私の直方の風景

私の住んでいる直方の好きな風景を紹介します。

◎「高塔山のあじさい挿し木実施経過」と高塔山への移植へ  ◎その1

2011年11月30日 23時16分47秒 | 我が家の園芸
「高塔山のあじさい挿し木実施経過」と高塔山への移植へ  その1


昨年(H22.6.13)、高塔山頂上広場での”あじさい花不思議会社株主”
「あじさい挿し木教室」に参加して、1年半が経過しました。
高塔山生まれの挿し木も我が家で大きくなり、鉢から畑に植えかえていましたが、
一部をまた高塔山に移植する仕組みになっており、今回主催の若松区役所から
連絡があり、11月26日の植樹に参加しました。

まず、「あじさい挿し木実施」の経過をまとめました。
1.「あじさい挿し木教室」(H22.6.13)での、挿し木作業の状況です。


2.この挿し木を我が家に持ち帰り、育てた状況です。


3.これを参考に、我が家に以前から植えていたあじさいについても
同じ手法で挿し木をやってみました。
そして同じように順調に育ってくれました。



*なお、高塔山での「若松あじさい祭り」の模様は、
私のブログでは、2010.6.26の記事および6.30の記事、2011.7.23の記事などに
その模様を記載しております。

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▲直方の秋景色~▲龍王峡の秋

2011年11月25日 23時50分01秒 | 日記
直方の秋景色~龍王峡の秋

夏は、キャンプで賑わう福智山系雲取山の麓、龍王峡の秋です。
今年は、紅葉や黄葉の色づきが、今一つのようです。


この数日は、直方でも晩秋~初冬の雰囲気を感じさせる寒さがありますが、
10月下旬から気温の高い日が続き、日照時間が短かったことや、朝晩の冷え込みが
今一つ少なかったことが、紅葉の色素の変化が例年と違い、影響しているようです。
特に、銀杏の葉の黄葉が遅れているようで、また十分に黄葉しないまま、茶色に枯れた
ようになり、落葉となるケースもあるようです。

晩秋の風景として、毎年眺めている龍王峡も、紅葉プラス銀杏の黄葉の組合せが
楽しみなのですが、今一つです。それでもやはり晩秋の風景には、うっとりとさせられます。
今回は、夕方に近い風景を切り取ってみました。


1.龍王峡の滝です。シャッタースピードを変えて、飛沫の感じと流動感とを撮ってみました。
①、②



2.鮮やかさは今一つですが、まだらで、淡い紅葉です。
⑤、⑥、⑦





3.安入寺の柿の木とバックの尺岳山系です。
⑧、⑨



4.尺岳方面と龍王峡方面との分岐です。
⑩、⑪




5.八幡神社付近の紅葉です。八幡神社は、1335年(建武2年)建立、とされています。
八幡神社の鐘は、直方市指定有形文化財になっています。
⑫、⑬、⑭





6.銀杏の黄葉、夕陽に照らされて~順光と逆光で比較してみました。
⑮順光


⑯逆光;夕日は銀杏の木の根元左側にあります。


7.安入寺から見た夕陽です。夕陽が沈んでいる位置の山並みは犬鳴山系です。
その手前の中央から右手は、六が岳山系です。




▲▲おまけ;昨年(H22年)の同じ時期の秋景色を並べてみました。▲▲
今年よりも銀杏の黄葉が鮮やかです。







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我が家の素人園芸;サツマイモつくり;H23年度

2011年11月24日 23時04分11秒 | 我が家の園芸

我が家の素人園芸;サツマイモつくり;H23年度



今年は、5月8日に「なると金時」「紅あずま」の2種類を植えました。昨年より少なめにしました。
収穫は、11月22日、24日にかけて行いました。
そして成果ですが、まあまあかなー、と思いましたが、やや小さい小粒のものも多くありました。

「基本;荒地的土地にて、過リン酸石灰と塩化カリを少量振って高めのウネをつくって苗を挿すと
いうのが理想。窒素肥料が多いと、ツルぼけをおこす!」

苗を購入する際は、例年しゃんとした苗を選ぶのですが、「サツマイモの苗は、しなびている方が
あとで元気を出して、大きくなる」という話もありましたので、ふにゃりとしている苗を購入しました。

以下は、その手順です。
①土作り
堆肥、腐葉土と生のモミガラを厚くまきました。
モミガラは土をわずかに弱酸性に傾けるので、サツマイモにはよい、との事です。
更に、大量のモミガラは土の透水性をよくし、通気を改善し、必要な条件との事です。

②畝づくり
定植約1週間位前にあらかじめ畝を作っておきます。
畝間60~70cm、高さ30~40cmの畝を作ります。
このとき、畝を高めにするのがポイントです!
土が乾燥している場合には、植え付ける前日に潅水して湿らせておきます。

③植え付け
切り口を水に浸けシャンとさせてから植え付けます。
植え方には、斜め植え、にしました。(他に、船底植え、水平植えなどいろいろ)
葉の部分は地上に出す。マルチング栽培で雑草の繁殖を抑えた方がよいが、
私は、適宜除草しました。芋の葉の元気さで雑草も生え難そうでした。     

④追肥
植付け後3週間ほどしてつるが2~3本伸びてきたら、株間に燐酸・加里分の多い
配合肥料や草木灰を1株あたり軽く与えます。

⑤除草・中耕・土寄せ
肥料を施したあとには、除草を兼ねて、軽く根元に土をかぶせ土寄せします。土を浅く耕し、
畝間の土を株元に寄せることにより、土中の空気の流通がよくなり、イモの肥大に効果があります。
この作業は収穫までの間に2~3回行います

⑥ツルを返す
夏に伸び広がったツルを返します。あまりに葉が元気良すぎるのでかなり切りました。
この辺の加減は?

⑦試し掘り と収穫
 手で株元の土を掘って、イモの肥大を確かめます。

育て方の基本方針は、以上ですが、今年は色々と用事が多く、余り面倒を見れませんでした。
→⇒④、⑤、⑥は手抜きになってしまいました。そのせいか、葉の勢いがやや弱いような気がします。
それでも、最後の収穫時には、何とか育ってくれました。
それでは、画像で示します。

1.イモ苗購入;「紅あずま」「なると金時」・・・しなびた苗


2.畝つくり


3.堆肥、腐葉土と生のモミガラを厚くまきました。


4.5.植え込む



6.畝遠景;今年は少なめにしました


7.収穫直前です;H23.11.22


8.収穫(H23.11.22);「なると金時」です


9.収穫(H23.11.24);「紅あずま」です


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◆平成筑豊鉄道のこと◆~◆その7;門司港レトロ「潮風号」◆

2011年11月22日 23時59分24秒 | 日記
◆平成筑豊鉄道のこと◆~◆その7;門司港レトロ「潮風号」◆

平成ちくほう鉄道門司港事業所では、2009年からは、北九州市からの委託でかっての産業路線を
使用して、門司区の門司港レトロ観光線(愛称:やまぎんレトロライン)のトロッコ列車「潮風号」を
運行しています。
運行区間は、「九州鉄道記念館~出光美術館~ノーフォーク広場~関門海峡めかり」の各駅です。
運行所要時間は、約10分で、関門海峡や門司港レトロ地区を見ながら走ります。
[註]このたび、観光列車の線名(愛称)が「やまぎんレトロライン」から「北九州銀行レトロライン」
に変更になりました。

1.「平成ちくほう鉄道」時刻表の表裏の写真が良いですね。
同じような写真を撮ってみたい気持ちもあって、私のお気に入りの「門司港レトロ地区と潮風号」に
会いに行きました。時刻表の裏表を再掲します。
①時刻表の表紙

②時刻表の裏表紙


2.「潮風号」;「九州鉄道記念館~出光美術館」間を走行中です。





3.門司港駅です。駅前広場の噴水のタイミングを見計らってシャッターを押しました。





4.関門海峡の風景です。
⑦奥は関門橋とめかり地区です。右手には高さ103mの「レトロ展望室」が見えます。

⑦黄葉の秋景色を入れてみました。


5.「旧門司三井倶楽部」です。左手奥には「レトロ展望室」が見えます。⑧


6.「跳ね橋」が上がるのを待ちました。背景は「門司港ホテル」です。⑨


7.めかり公園の展望台から見た関門橋です。⑩


8.「海峡ドラマシップ」に入りました。
⑪館内での平家の壇ノ浦の物語などの巨大な立体映像は必見です。
また、関門海峡が高い位置から見渡せます。

⑫海峡ドラマシップ館内の大正ロマンの街です。・・・⑫
真ん中右には、懐かしい市内電車が停車中です。手前の人だかりは、おなじみバナナ売りです。


9.ご存じ門司港の焼きカレーです。これは、野菜類と卵入りですが、美味しい!!・・・⑬
焼きカレーの店は、パンフレットに多く記載されていますが、食べ歩きしてみたいです。・・・


10.103mの「レトロ展望室」から、時刻表②の裏表紙と同じ角度で夜景を撮影してみました。⑭
・・・コンパクトデジカメによる素人写真ですが、まあまあお気に入りです。
腕とカメラと・・・私の今後の課題です。


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◆平成筑豊鉄道のこと◆~◆その6;赤村へ◆

2011年11月18日 12時07分44秒 | 郷土の歴史
◆平成筑豊鉄道のこと◆~◆その6;赤村へ◆



さる10月に開催された『「筑豊の近代化遺産」講座in赤村』 に参加した際のメモです。
「筑豊の近代化遺産講座」シリーズとしては、第7回目で、今回の主催は、
赤村教育委員会、田川市石炭歴史博物館です。
赤村教育委員会ご担当の学芸員の松浦さんには、直方駅から乗車され、用意周到な手配や
資料準備をされて、平成筑豊鉄道の見どころ、特に自然豊かな赤村での種々産業遺産の
ご案内をして頂き、楽しい学習の旅となり、大変お世話になりました。
*****
さて、このシリーズ「その6」では、列車は、「田川伊田駅」から「田川線」になり、行橋行きになります。
*1.平成ちくほう鉄道の路線図です。


*2.①②③田川伊田駅での「炭都物語号」です。楽しい絵が一杯です。
炭坑節の盆踊り、子どもたちの駆けっこ、山本作兵衛絵画のモチーフである川ひらた船頭と鉄道、
ぼた山も描かれています。




*3①「源じいの森駅」到着です。


「源じいの森温泉」があります。温泉にも入りたいですが、今回はパスです。
②③



*4①九州で一番古い「石坂トンネル」の見学です。


古い昔にさかのぼれば、筑豊地方の石炭輸送ルート拡充の為に、豊州鉄道㈱が、伊田~行橋間に
鉄道を建設し、石坂トンネルは明治28年(1895年)に築造されています。
トンネルの内部は、アーチ状の赤煉瓦積みトンネルで、115年の歴史を持っています。
②「源じいの森温泉」のそばを降りて行くと、右手奥に「石坂(第2)トンネル」が見えます。



③「石坂トンネル」の歴史を語る煉瓦壁には、「登録有形文化財」のプレートが貼られています。



*5①②
「油須原駅」の見学
「油須原駅」も、屋根などは改修されているようですが、明治28年(1895年)開業という100年を
越す重みを持つ木造駅舎です。



*6①②③④「内田三連橋梁」の見学


明治28年(1895)にできた三連アーチ式の橋梁です。
さて、この「内田三連橋梁(みつあんきょ)」は、中央を約2m幅の内田川が流れており、両脇は農道に
なっています。赤煉瓦造りですが、橋梁の下部と上流側部分は石積みで強化されています。
下流側部分は、将来の複線化が計画され、赤煉瓦が凸凹の組合せになった珍しいもの、とのことで、
当時の技術が偲ばれます。なお、登録文化財、近代化産業遺産に指定されています。





*7①②赤村トロッコ油須原線乗車
油須原線は、炭坑用の輸送路線として作られたものの、完成間近にして筑豊の炭坑は衰退期を迎え、
接続する予定の路線は次々と廃線となり、実際に使われること無く終わったという幻の鉄路です。
しかし、半世紀近くを経て、この幻の鉄路には、観光線として「赤村トロッコ油須原線のトロッコ列車」が
走っています。現在、「赤村トロッコの会」にて、村独自での運営が行なわれています。
「赤駅」から伊田駅方面に向け、「旧油須原線跡」に敷設された約2kmの距離を走る
「赤村トロッコ油須原線のトロッコ列車」に乗車しました。
①「トロッコ列車」に乗ります。運行経路のトンネル内では、コウモリが沢山いました。

②走行中、先ほどの「内田三連橋梁」の姿が、遠くに見られました。(次の写真の真ん中の奥) 
「トロッコ列車」に同乗した『「筑豊の近代化遺産」講座in赤村』出席の皆さんの平均年齢は、
かなり高いのですが、それぞれに子どもの頃に帰ったような、ワイワイガヤガヤの雰囲気でした。



*8「油須原駅弁当」のこと
盛りだくさんの『「筑豊の近代化遺産」講座in赤村』の現地遺産実地見学に、大満足して
昼食は、「油須原駅弁当」を美味しく頂きました。弁当の包み紙もお気に入りだったので、
その画像を添付します。


*9「筑豊の近代化遺産講座」;於 「赤村住民センター 大ホール」
いよいよ、当日の『「筑豊の近代化遺産」講座in赤村』です。
テーマは、次の通りで、
①赤村教育委員会松浦さんの「筑豊の石炭輸送に活躍した筑豊興業・豊州鉄道」
②田川市石炭歴史博物館安蘇館長の「旧蔵内住宅、あをぎり、炭坑住宅の変遷」
③同じく、福本さんの「日本の産炭地からみた筑豊炭田の特徴」
それぞれ密度の濃い興味深い講義でした。大変勉強になり、新たな知識をインプットし、
我が筑豊地区の積み重ねて来た歴史を再認識することが出来て、本当に有難い次第です。


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◆平成筑豊鉄道のこと◆~◆その5;伊田駅から「田川市石炭・歴史博物館」へ◆

2011年11月16日 11時33分36秒 | 郷土の歴史
◆平成筑豊鉄道のこと◆~◆その5;伊田駅から「田川市石炭・歴史博物館」へ◆


1.平成筑豊鉄道の伊田駅(田川市)です。


2.3
伊田駅構内からすぐ近くにある「田川市石炭記念公園」とその敷地内にある
「田川市石炭・歴史博物館」に行ってみました。徒歩で10分程度の距離です。



4.5①②
「田川市石炭・歴史博物館」、「田川市石炭記念公園」
ここでは旧三井伊田坑の大煙突と第二竪坑櫓が保存されており、伊田駅からも間近に
見ることが出来ます。
去る5月に山本作兵衛さんの炭鉱絵画がユネスコの「世界記憶遺産」に登録され、それ以降、
筑豊地区ではこのビッグニュースにより、「作兵衛ブーム」に火がついて、大いに
盛り上がっており、色々な形でのイベントが行われています。登録への取り組みを
された貢献者である「田川市石炭・歴史博物館」では、多数の山本作兵衛の炭鉱絵画や
資料が所蔵・展示されています。
また、貴重な石炭関連の設備が「田川市石炭・歴史博物館」の屋内外にたくさん保存・
展示されていて、かっての日本の近代化を支えた石炭産業の遺産や資料群
(旧三井田川炭鉱の施設)を目の前にする事が出来ます。
なお、これらについては、平成23年度の「筑豊の近代化遺産講座」の中でも
、「筑豊近代遺産研究会」会長の長弘先生、田川市石炭歴史博物館安蘇館長、
福本さんはじめ、研究成果に基づいた密度の濃い興味深く熱い講義を受ける事が
出来ます。(私も参加して、知識を掘り下げているところです。)





6.「炭坑の語り部 山本作兵衛の世界~584の物語」の表紙です。
この画集は、“二本煙突築百周年/田川市石炭・歴史博物館開館二十五周年記念特別企画”
として、平成20年に出版され、584点の図録がおさめられていますが、本年5月の
「世界記憶遺産」登録以来、相当部数売れており、私も早急に買い求めた次第です。



7.「田川市石炭・歴史博物館」は、第一、第二、第三展示室があり、石炭で栄えた
田川の歴史を中心に広く展示してあります。
(1)第一展示室;石炭の成り立ちや石炭の採掘方法、炭坑労働者の生活や様子、
石炭産業の歴史、採炭道具や三井田川伊田坑模型などが、分かりやすく、
展示・説明されています。
(2)第二展示室;炭坑生活の絵画等が展示されています。山本作兵衛の自らの
炭坑生活の体験を基にした詳細な記録画は、この室に展示されています。
実際に作兵衛さん自身の炭坑での仕事経験と記憶に基づき、60代半ばで絵筆を
とって詳細に描き記し、このように記憶遺産として残し得たというのは、
素晴らしく、本当に称賛に値します。
(3)第三展示室;「田川地方の歴史と民俗」をテーマとした、旧石器時代から
近世までの郷土の歴史や資料が展示されています。

(4)野外展示場;「田川市石炭・歴史博物館」の屋外には、炭坑節に唄われた
二本の煙突や竪坑櫓、石炭輸送に活動した蒸気機関車、掘削採炭に使用された
大型炭坑機械などが展示されています。






(5)産業ふれあい館;明治・大正・昭和各時期の炭鉱住宅(炭住)の変遷を再現し、
炭坑資料や炭坑都市から新産業都市への転換をテーマとした展示がなされています。
①4軒長屋の炭住です。


②室内です。ちゃぶ台や七輪など、懐かしいです。


③台所やかまどです。懐かしい昭和の風景ですね。


8① 8②.
旧三井田川鉱業所伊田竪坑第一・二煙突;赤煉瓦の2本の大きな煙突が、竪坑櫓や
周辺の公園を見下ろすように建っています。炭坑節にもあるこの煙突は、高さが45.5mです。
煙突としてはそれほどの高さでもないですが、煉瓦を積み上げて作られた煙突を傍でみると
本当に圧倒されるものがあります。
これは巻上機などの動力用蒸気ボイラーの排煙用の煙突として、伊田坑開設の明治41年
(1908年)に作られた、とのことです。
炭坑節のメロディが頭をかすめます。



9.旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓;明治42年(1909年)完成、地下深部の石炭を
採掘する際の竪坑の巻揚機で、高さ28mの鋼鉄製で、鋼材や様式はイギリス仕様との
ことです。
なお、「旧三井田川鉱業所伊田竪坑第一・二煙突」、「旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓」は、
いずれも(国登録文化財、経済産業省認定近代化産業遺産)となっています。


10.その他公園内をいろいろと見て回ります。
10①「坑夫の像」がありました。


10② 欲張って、1つの画面の中に「竪坑櫓」「二本煙突」「香春岳」を入れて撮りました。



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◆平成筑豊鉄道のこと◆~◆その4;そして伊田駅への風景◆

2011年11月13日 22時54分31秒 | 日記
◆平成筑豊鉄道のこと◆~◆その4;そして伊田駅への風景◆



「平成ちくほう鉄道伊田線」の「伊田駅」に向います。
1.中泉付近の「炭都物語号」です。背後に福智山が見えます。



1.本社所在地・列車基地の田川郡福智町金田駅です。


2.彦山川と香春岳です。一、二、三の岳が綺麗に並んで見えます。


3.同じく彦山川と香春岳です。元々は、一の岳が500m近くの高さあり、
二の岳より少し高かったのが、昭和の初めから始まったセメント製造用などの
石灰石採掘で、現在は、その半分くらいに低くなっています。
図中の昭和初期の写真と比べるとよく分かります。


4.5.6.田川市立病院駅を過ぎて、「炭都・伊田」の街並みが見えてきます。
そして、炭坑のシンボル的歴史遺産である赤い「2本煙突と竪坑櫓」も見えてきます。
さらに、はるか遠方には、英彦山の独特な山容も歓迎してくれています。
こういう風景の中を「なのはな号」が、さっそうと走っています。




7.8.9.伊田駅に到着しました。「なのはな号」と「伊田駅舎」、「2本煙突と竪坑櫓」が揃いました。
旧三井田川鉱の2本煙突は、炭坑節の「あんま~りイ~えんとつウがア~たかい~のでエ~」の
舞台です。


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◆平成筑豊鉄道のこと◆~◆その3;「嘉麻川橋梁」について◆

2011年11月12日 21時17分15秒 | 郷土の歴史
◆平成筑豊鉄道のこと◆~◆その3;「嘉麻川橋梁」について◆


「平成ちくほう鉄道伊田線」の「南直方御殿口駅」~「あかぢ駅」間の遠賀川支流の嘉麻川を渡る
鉄橋(嘉麻川橋梁)とその付近の風景です。
この鉄橋橋脚は、下流側(直方→伊田方面)が明治26年(1893年)、上流側(伊田→直方方面)が
明治42年(1909年)に、石炭輸送を目的に設置されています。100年以上の歴史があり、まさしく
筑豊の近代化の遺産で、現在も地域の足、観光の路線として立派にその役目を果たしています。

1.朝焼けの嘉麻川橋梁。背景は福智山系です。「なのはな号」が渡っています。朝7時ころです。
川面が鏡のように、これらの影を映しています。左手が、「岩鼻踏切」「南直方御殿口駅」
右手が、「あかぢ駅」側になります。朝日は、右手の雲のあたりにあります。



2.昼の嘉麻川橋梁。背景は福智山系です。下流側(直方→伊田方面)は塗装?工事中。


3.直方駅→伊田駅行きの下流側橋梁を走る列車の中から見た嘉麻川橋梁です。長さ221mです。
背景の幹線堤防道路とは、直方の「岩鼻踏切」で交差します。


4.上流側(伊田→直方方面)橋脚です。赤煉瓦の橋脚が歴史の年月を感じさせます。
11月2日に放映された俳優の火野正平が自転車で巡るNHKBSの「日本縦断~こころ旅」は、
まさしくこの嘉麻川橋梁の橋脚の横を走って、福岡県飯塚市の東町商店街と近くのぼた山(忠隈)
に向ったのです。番組中では、この上流の福北ゆたか線(筑豊本線)小竹~鯰田間の橋梁が
出ていました。この橋も放映して欲しかったですね~(@_@;)


5.橋脚を良く見ると、遠賀川の水流による水圧を低減するために、断面が、船の舳先のように
尖った形になっています。6角形で、上流側と下流側が尖った舟形です。
直方行き「なのはな号」です。






さて、福智山系をバックに「嘉麻川橋梁」を渡る車両のスナップ写真です。
6.「なのはな号」です。


7.鮮やかなピンク色を基調とする「ユメタウン号」です。



8.「初期カラー号」です。



9.私のお気に入りの「炭都物語号」です。左手に岩花踏切、背景の左手は雲取山、右手は福智山。



10.「嘉麻川橋梁」より少し上流では、朝7時頃、放射冷却で霧がかかって、こんな幻想的な
風景も見られました。左手は赤地、御徳、右手奥は八木山方面です。

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◆平成筑豊鉄道のこと◆~◆その2;起点の直方駅◆

2011年11月11日 21時06分25秒 | 日記
◆平成筑豊鉄道のこと◆~◆その2;起点の直方駅◆



「平成ちくほう鉄道」の伊田線起点の直方駅の紹介です。
1.直方駅舎(新駅舎=本年4月29日開業)


2.直方駅舎の案内図(「平成筑豊鉄道直方駅」の位置)


3.「平成筑豊鉄道直方駅」の表示(1年前=H22.9頃の状況です。今はありません)


4.新旧直方駅舎と「平成筑豊鉄道直方駅」との位置関係です


5.「平成筑豊鉄道直方駅」の表示(現在の新直方駅舎の中から見た状況です)
1番ホーム、2番ホームともに「なのはな号」です。


6-1.平成筑豊鉄道直方駅ホームに並んだ列車。1番ホームには「炭都物語号」、
2番ホームには、「なのはな号」が入っています。
右手奥は、かっての旧機関区で現在は電車区です。その奥はお多賀さんの丘です。
真ん中寄りに御館橋の跨線橋のアーチが見えます。左手マンションは、昔線路がありました。


6-2.1番ホームの「ちくまる号(グリーン)」です。


7.お多賀さんの横を走る「平筑初期」列車です。


8.石炭記念館の横を走る「なのはな号」です。


9.御館橋付近から見た直方駅構内;昭和40年頃の風景で、左手に機関区が見えます。
右手の線路群は、次の写真のように今はマンションや、駐車場になっています。


10.現在の直方駅構内(御館橋から見た風景);電化された架線で見難いですが、左手の
電車が停まっている場所は、旧機関区です。右手のマンションのところにも線路がありました。
中央付近の上に新直方駅舎の尖った屋根が見えます。
その下に平成筑豊鉄道の黄色い「なのはな号」が小さく停車しています。


11.12.13 ユニークな「炭都物語号」、外見~炭鉱節、その内部
直方駅1番ホームに停車中の「行橋行きの炭都物語号」です。
「平成ちくほう鉄道」のキャラクターは、親しみやすい「ちくまる」君ですが、いずれの運行車両も、
カラフルな楽しい外観をしています。中でも私のお気に入りは、この「炭都物語号」です。
沿線の田園風景、炭鉱節の踊り、ぼた山、子どもたちの遊ぶ風景等が生き生きと描かれ、
ラッピングされています。
また、車両内部にもまさしく「炭都物語」の貴重な写真や資料が、一杯飾られています。
都市圏であれば、広告が貼られるところでしょうが…、
ローカル線で有るが故に、逆に工夫されて「炭都物語」が語られ、かっての日本の近代化を
支えたのだという誇りがよみがえる事にもなり、勉強になります。




14.「行橋行きの炭都物語号」の車内です。吊革の高さの壁にズラリと写真が掲示されています。


15.写真の一部です。左の写真は「三井田川三坑の炭坑住宅でのゴムとび(昭和30年代)」
右の写真は「川崎四坑のぼた山で遊ぶ少年(昭和35年頃)」となっています。


16.山本作兵衛さんの炭鉱絵画がずらりと並んでいます。


**伊田線・糸田線・田川線の各線ともディーゼルカー主体のローカル線ですが、
運転本数、駅数とも国鉄時代以来の約2倍に増やすなどの、さまざまなアイデアを形にしながら
積極的な経営を行っており、沿線の学校に通っている学生や通院する高齢者などにとって、
大変貴重な交通機関となっています。
ユニークな試みで、線路の枕木のオーナー制度もあり、会員になると名前等の言葉の入った
プレートが新しい枕木に取り付けられます。鉄道運営に参加してもらうことにより、
地域や利用者との連携が高められます。列車内のつり革のオーナーになってもらう募集もなされた、
とのことです。
また、ラッピング広告の形で車両の命名権を販売しており、全35駅のうち「田川市立病院駅」、
「源じいの森駅」を除く33駅の駅名愛称命名権の募集を行なっており、16駅において愛称が
付けられた、とのことです。**




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◆平成筑豊鉄道のこと◆~◆その1◆

2011年11月09日 23時13分41秒 | 日記
平成筑豊鉄道のことその1


平成筑豊鉄道の路線については、私にとって、故郷の鉄道路線であるということや、旧国鉄時代に、
高校時代の通学生の友人が居たことなどから、大変親しみがあります。
最近は、私も「筑豊の近代化遺産講座」への出席などから、乗車・利用することが増え、改めて
見つめ直しています。

なお、「筑豊の近代化遺産講座」は、「筑豊近代遺産研究会」会長の長広先生、田川市石炭歴史
博物館安蘇館長、筑豊各地区の博物館や歴史館関係の館長さん、そして学芸員の方々、地元
歴史家等、そうそうたるメンバーで構成されており、本年4月から毎月一回来年3月までの予定で、
毎回密度の濃い内容で開催されています。私も日本の近代化におけるかっての筑豊炭田の役割、
歴史を学習しながら新たな認識を積み重ねています。
その関係者の方のご尽力・努力により、去る5月に山本作兵衛さんの炭鉱絵画がユネスコの
「世界記憶遺産」に登録され、それ以降、筑豊地区はこのビッグニュースの展開で大いに
盛り上がっています。

さて、平成筑豊鉄道㈱についてですが、1989年設立で、福岡県および沿線自治体が出資する
第三セクター方式の鉄道会社であり、主要株主の出資割合は、 福岡県 約27%、 田川市 約15%、
直方市 約7%、 行橋市 約7%、その他となっています。本社所在地・列車基地は、
田川郡福智町金田です。
営業路線は、かっての筑豊炭田の輸送の重要な一翼を担った筑豊地区の旧国鉄の伊田線・
糸田線および田川線の各線です。
また、2009年からは、北九州市からの委託でかっての産業路線を使用して、門司区の門司港
レトロ観光線(愛称:やまぎんレトロライン)のトロッコ列車を運行しています。

まず、「平成ちくほう鉄道」の時刻表についてです。
A-5サイズの30ページのカラフルで、良く工夫された見やすく楽しいしゃれた時刻表です。
1.表紙には、「平筑初期カラー」の400型ディーゼルカーと、門司港レトロ観光列車の
「潮風号」の絵が載っています。


2.裏表紙には、黒川起章氏設計の「門司港レトロ展望室(地上103m)」からの夜景が
載っています。


3.最初のページは、カラフルな「路線図と沿線見どころマップ」と「車両の紹介」です。


4.駅の数は、私が知る過去の駅の2倍くらいに増えており、レールバスといった感じです。


5.「平成ちくほう鉄道」「ちくまる」君の親しみやすいキャラクターです。


6.カラフルな運行車両の(7台+1台)の写真を拡大再掲しました。

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