渡り神幸祭」~その4「お旅所」

2016年06月06日 12時12分55秒 | 郷土の歴史
熊本~大分地区の地震災害のお見舞いと早期の復旧をお祈り申し上げます。

「風治八幡宮の川渡り神幸祭」~その4「お旅所」

「風治八幡宮の川渡り神幸祭」は、「約450年の歴史を持つ祭」
とのことですが、そのいわれは、次のようです。

◎「地域に疫病が流行した際、風治八幡宮の境内に祇園社を建立し
祇園(スサノオ)様に疫病の終息を祈願し、成就のお礼として
永禄5年(1562年)に奉納された祇園祭が始まりと伝えられています。
そして、風治八幡宮の神様が風治みこしに乗り、併せて、白鳥神社の
神様が白鳥みこしに乗り、1年に1度、彦山川向こうのお旅所まで
1泊2日の旅行を行い、11台の各山笠は、そのお供をし、稲穂に見立てた
バレンを飾り、五穀豊穣や無病息災を祈願する。」というストーリーの祭りです。
そして、お旅所では、いろいろなセレモニーが繰り広げられます。
さて、お旅所の様子です。
1.お旅所に鎮座される「風治八幡宮の神様の風治みこし」と、
「白鳥神社の神様の白鳥みこし」です。




私も、御参りします。人、ひと・・・の波です。


2.お旅所横のステージでは、関係者各界の皆さんの挨拶があります。




3.華やかな幟山笠、人・ひと・・・の波、そして、露店・・・が、お旅所前の広場を埋めます。


















ちょうど、真ん中に2本煙突が見えます。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ◎ 「風治八幡宮の川渡り神幸... | トップ | ◎「風治八幡宮の川渡り神幸祭... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
永禄5年ですか・・・ (権太楼)
2016-06-07 12:29:10
「永禄」という年号を聞くと思い出すのは織田信長や豊臣秀吉が活躍した時代ですよね。そんな頃からこの祭が続いているのか、と考えれば感動ものですね。
前にも書きましたが、神輿や山笠がきれいになり、特にバレンがカラフルになったことにも驚きです。
今後も田川の祭として未来永劫いつまでも続いて欲しいものです。
返信する
田川の歴史も奥深いですね (nonbiri-arukuyama)
2016-06-09 00:13:49
(権太楼)さま、コメント有難うございます。確かに(権太楼)さんが、おっしゃるように、田川も面白い歴史的な見方が出来ますね。
香春岳の山城である、香春岳城(1~2の岳)や鬼ヶ城(1の岳山腹)は、
遡れば、1000頃から始まり、1587年頃の豊臣秀吉の九州征伐、
1601年の関ヶ原合戦頃まで築かれ攻防があったのですね。
また、伊田駅の近くの成道寺には、平家物語に登場し、悲劇の美女と言われた
「小督局」のお墓と伝えられる七重の塔があるんですね。
さらに、長崎街道などと並ぶ「秋月街道」も田川のど真ん中を通過していますね。
「川渡り神幸祭り」に関連して、このような色んな点から見ても、田川の歴史も相当に奥深いですね。
返信する

コメントを投稿

郷土の歴史」カテゴリの最新記事