◆「筑豊の近代化遺産講座」参加~第9回(H23年12月直方市)◆補足
郷土の誇りでもある堀三太郎の事を余りにも知らなくて、やや恥ずかしくなり、
早速、堀三太郎邸(=「直方歳時館」)に行ってみました。
(1)堀三太郎は、「子孫の為に美田を残さなかった鉱業家」として知られています。
また、貝島太助、麻生太吉、伊藤伝右衛門、安川敬一郎と並んで、筑豊の5大炭鉱主と
呼ばれています。
1867年(慶応3年)に新町の醤油屋を営んでいた家に生まれ、当初は
家業の醤油販売に従事している際に、炭坑主との縁があって見込まれたとのことです。
(2)堀三太郎は、太っ腹の性格で、経営能力を開花させ、近代の炭鉱開発に尽力し、
鉱業家として成功し、更に事業家としても手を広げて、巨万の富を手に入れています。
1889年(明治21年)の時、22歳という若さで小炭坑を持ち、鉱業家としてスタートし、
1910年(明治44年)には、海軍の御徳炭鉱経営を手掛けて成功しています。
その後、炭坑経営とともに、多様な鉱山を手掛けて、さらに製塩会社、セメント会社、
銀行、電力会社や旅客輸送業など、十数社に及ぶ事業家としても係わったそうです。
(3)色々とエピソードがあるようですが、大正4年には、後援会から担ぎ出されて、
衆議院選挙にも当選しています。
また、明治40年には、大規模な農園を造り、地域農業の振興に尽力し、その跡地が
現在の直方第3中学校になっている、とのことです。
(3)この「直方歳時館」は、元々 堀三太郎の住宅として、明治31年に建築されたものです。
堀三太郎は、72歳の昭和13年に、拡大した事業の整理を行い、昭和16年には、この豪華な
和風自邸を「子孫に美田を残さず」、ということで、維持費付きで直方市に寄贈した、とのことです。
この邸宅はその後、市の施設として、色々な用途に使用されたのち、平成9年に老朽化にて
解体復元されております。
特に、昭和16年からの30年間は、「中央公民館」として、3000組を超える市民の結婚式が挙げられた
そうです。
そして、現在は「直方歳時館」として、直方の四季折々の生涯学習施設として、活用されています。
堀三太郎自身は、昭和33年に92歳で天寿を終えています。
(4)資料;舌間信夫 「続 直方歴史物語」 直方市発行
「直方歳時館」パンフレット
「直方歳時館」の案内板です。
1
「直方歳時館」を訪問します。
2
「直方歳時館」の説明板です
3
階段を上り、玄関に向います。
4
堀三太郎邸(=「直方歳時館」)の施設平面図です。和室・展示スペース・板の間など、
個人あるいはグループで利用出来ます。
5
6,7
歳時館の玄関付近です
玄関から入った畳の部屋は、「市民ギャラリー」として利用されています。
私が訪問した際には、パッチワークの展示をやっていました。
8
庭園の色々な風景です。枯山水の庭園で、マキ、松、つつじ、モミジ、あじさい、サザンカなど
四季の味わいが楽しめます。庭園から東側を眺めると、近くに新町界隈、遠くに福智山山系が
望まれて、パノラマの風景が見渡せます。
9,10,11,12,13,14,15,
和室です。
16
玄関から福智山を眺めました。
17
1898年(明治31年)に建築された土蔵です。特徴的な「なまこ壁」が特徴です。
18
堀三太郎邸(=「直方歳時館」)の裏手は、JR福北ゆたか線が走っており、
その背後はかって、直方藩の館のあった、御館山です。左手は「直方市体育館」です。
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郷土の誇りでもある堀三太郎の事を余りにも知らなくて、やや恥ずかしくなり、
早速、堀三太郎邸(=「直方歳時館」)に行ってみました。
(1)堀三太郎は、「子孫の為に美田を残さなかった鉱業家」として知られています。
また、貝島太助、麻生太吉、伊藤伝右衛門、安川敬一郎と並んで、筑豊の5大炭鉱主と
呼ばれています。
1867年(慶応3年)に新町の醤油屋を営んでいた家に生まれ、当初は
家業の醤油販売に従事している際に、炭坑主との縁があって見込まれたとのことです。
(2)堀三太郎は、太っ腹の性格で、経営能力を開花させ、近代の炭鉱開発に尽力し、
鉱業家として成功し、更に事業家としても手を広げて、巨万の富を手に入れています。
1889年(明治21年)の時、22歳という若さで小炭坑を持ち、鉱業家としてスタートし、
1910年(明治44年)には、海軍の御徳炭鉱経営を手掛けて成功しています。
その後、炭坑経営とともに、多様な鉱山を手掛けて、さらに製塩会社、セメント会社、
銀行、電力会社や旅客輸送業など、十数社に及ぶ事業家としても係わったそうです。
(3)色々とエピソードがあるようですが、大正4年には、後援会から担ぎ出されて、
衆議院選挙にも当選しています。
また、明治40年には、大規模な農園を造り、地域農業の振興に尽力し、その跡地が
現在の直方第3中学校になっている、とのことです。
(3)この「直方歳時館」は、元々 堀三太郎の住宅として、明治31年に建築されたものです。
堀三太郎は、72歳の昭和13年に、拡大した事業の整理を行い、昭和16年には、この豪華な
和風自邸を「子孫に美田を残さず」、ということで、維持費付きで直方市に寄贈した、とのことです。
この邸宅はその後、市の施設として、色々な用途に使用されたのち、平成9年に老朽化にて
解体復元されております。
特に、昭和16年からの30年間は、「中央公民館」として、3000組を超える市民の結婚式が挙げられた
そうです。
そして、現在は「直方歳時館」として、直方の四季折々の生涯学習施設として、活用されています。
堀三太郎自身は、昭和33年に92歳で天寿を終えています。
(4)資料;舌間信夫 「続 直方歴史物語」 直方市発行
「直方歳時館」パンフレット
「直方歳時館」の案内板です。
1
「直方歳時館」を訪問します。
2
「直方歳時館」の説明板です
3
階段を上り、玄関に向います。
4
堀三太郎邸(=「直方歳時館」)の施設平面図です。和室・展示スペース・板の間など、
個人あるいはグループで利用出来ます。
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6,7
歳時館の玄関付近です
玄関から入った畳の部屋は、「市民ギャラリー」として利用されています。
私が訪問した際には、パッチワークの展示をやっていました。
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庭園の色々な風景です。枯山水の庭園で、マキ、松、つつじ、モミジ、あじさい、サザンカなど
四季の味わいが楽しめます。庭園から東側を眺めると、近くに新町界隈、遠くに福智山山系が
望まれて、パノラマの風景が見渡せます。
9,10,11,12,13,14,15,
和室です。
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玄関から福智山を眺めました。
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1898年(明治31年)に建築された土蔵です。特徴的な「なまこ壁」が特徴です。
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堀三太郎邸(=「直方歳時館」)の裏手は、JR福北ゆたか線が走っており、
その背後はかって、直方藩の館のあった、御館山です。左手は「直方市体育館」です。
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