私の直方の風景

私の住んでいる直方の好きな風景を紹介します。

直方の秋 コスモスの花そして背景の福智山系

2009年09月30日 21時17分55秒 | 日記
直方の秋、コスモス

秋の風景には、特にコスモスが良く似合います。
それに福智山系を背景にすれば、まさしくふるさと直方の画面となります。

そこで、直方の身近なコスモス風景をピックアップしました。

背後が屏風状の山並みの画像の場合、背後の右手に福智山、左手に三角に尖った
雲取山が見えます。
1.


2.


3.


4.


5.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

直方そして筑豊の銘菓成金饅頭

2009年09月29日 00時11分17秒 | 郷土の歴史



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

直方市のレトロ建築物紹介 その3

2009年09月28日 00時34分06秒 | 郷土の歴史
直方市のレトロ建築物の見学と紹介 その3

(6)[直方市石炭記念館;山部]
・本館は明治43年に筑豊石炭鉱業組合の建設されています。
その後、炭鉱の救護練習施設として利用されたそうです。
野外には古い試験坑道や、石炭の元になった原木メタセコイアが植えられています。
また、SLフアンには魅力的な、コッペル型機関車(大正14年)やC11ー131蒸気機関車が
屋外に展示されています。
館内には、かって日本を支えた筑豊地区の石炭産業に関わる膨大な資料が展示されており、
興味のある人には、必見の貴重な研究材料であり、じっくり見ると数日はかかりそうです。
私もその一人です。(^^♪

(6-1)直方市石炭記念館正面



(6-2)直方市石炭記念館全景;「福北ゆたか線、平成ちくほう鉄道」の陸橋より



(6-3)直方市石炭記念館の説明文


(7)[日本福音ルーテル直方教会;日吉町]
・何時ごろ建てられたかは聞いていませんが、住宅街の一角に古くからある教会です。
こじんまりとしていますが、きれいなステンドグラスの壁面が美しい姿をみせています。
「日本福音ルーテル直方教会聖堂」として、礼拝が続けられています。

(7-1)[日本福音ルーテル直方教会の正面



(7-2)[日本福音ルーテル直方教会の側面



(7-3)[日本福音ルーテル直方教会の集会案内



(8)[直方駅;山部]
・直方駅は筑豊地区のかなめの駅で、1891年(明治24年)開業ということで
相当に古い木造家屋です。
そして駅舎の歴史もまた古く、1910年(明治43年)に完成したとされていますが、
「初代博多駅の駅舎を明治時代に移築した」という説もあるそうです。
バロック様式の駅舎としては九州最古だそうで、正面の玄関口には古代ギリシャ建築風の
柱(エンタシス風)が立ち、いかにも100年の歴史を感じさせてくれます。

私も小さい頃からの馴染みの駅ですが、石炭産業華やかなりし頃の大きな機関庫があり、
機関車の煤煙がもくもくしていた時代から較べると、こじんまりとなり、活気が減少した気が
します。(かって林芙美子もこういう直方の風景を見て、煤けた町と評したのでしょう)

機関車の煙、そしてその匂い(現在だったら、迷惑な公害の世界!)、ひたすらの驀進、
いろいろと矛盾を含みながらも、明日の日本の夢に向かっていたような、特に昭和30年代の
ノスタルジーの世界が思い出されます。

(8-1)直方駅のギリシャ風入口


(8-2)直方駅の全体


(8-3)直方駅の左手より


(8-4)直方駅の右手より


(8-4)参考パンフ;「ゆたーっと直方まち歩き」より、林芙美子の放浪記の直方の印象です。



\(~o~)/(^^♪\(~o~)/(^^♪\(~o~)/(^^♪










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

直方のレトロ建築物の紹介 その2

2009年09月27日 00時08分34秒 | 郷土の歴史
直方市のレトロ建築物の見学と紹介 その2です!!

(2)[直方谷尾美術館;殿町~新町]
・大正6年に、建てられたという洋館造りの旧奥野医院です。
1992年に、故谷尾欽也氏が、外観はそのままに内部を改装し、開設した美術館でした。
2000年に、美術館と作品の寄贈を受け、2001年4月から、直方市美術館(直方谷尾美術館)
として生まれ変わっています。
直方市は、江戸時代より長崎街道の主要都市として栄えましたが、本館はかっての直方藩
城下町の中心的位置にあり、現在文化交流の場として利用されています。

(2-1)直方谷尾美術館正面中央より


(2-2)直方谷尾美術館


(2-3)直方谷尾美術館





(3)[町家建築;美術館の収蔵庫;新町]
・町家建築の一つで、大正4年に建てられ、以前は米屋だったそうです。
平成9年に谷尾第2美術館として、使用されていましたが、現在は直方市の
美術館の収蔵庫として利用されています。

(3-1)町家建築


(3-2)町家建築




(4)[江浦医院;殿町~新町]
・明治34年に建設された木造洋風建築です。
現在も江浦耳鼻咽喉科医院として、開業されている現役そのものの貴重な建物です。
私も小さい頃に診察を受けに行ったことがあります。懐かしい建物ですね~。

(4-1)江浦医院




(5)[旧讃井医院;殿町~新町]
大正11年に竣工されたという木造モルタル造りの和洋折衷建築物です。
開業当初は内科・胃腸科・歯科などの総合病院だったそうです。
最近閉院されたようです。
私も学生時代に近くの本屋に良く出かけた際に、この病院を横目に眺めました。

(5-1)旧讃井医院正面



(5-2)旧讃井医院全景


→⇒その3へと続きます。\(~o~)/\(~o~)/\(~o~)/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

直方市のレトロ建築物の紹介 その1

2009年09月26日 21時11分03秒 | 郷土の歴史
直方市のレトロ建築物の見学と紹介 その1

「レトロ施設」と言えば、北部九州では、「北九州市の門司レトロ地区」が
あまりにも有名で売り出し中ですが、直方市にもまさしく「レトロな建築物」が
あり、周囲の風景に溶け込んでいて、ゆったりと刻んだ歴史を感じさせてくれます。
私も生まれ育った直方住民として、断片的には知っていましたが、今回次の参考資料を
眺めて、改めて歩いてみて感慨を新たにしました。

*参考パンフ;「ゆたーっと直方まち歩き」直方商工会議所編*インターネットで見れます。
表紙のイラストは、[旧讃井医院;殿町~新町]です。



*アートスペース谷尾(旧福岡銀行直方南支店)にある説明パネルの一部*
 直方市教育委員会編(直方ロータリークラブ寄贈)
説明パネルの一部に「直方市の近代建築分布」として、図にまとめられていました。


まず、[アートスペース谷尾(旧福岡銀行直方南支店)]です。

(1)[アートスペース谷尾(旧福岡銀行直方南支店);古町]
・大正2~3年に十七銀行直方支店として建築されたレンガ造りの洋風建築です。
昭和20年に福岡銀行直方南支店と改称、平成9年に故谷尾欽也氏により
「アートスペース谷尾」として生まれ変わっています。そして現在は
直方市立美術館別館(通称;アートスペース谷尾)として公開されています。
ステンドグラスで装飾された室内には、薩摩切子など世界各国のガラス器や
古高取焼きの展示物をはじめとして飾られ、、ギャラリー喫茶もあります。

(1-1)アートスペース谷尾正面入口(古町側)



(1-2)アートスペース谷尾(ギャラリー喫茶側)



(1-3)アートスペース谷尾側面



(1-4)アートスペース谷尾説明パネル



(1-5)アートスペース谷尾全体風景


→⇒その2に続きます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

直方の秋 その1 彼岸花です

2009年09月25日 00時29分28秒 | 日記
直方の秋景色(その1)彼岸花です 










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

筑豊電鉄と遠賀川そしてその風景

2009年09月21日 23時37分43秒 | 日記


ちくてつ~筑豊電鉄~正式には、筑豊電気鉄道ですが、主要株主は、西日本鉄道が
100%保有しています。設立は、1951年2月15日となっています。


黒崎から最終的に直方まで接続したのは、更に数年立っていると思います。
私が、小学6年生の時、つまり昭和34年(1959年)頃に、今の状態に直方まで開通して、
小学校から旗を持ってお祝いに駆けつけた記憶があります。
そして、筑豊電鉄からも記念乗車に招待されて、戸畑の日本水産や明治製菓にも
見学に行った懐かしい覚えがあります。明治製菓の工場では、甘い匂いがして
さいころキャラメルをお土産にもらいました。
もう50年前の古い過去のお話です。

そして、定年間近になった今も毎日通勤で利用しております。
考えてみれば、私自身の生涯の歴史も筑豊電鉄と多くの部分で重なっています。


●開通の期日は、参考資料を見ますと、
1956年 3月 21日 貞元(今の熊西) ~ 筑豊中間 7.3km
1958年 4月 29日 筑豊中間 ~ 木屋瀬 4.8km
1959年 9月 18日 木屋瀬 ~ 筑豊直方 3.3km

●1960年頃の大変懐かしい筑豊電気鉄道沿線写真は次のホームページに
紹介されています。
http://onokoho.web.infoseek.co.jp/R-Chikutetsu1.htm

●更に1978年頃の懐かしい写真は次のホームページに載っています。
http://homepage2.nifty.com/kisya/tikuhoh1978-1.htm

*****それでは、筑豊電鉄の私のお気に入り画像です*****

(1)私が通勤で乗り降りする感田駅付近です。





(2)感田駅に3000型「白色+ブルー色」の2両連結の電車が到着しました。





(3)3両連結の橙色に赤色のストライブの入った2000型電車も元気です。




(4)楠橋の車庫に、左から赤紫色車体の2100型、3000型、2000型の勢揃いです。




(5)3000型の電車が、菜の花咲き乱れる春の遠賀川を渡ろうとしています。




(6)同じく、筑豊電鉄と背景には福智山と、菜の花の遠賀川河川敷との組合せです。




(7)秋のススキが風にそよぐ中、遠賀川鉄橋を渡る電車です。





(8)秋の彼岸花を点景として、遠賀川堤防側より感田電停方面を見ました。
 手前の小川は近津川です。3000型の電車が走っています。




(9)筑豊電鉄の時刻表をコピーしてみました。やや解像度が落ちますが・・・・・
左は、3両連結で稲穂が秋色に色づいています。
右は、2両連結で河川敷の菜の花と福智山系をバックに走っています。





\(~o~)/\(~o~)/\(~o~)/\(~o~)/\(~o~)/










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「メタセコイア」・・・そして「直方石炭記念館」の紹介

2009年09月19日 22時54分10秒 | 郷土の歴史
「メタセコイア」とは?・・・・そして「直方石炭記念館」の紹介です。

①生きている化石「メタセコイア」の繊細でやわらかい葉です



②レトロな雰囲気の我が「直方石炭記念館」そして「コペル32号」です。





「直方石炭記念館」は
右手の本館は、明治43年に筑豊石炭鉱業組合の直方会議所として設立され、
その後訓練施設や試験所として使用された由緒ある建築物、とのことです。
そして左手のSLは、大正14年から昭和51年まで貝島大之浦炭坑で52年間
働き続けたという、SLファンには大変嬉しい「コペル32号蒸気機関車」です。

②ー2 石炭記念館と由来







「直方石炭記念館」の庭には、メタセコイアが
植えられており、我が筑豊炭田を形成した「石炭の原木」と説明されています。
メタセコイアは2億年前の中生代白亜紀に生まれた「生きている化石」「石炭の原木」と
説明されています。
筑豊地方の石炭は、古第3紀層ですから、数千万年前にこの筑豊地区一帯にメタセコイアの
針葉樹大森林地帯があったのでしょうか。想像すると楽しいですね。
そして日本の産業の基礎を築く貴重な石炭資源になったとは・・・・。
嬉しいですね。\(~o~)/\(~o~)/

③石炭記念館とメタセコイア
(背後は多賀公園の森、手前は筑豊平成鉄道並びに福北ゆたか線=筑豊本線)







ところで、小倉南区の国道10号線の北九州空港近くの中央分離帯に
メタセコイアの見事な円錐形をした並木があります。
杉科の針葉樹で秋には黄色や赤色に色づいて落葉します。

④国道10号メタセコイア並木






レトロな直方の石炭記念館を訪れると、石炭産業華やかなりし時代にタイムスリップします。
沢山の資料やサンプルが集められており、ゆっくり見ていくと時間の経つのも忘れてしまいます。
私も筑豊に育ち、ボタ山も眺めたり、炭鉱が比較的身近にあり、大学でも地質に関する学問をかじり、
会社での仕事も何がしか、かかわりのある仕事も経験しました。
そういう理由からも親近感があります。
石炭記念館が多賀公園の中にあり、そばを旧筑豊本線が走っているのも良いですね。

⑤石炭記念館遠望そして多賀公園さらに旧筑豊本線





もう一つ、石炭記念館の敷地内には、SLファンに嬉しい「C11-131号蒸気機関車」があります。

⑥C11-131号蒸気機関車。30年間、石炭運搬列車として地球を32周の距離を走り続けたそうで、黒煙をあげて走り続けていた勇姿が目に浮かびます。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネムノキ(淡いピンクの花そして葉が開閉する優しい樹木)

2009年09月06日 23時46分50秒 | 樹木
淡いピンク色の花そして葉が開閉する「ネムノキ」

夜になると葉を閉じることにより、つけられたという「ネムノキ」(和名)は
やわらかく幻想的な淡いピンク色の花を咲かせてくれます。
実は細長く扁平で豆のようです。





こちら北九州では、6~8月頃が開花期で、ピンク色も薄い色からやや濃い色まで
バラエティがあります。これはおしべだそうです。
夜になると細長い葉を丸め込むように閉じます。葉の「就眠運動」だそうです。
そして早起きでまた葉が開き、おはようの挨拶をしているようです。

私が慣れ親しんでいるネムノキは、通勤風景の中にあり、野生化しているもので、
何時の頃からか成長し始め、今は大きな樹木に成長しています。

道路際にあるので、普通は、雑草とともに伐採されてしまいそうですが、
切られることもなく、今は立派な風景として定着しています。
ネムノキは梅雨の頃から盛夏にかけて私の気持ちを和やかなものにしてくれるので、
元気付けられ、感謝しています。

\(~o~)/\(~o~)/(^^♪(^^♪(~o~)(~o~)

(1)その一つは、直方二中の入口バス停付近の遠賀川の堤防にあります。
①右手は遠賀川に架かる日の出大橋です。


②直方二中入口のバス停です。


③やや濃い目のピンク色です。


(2)もう一つは、私の勤務している工場の入口付近にあるものです。

④工場入口の大木になったネムノキです。綿が付いているようです。


⑤淡いピンク色です。


⑥手前には小さなネムノキも生えています。 奥に大木のネムノキです。
季節は、8月も終わりで、細長く扁平な実をつけ始めています。



⑦6月に小倉で宴会を行なった際、料亭の庭に咲いていたネムノキです。
周囲の樹木とも良く調和しています。


\(~o~)/\(~o~)/


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

樟の大樹(感田の阿高宮)です

2009年09月01日 23時13分37秒 | 樹木
直方市の樟の大樹(阿高宮)

直方市の筑豊電鉄感田駅のそばの丘に、「阿高宮の樟の大樹」があります。
樹齢500年とされる直方市で一番大きい樟の大樹だそうです。

「阿高宮」付近は、歴史的価値のある文化財としての水門跡や、この
樟の大樹などがあり、皆さん方の手で大変良く整備されており、
憩いの場所にもなっています。

私も付近にある小学校に通っていたので、大変親しみがあります。
そして、定年間際の今もこの感田の電停から通勤しております。
 (^^♪ (~o~) 
 

まず、①筑豊電鉄感田電停付近と②電車です。\(~o~)/




③「冬枯れの阿高宮」遠望です。\(~o~)/



④「青々としたじゅうたんの阿高宮」の遠望です。\(~o~)/

丘の上にひときわ「背高のっぽの大きい樟の樹」がよく見えます。



⑤大きな旧長崎街道の「かめの標識」を横目に、遊歩道を鳥居のある方へ歩きます。



⑥鳥居のある整備された参道の階段を上ると広場になります。



⑦入口付近に「阿高宮の縁起」が示されています。



⑧そして、今も変わらぬ大きな樟が天を突いています。\(~o~)/


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする