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私の直方の風景

私の住んでいる直方の好きな風景を紹介します。

●大河小説「青春の門」の再スタート;●その3 ”筑豊富士”散策

2017年02月15日 22時28分52秒 | 郷土の歴史
「青春の門」のイメージ散策;その3”筑豊富士”散策

「青春の門フォーラム」が終わって、タイムスリップをした余韻の中で、
「青春の門」の小説や映画の場面、山本作兵衛さんの炭坑画の世界、自分でも経験した現代の国内外の石炭採掘の世界、
今身近に通勤している田川地区の炭坑の面影等々、色々なことを、頭の中でぐるぐると思いめぐらしました。

そして、新飯塚駅から、会場への道を歩きながら見た「炭坑の風景」を残すぼた山が、改めて魅力的な
新鮮な風景に思えました。今はすっかり、緑豊かな普通の小山の風景と変わらない姿ですが・・・

そこで、飯塚市のコミュニティセンターを後にして、のんびりと町なか歩きをしながら、
「旧住友忠隈ぼた山”筑豊富士”」の近くの菰田地区に向いました。
普段、田川で感じている「青春の門」の舞台背景を、飯塚でも何となくイメージしながらの散策です。
次は、歩いた際の経路図(googleより)です。


”筑豊富士”のこの辺りは、炭坑長屋(炭住)の面影を残す家並みがあり、
NHKBSプレミアムの新日本風土記「筑豊」の中でも大きく登場しました。
その際の、今は緑豊かな「旧住友忠隈ぼた山”筑豊富士”」を背景としたTV画像です。






その中で55年余り、当時から営業を続け、活き活きと紹介されたのが、池松酒店です。
炭坑華やかなりし頃の賑わいの様子など、池松酒店の主人や女将さんから説明があり、
池松酒店に集う「角打ち」仲間の皆さんの想い出話しに花が咲いていました。
(放送後、私も”勉強”を兼ねて、池松酒店で、楽しい角打ち体験をしました。(^_^)/~)




若い頃の石原裕次郎も輝いています。


棚に飾られた酒樽容器が、池松酒店の歴史を感じさせてくれます。


*NHKBSプレミアム新日本風土記「筑豊」について*
2016年6月24日放送され、筑豊の風景、直方、飯塚、田川などの炭坑時期の生活や現在の
文化、炭坑節・川渡り神幸祭などお祭り風景が、広く紹介されています。

”筑豊富士”の麓のバイパス道路など、菰田地区周辺をしばらく散策してから、飯塚駅へ向います。






飯塚駅に着いてから、振り返った”筑豊富士”ぼた山の風景です。




飯塚駅のかっぱ地蔵さんです。私もお賽銭を寄付しました。
左のたぬきさんは、筑豊の炭坑で良く見られる大変硬い木の化石(硅化木)の上に立っています。


少々歩き過ぎて、足ががくがくしましたが、気持ちは大満足で、飯塚駅から直方駅に帰ります。

●補足● 
五木寛之は現在84歳、「青春の門」は、第一部「筑豊編」を36歳の時に、1969年からスタートして、
第八部「風雲篇」の1994年4月連載途中で中断、最初のスタートからは、今年で48年目となります。
そして、今回の執筆再開は、中断から23年ぶりということで、かなりの話題となっております。
今回の「新青春の門 第九部漂流編」再スタートの舞台はシベリアで、時代は1960年代の前半、
伊吹信介29才という設定です。筑豊に戻り、新たなる展開になるという、信介の今後が大変期待されます。

今回の「新青春の門 第九部漂流編」再スタートにより、掲載誌「週刊現代」の販売もかなり伸びたようです。
私も、「新青春の門 第九部漂流編」再スタートの「週刊現代」を、早速購入して読みました。
その「週刊現代」には、「青春の門」の流れが、簡潔にまとめてあり、その記事の一部を加工して、ピックアップします。


こちらもどうぞ;**「旧住友忠隈ぼた山”筑豊富士”」について**  2012年09月14日

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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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6 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
「青春の門」の補足 感謝いたします。 (権太楼)
2017-02-16 10:51:14
今、改めて私が高校2年当時買った「筑豊篇」を読み始めました。伊吹信介が生まれたのは昭和10年だったことや、祖父の名前が耕平で「遠賀川の船頭」であったことなど多くの事柄を忘れていましたね。

確かに戦後の閉山期を過ごした私とは炭鉱や地域に対する想いが違うことに気づかされました。当たり前のことですが、炭鉱の生活を経験しても,その時代や社会背景が違えば各人の炭鉱に対する想いは異なりますね。

昭和46年1月発行の単行本では、直方に「のうがた」と読み仮名がふられていました。文庫本では「のおがた」と訂正されているのでしょうね、今度調べてみますね。
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筑豊富士繋がりで… (関東の誠)
2017-02-16 23:02:00
こんばんは。

今夜NHKBSプレミアムのプロファイラーで白蓮さんにじっくり触れてみてふと思ったのですが、青春の門は白蓮さんの人生をヒントにしたか、或いは影響を受けているのでは…と。
白蓮さんの人生は青春の門に比べるとスケールが大き過ぎますが…。
連載復活のこのタイミングでオンエアされた白蓮さんもタイムリーに思えた次第です。
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「青春の門」と作兵衛さん。 (権太楼)
2017-02-17 11:37:44
すみません。横レスで失礼します。

「青春の門」はほぼ五木寛之氏の自伝で早稲田大学・音楽業界・ソ連,東欧訪問と自らの体験がベースにあって物語が形造られています。

ただ、五木氏は八女生まれであり,筑豊篇は全くのフィクションであると思いますが、それでもモデルや創作のヒントがあったはずで、それは多分,山本作兵衛さんの話であり田川市立図書館館長だった永末十四雄氏の話がベースとなったと勝手に思ってます。

理由は、作兵衛氏の祖父が「遠賀川の船頭」であったことや、作兵衛氏が働いていた「上三緒炭鉱」で父重蔵が亡くなること、「青春の門」に永末氏の文献が出てくること等があります。尚 、作兵衛氏のことについては「筑豊炭坑絵巻上 ヤマの仕事」他を参考にしました。
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伝右衛門と白蓮さん (nonbiri-arukuyama)
2017-02-17 22:41:51
(関東の誠)さま、コメント有難うございます。
炭鉱王たる伊藤伝右衛門とあまりにも有名な白蓮さん・・・
こちらは、史実ですし、また、確かにスケールが大きいですね。
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作兵衛さんの大絵巻 (nonbiri-arukuyama)
2017-02-17 22:47:51
(権太楼)さま、大変興味あるご丁寧なコメントを有難うございます。
(権太楼)さんの場合は、炭鉱~筑豊~についての色々な実体験をされており、
きっと様々な想いをお持ちでしょうね。
確かに、「青春の門」は、五木寛之の自伝的内容ですね。
そして、昭和40年(1965年)代頃から、作兵衛さんの残された数多くの絵や説明文を見ていると、
まさしく筑豊の炭坑の大絵巻ですよね。
それは、五木寛之の大河小説の大きなバックグラウンドにもなった・・・
なるほど、と思われますね。有難うございました。
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一度離れてしまいましたが… (関東の誠)
2017-02-17 23:05:39
高校卒業時点での私は「東京で“英彦山ガラガラに影響される”ことはなかろうもん。」と感じて離れてしまいましたが 梓先生というキャラクターが“リトル白蓮さん”かも?という視点に立って読んでみると、間接的に大正ロマンに接することが出来るかも?などと五木寛之さんも想像しなかった読者になるかも知れません。
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