私の直方の風景

私の住んでいる直方の好きな風景を紹介します。

(^u^)直方の町の河童ファミリーのこと(^_^)/~

2012年03月26日 23時33分28秒 | 日記
直方の町で見かけたかっぱファミリーのこと

直方の中心部、市役所の近くの保育園の前に河童のファミリーの
ユーモラスな像がありましたので掲載します。
母親と兄妹の元気の良いほほえましい姿、それに亀に乗った父親とおぼしき
ファミリーが揃っていました。台座には「明るく豊かな街に」と彫られており、
やや古いもののようです。
元気よく胸を張って歩く河童の母と子どもたち、それを見つめる父親河童たちの姿は
ゆったりとしたのどかな歴史すら感じさせてくれました。










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(^u^)旧直方駅の河童のお姉さんに会いました(^_^)/~

2012年03月23日 18時30分26秒 | 郷土の歴史
旧直方駅の河童のお姉さんに会いました。

1.遠賀川の河童伝説のこと
去る2月にこのブログにて、(関東の誠さん)より頂いたご丁寧なご指摘にもありましたが、・・・
直方は~広く見れば筑豊地区は、遠賀川とは深いかかわりがあります。
太古の時代から今日まで、筑豊人と遠賀川とは切っても切れない関係です。
日常生活や産業(農業やかっての石炭産業など)、交通とすべてに係わっています。
さて、遠賀川の河童伝説のことですが、(関東の誠さん)ご指摘のように、色々とあるようですね。
私も改めてこのことを知りました。
(1)ご参考
①参考本の紹介です。この本は、私がよく行っている直方図書館にもあり、読んでみました。
直方市の隣町宮若市に在住され、後半生をかっぱなどの陶芸と伝説収集に情熱を燃やされた
吉田龍四郎さんの著書です。
****************
書名;「水と甲羅(ミズ ト コウラ)」 ~2005年再版発行
副書名; 遠賀川の河童たち(オンガガワ ノ カッパ タチ)
作者;吉田龍四郎
発行所;自分史図書館
*******************
著書には、遠賀川流域各地に関連する21の伝説や物語が記載されております。
そして、付録「全国の河童たち」として、日本全国の河童伝説が引用されています。
いたずら好きだが、最後は人間と共生する民話独特の物語がテンポよく描かれています。
河童は、中国から九州に渡来し、以後全国に移住し、伝説も全国に広がったとされます。
若松の火野葦平作の河童封じ地蔵尊についても述べられています。

②また、次のサイトには、この内容の要旨が掲載されております。
http://www.geocities.jp/book_of_tikuho/16kappa.htm


2.旧直方駅舎の河童のお姉さんのこと
(関東の誠さん)より・・・改札口に向かって三つ指ついて迎えてくれた“河童のお姉さん”の
ことが述べられていました。私もこのブログの「直方駅舎が変わりました~その5(2011.4.30)」で
このお姉さんの写真を掲載していますが、次のように、「旧駅舎「ありがとう直方駅回顧展」
会場内で、かっぱ像が「いらっしゃいませ」とあいさつしております。
http://blog.goo.ne.jp/nonbiri-arukuyama/m/201104

1河童のお姉さんの挨拶~「旧駅舎「ありがとう直方駅回顧展」


(1)そこで、旧直方駅に居た河童のお姉さんのその後を色々と尋ねて、今回、直方市の
隣町である宮若市本城地区で、『まちの駅「河童の里」』で、旧直方駅舎での河童のお姉さんに
実際に会う事ができました。
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旧直方駅での同じ雰囲気で、「ようこそ河童の里へ」と3つ指をついて迎えてくれます。






河童のお姉さんの背面の文言です。
5

私もこの文言を書き出してみました。


『まちの駅「河童の里」』で堀村長さんにもお会いでき、村内を回りながら、焼き物のこと、
河童たちのことも親切にご案内して頂きました。
5窯の前での堀村長さん。これから焼く準備中の皿や茶碗、カップなどの陶芸作品が
沢山並べられていました。


6「河童の里」の陶芸教室内


7「河童の里」の民芸コーナー。もちろん、河童の像もあります。


8河童の里への入場を歓迎する河童たちです。


9イベントを行う舞台の隅にも河童たちが控えています。


現在の堀英躬村長さんは、上述の前河童村村長吉田龍四郎さんとともに、この陶芸の
仕事をされ旧直方駅の河童のお姉さんや、その他の多くの河童の焼き物を作って来られた
ようです。ご多忙中で、細かいことまでは聞けませんでしたが、河童のお姉さんはふるさとに
里帰りして、新たな仕事環境で頑張っております。
そして、現村長さんは陶芸「隠谷窯」の運営や、事業の枠を広げて、『まちの駅「河童の里」』
の事業をされているようです。また、地元宮若市の発展の為、福祉活動や陶芸教室開催など
幅広く活動されています。

3.次に紹介するのは、『まちの駅「河童の里」』のホームページです。
「河童の里」の民芸コーナーや陶芸コーナー、「産直しきの里」での新鮮産直品の販売コーナーが」
紹介されています。
http://www15.ocn.ne.jp/~kappa8/index.html
11「河童の里」の民芸コーナーや陶芸コーナー


12「産直しきの里」での新鮮産直品の販売コーナー


13『まちの駅「河童の里」』への入口です。背景は六が岳の山並みです。


コメント (6)
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●「福智山ダム」のこと~●補足2

2012年03月12日 20時39分47秒 | 郷土の歴史
「福智山ダム」のこと~(補足2)

3月11日東日本大震災、あれから1年・・・黙とう・・・
そして本当に厳しい道のりですが、希望を持って進みましょう・・・

**************************
3月になりました。紅梅や白梅が綺麗です。春の香りがしてきました。
今の時期、遠賀川沿いの河川敷は、菜の花が黄色のじゅうたんを
少しずつ広げ始めました。また、土手沿いには、つくしも顔を出して、おばさん達が
つくし取りを始めました。そして近くの田んぼでは、ひばりがまだ未熟な鳴き声で
舞い上がり始めました。
しかし、山は、まだ、「春は名のみの風の寒さや・・・」の早春賦の世界です。(^u^)
冬枯れの山間にも、芽吹きの空気を感じながら、「内が磯ダム」から「福智山ダム」に
行ってみました。(^_^)/~  
******************************
福智山ダムの概要は、
①遠賀川水系福地川
②ダム型式 ;重力式コンクリートダム
③ダム事業者; 福岡県
④本体施工者; 大成・前田・為広
⑤着手/竣工 1975/2003(H15年)完成
⑥コンクリートダムの工法;RCD工法
【ダム工事】仮排水路(1999.4~1999.7)平成11年開始
本体掘削(1999.3~1999.11) 本体打設/盛土(2000.3~2001.12)
平成15年(2003年)に完成
*******************************

1-1「内が磯ダム」そして「福智山ダム」の位置関係を示す地図です。


1-2 グーグルマップによる、空から見た、位置関係です。周回道路が整備されています。
福智山ダムは、福岡県営ダムで、平成11年(1999年)に本格的な工事を開始し、
平成15年(2003年)に完成しています


2-1 ダムサイトです。黒御影石による「福智山ダム」の標記が印象的です。


2-2 正面から見た福智山ダムです。


以下、福智山ダム湖畔に設置されている説明板にて、ご案内致します。
3 福智山ダム施工前


4 福智山ダム施工中;左手上部が「原石山」です。中央部が、ダム本体です。


5 福智山ダム施工後


6、7 福智山ダム工事の施工法はダンプ直送方式によるRCD工法
(Roller Compadted Dam-concrete Mesod )が採用されました。
RCD工法工事の特長や工事の進め方は、次の説明図に記されていますが、
この工法は、通常の土木工事でもよく見かける汎用重機を用いるやり方で、福岡県では、
初めて採用され、順調に実施されました。





8、9 なお、この地域は北九州国定公園 の中に位置しております。
また、このダムのある谷筋は、古くから福智山主要登山ルートや林道が通っており、
ダム工事にあたっては、自然景観を守るため、ダム水位よりも上は山を削らない方針で
実施されました。
自然景観を守るため、水位よりも上となる部分は、いっさい山を切らないで工事され、
すべての工事の為の仮設備は、ダム上部外周よりも下の位置に設置・実施されました。
ダムの本体の骨材として切り出された原石山も、今は、上流側からダム湖を一望出来る展望所の
下に沈んでいます。




~~~~~~~~~~ 福智山ダムの説明・・・・・ 以上です   ~~~~~~~~~~~~~~

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●「福智山ダム」のこと~●補足1

2012年03月06日 23時45分19秒 | 日記
「福智山ダム」のこと~(補足1)

3月になりました。春の香りがしてきました。(^u^)
冬枯れの山間にも、芽吹きの空気を感じながら、「内が磯ダム」から「福智山ダム」に
行ってみました。(^_^)/~
1「内が磯ダム」そして「福智山ダム」の位置関係を示す地図です。


2 福智山ダムは、福岡県の県営ダムで、平成11年(1999年)に本格的な工事を開始し、
平成15年(2003年)に完成しています。私も仕事の縁があって、工事開始から終了まで
ダム工事の際に出入りしてずっと見て来ましたので、思い入れもありますが、次の写真は
完成後1年目の平成16年(2004年)のまだ真新しい時に撮ったものです。
青い空、福智山、真っ白なダム、みかん色の登山道・・・・


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・・・「高取焼内が磯窯」のこと;慶長19年(1614年)に、朝鮮の陶工である八山(高取八蔵)が、
内が磯の地に大規模な登り窯の「内が磯窯」を開いて、「古高取」として、名品を生み出しています。
その場所は、現在のダム管理棟の下の斜面に位置していました。福智山ダム建設に伴い、
発掘調査や保存工事が平成14年に施され、今は湖水の中に沈んだ状態になっております。
また、発掘された出土品の陶器は保存されています。これらの経緯や歴史的状況は、
湖畔にも案内説明板が設置されています。
****************************************

福智山ダムのダムサイトのそばには、「高取焼内が磯窯跡」があり、湖畔には、
平成22年(2010年)に当時の麻生首相他の題字で記念碑が建立されています。

3「高取焼内が磯窯」記念碑です。背景には福智山がそびえています。


4 拡大図です。当時の麻生首相や、有名な直方の郷土史家「舌間信夫」さんの名前も見えます。


5 同じく麻生首相の自然石に書かれた題字です


6 拡大図です


7 「内が磯窯跡」の説明板です。


8 「内が磯窯跡」の発掘調査状況です。この部分は、発掘調査や保存工事が
平成14年に施され、今は湖水の中に沈んだ状態になっております。この上位に
現在、福智山ダムの管理棟が建てられています。


9 「内が磯窯跡」の発掘調査による出土品です


10 「内が磯窯跡」の保存工事はこのように実施されております。


11 湖畔に設置された説明板です。対岸が、福智山ダムの管理棟で、その下の水面下に
「内が磯窯跡」があり、水位が下がれば、顔を出します。


~~~続く~~~
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