☆直方の初詣;多賀神社☆
正月もあっという間に終わり、既に1月も半ばになり、
成人の日も近付いて来ました。
さて、私は正月にはいつも直方市内の神社を中心に初詣にお出かけします。
少々日にちも経過しましたが、直方の神社の正月の風景をアップします。
念頭に当たり、凛とした寒さの中、新鮮で新しい年を迎える際の
希望や期待が漂っている神社雰囲気が何とも素敵です。
まず、直方では、誰もがお参りする”お多賀さん”の「多賀神社」です。
1、2 多賀神社の創建は、ご由緒にある「奈良朝の養老3年」は、719年になります。
奈良時代には、既に存在していた事になります。
今、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛(1546-1604)」が大変な話題になっていますが、
この多賀神社のある御館山を中心として黒田家の福岡藩の支藩「直方藩」があり、
黒田高政、之勝、長寛、長清の時代に、多賀神社の改築など大いに関連しております。
なお、黒田高政は、福岡藩祖黒田長政(官兵衛の長男)の四男になります。
3、4、5 多賀神社の一の鳥居から参道に入ります。この一の鳥居の銘は、
江戸時代の黒田家に仕えた儒学者貝原益軒の書です。
袴線橋です。
6 参道の袴線橋から御館橋やJR直方駅方面を見ます。
かって、石炭列車が頻繁に行きかっていたころのことが想像されます。
7 参道の階段をあがり、東側の福智山系を見ます。
袴線橋上段から、東側の一の鳥居~旧長崎街道を一直線に
見ることが出来ます。右手狛犬の背後に、直方市役所、背景に福智山が
見えます。
8、9、10 出店の模様です。最近の春祭りや秋祭りもそうですが、
かってのにぎわいに比べるとこじんまりとしています。
しかしながらやはり、正月・新春の清々しさはまた格別です。
「やきとり」「いかやき」「はしまき」「梅安餅(梅が枝餅」等の出店が見えます。
11 山門から参道を振り返ります。
「干支の午」の銅像が真ん中に見えます。かって、直方の須崎町はずれに
住んで、両親の行商を手伝っていた、小説家林芙美子も良く遊びに
訪れたそうです。直方は林芙美子の「放浪記」の舞台に登場します。
12 手水舎の水で清めて、「神門」をくぐります。
13 本殿にお参りします。
14、15 本殿のある境内のおみくじ売場などの様子です。
16 JR平成ちくほう鉄道の「なのはな号」が眼下を走ります。
殿町の街並みの背景には、直方市役所の庁舎、更に背後に福智連山が見えます。
17 左手に、直方市役所の庁舎、更に背後に福智山です。
右手の袴線橋は、石炭華やかなりし時代のかっての直方駅機関庫の
蒸気機関車転車台を利用したものです。
18 左手に転車台を利用した袴線橋、右手奥に「石炭記念館」が見えます。
[ご参考]
◎謹賀新年~多賀神社初詣◎(昨年の雪の日の元旦の模様です)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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正月もあっという間に終わり、既に1月も半ばになり、
成人の日も近付いて来ました。
さて、私は正月にはいつも直方市内の神社を中心に初詣にお出かけします。
少々日にちも経過しましたが、直方の神社の正月の風景をアップします。
念頭に当たり、凛とした寒さの中、新鮮で新しい年を迎える際の
希望や期待が漂っている神社雰囲気が何とも素敵です。
まず、直方では、誰もがお参りする”お多賀さん”の「多賀神社」です。
1、2 多賀神社の創建は、ご由緒にある「奈良朝の養老3年」は、719年になります。
奈良時代には、既に存在していた事になります。
今、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛(1546-1604)」が大変な話題になっていますが、
この多賀神社のある御館山を中心として黒田家の福岡藩の支藩「直方藩」があり、
黒田高政、之勝、長寛、長清の時代に、多賀神社の改築など大いに関連しております。
なお、黒田高政は、福岡藩祖黒田長政(官兵衛の長男)の四男になります。
3、4、5 多賀神社の一の鳥居から参道に入ります。この一の鳥居の銘は、
江戸時代の黒田家に仕えた儒学者貝原益軒の書です。
袴線橋です。
6 参道の袴線橋から御館橋やJR直方駅方面を見ます。
かって、石炭列車が頻繁に行きかっていたころのことが想像されます。
7 参道の階段をあがり、東側の福智山系を見ます。
袴線橋上段から、東側の一の鳥居~旧長崎街道を一直線に
見ることが出来ます。右手狛犬の背後に、直方市役所、背景に福智山が
見えます。
8、9、10 出店の模様です。最近の春祭りや秋祭りもそうですが、
かってのにぎわいに比べるとこじんまりとしています。
しかしながらやはり、正月・新春の清々しさはまた格別です。
「やきとり」「いかやき」「はしまき」「梅安餅(梅が枝餅」等の出店が見えます。
11 山門から参道を振り返ります。
「干支の午」の銅像が真ん中に見えます。かって、直方の須崎町はずれに
住んで、両親の行商を手伝っていた、小説家林芙美子も良く遊びに
訪れたそうです。直方は林芙美子の「放浪記」の舞台に登場します。
12 手水舎の水で清めて、「神門」をくぐります。
13 本殿にお参りします。
14、15 本殿のある境内のおみくじ売場などの様子です。
16 JR平成ちくほう鉄道の「なのはな号」が眼下を走ります。
殿町の街並みの背景には、直方市役所の庁舎、更に背後に福智連山が見えます。
17 左手に、直方市役所の庁舎、更に背後に福智山です。
右手の袴線橋は、石炭華やかなりし時代のかっての直方駅機関庫の
蒸気機関車転車台を利用したものです。
18 左手に転車台を利用した袴線橋、右手奥に「石炭記念館」が見えます。
[ご参考]
◎謹賀新年~多賀神社初詣◎(昨年の雪の日の元旦の模様です)
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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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こんばんは♪
恥ずかしながら、貝原益軒という学者さんを先日まで全く知りませんでした。
ご存知だったのですね~。私の方こそ
『nonbiri-arukuyamaさん、さすがです』と言わせて頂きます(^.^)
一の鳥居の銘が、貝原益軒の書ですか!
勉強になります。間近で見たくなりました。
ありがとうございます(^-^)/