私の直方の風景

私の住んでいる直方の好きな風景を紹介します。

☆門司港レトロ地区のイルミネーションと夜景見物~★その2

2017年02月23日 22時38分33秒 | デジカメ散歩
門司港レトロ地区のイルミネーションと夜景の見物~その2です。

1.レトロ建築物の夜の風景です。
(1)大正10年(1921年)建築の「旧門司三井倶楽部」です。
2階には、アインシュタイン宿泊の部屋や林芙美子の資料室があり、それぞれ展示や説明がなされています。


(^_^)/~直方にもゆかりのある「林芙美子記念室」は、こちらをどうぞ (^_^)/~
◎門司港の林芙美子記念室見学  2015年09月20日

左手には、「旧大坂商船ビル」や「門司港ホテル」が見えます。


レトロ夜景は、こちらもどうぞ・・・
☆閑話休題~一眼レフ修業中;☆その3「門司港レトロ夜景」(1)  2011年12月26日

(2)大正6年(1917年)建築の「旧大阪商船ビル」です。1階には、わたせせいぞうギャラリーがあります。


(3)「国際友好記念図書館」です。元々は、大連市のドイツ風建築物を、友好姉妹都市締結を記念して
平成7年に複製建築したとのことです。私も中に入って見学しましたが、2、3階は図書館で、
東アジア各国に関する図書が多く揃えられています。


背後に高さ103mの「レトロ展望室」があります。昼間の風景は、こちらもどうぞ・・・
☆閑話休題~”カメラ散歩”;☆その4「門司港レトロ昼間の風景」(3)  2011年12月29日

(4)明治45年(1912年)に建てられたレンガ造りの「旧門司税関」です。




(5)昭和6年(1931年)に建てられた「三宜楼」は、木造3階建てで、門司港の繁栄を物語る料亭です。


料亭「三宜楼」へ上って行く坂道です。路地風の坂道が何とも言えない雰囲気を醸し出しています。


2.関門海峡の暗闇に浮かぶ「関門橋の夜景」を、レトロ地区の岸壁から見ました。



3.門司港ホテルや門司港レトロタワー(展望室)を背景にしたイルミネーションの見える夜景です。




●中央部分に跳ね橋も見えます。




門司港ホテルや門司港レトロタワーの組合せです。




4.門司港駅舎は、現在保存修理工事中ですが、工事現場の塀には、「門司港ドリームギャラリー」が、
展示されています。創造的な絵やレトロな写真など、夜の塀にアーティスティックに飾られ、
幻想的な雰囲気を演出しています。


真ん中に和布刈神社のわかめ刈りの神事の像が見えます。


和布刈神社のわかめ刈りの神事の像です。海岸でワカメを刈り採って、神前に供えます。




かっての門司港駅の賑わいの模様です。レトロな雰囲気が伝わってきます。


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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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☆門司港レトロ地区のイルミネーションと夜景見物~★その1

2017年02月21日 22時26分45秒 | デジカメ散歩
門司港レトロ地区のイルミネーションと夜景見物~その1

門司港レトロ地区のイルミネーションと夜景を見物に行って来ました。

年末(特にクリスマス)年始には、あちこちの場所で、華麗なイルミネーションのある風景が展開しますが、
門司港のイルミネーションのある風景は、点灯期間が長く、昨年11月19日から今年の2月19日までの
3ヶ月間にわたり、長期間楽しませてくれました。


門司港レトロ地区は、私のお気に入り場所でもあり、私も昨年末から今年にかけて数回お出かけしました。

1.まずは、門司港レトロ展望室31階からの夜景です。
日没後、まだ空が、明るさを残している中での門司港レトロ地区の風景です。
正面に門司港ホテル、その背後に修復工事中の門司港駅の白い建物が見えます。


夕陽が落ちて、門司港の海岸通りのイルミネーションが輝き始めます。


真正面に門司港ホテル、その奥に改築中の門司港駅です。


門司港レトロ展望室から、関門橋の夜景を眺めます。更に背後に「火の山展望台」の灯りが見えます。


対岸の下関地区の夜景です。右手に海響館のある大観覧車、左手に海峡ゆめタワーです。


2.海岸通りのイルミネーションです。
左手に、関門橋が見えます。右手に、「恋人の聖地」とされるはね橋の 「ブルーウイングもじ」です。


今度は、はね橋の「ブルーウイングもじ」と、右手にレトロ展望室が見えます。


イルミネーションの並木の右手に、「旧門司税関」が見えます。


背景にはね橋と、レトロ展望室、門司港ホテルが見えます。


イルミネーションの並木です。




3.「恋人の聖地」とされるはね橋の 「ブルーウイングもじ」です。
左手背景に関門橋です。


はね橋を渡って、背景に門司港ホテルです。左手には、海峡プラザの店舗群の灯りが並びます。


◎こちらもどうぞ:

☆閑話休題~一眼レフ修業;☆その3「門司港レトロ夜景」(2) 2011年12月27日

「門司港レトロ地区に行ってきました」 2012年05月28日

門司港レトロのイルミネーションを見に行って来ました 2013年01月19日

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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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●大河小説「青春の門」の再スタート;●その3 ”筑豊富士”散策

2017年02月15日 22時28分52秒 | 郷土の歴史
「青春の門」のイメージ散策;その3”筑豊富士”散策

「青春の門フォーラム」が終わって、タイムスリップをした余韻の中で、
「青春の門」の小説や映画の場面、山本作兵衛さんの炭坑画の世界、自分でも経験した現代の国内外の石炭採掘の世界、
今身近に通勤している田川地区の炭坑の面影等々、色々なことを、頭の中でぐるぐると思いめぐらしました。

そして、新飯塚駅から、会場への道を歩きながら見た「炭坑の風景」を残すぼた山が、改めて魅力的な
新鮮な風景に思えました。今はすっかり、緑豊かな普通の小山の風景と変わらない姿ですが・・・

そこで、飯塚市のコミュニティセンターを後にして、のんびりと町なか歩きをしながら、
「旧住友忠隈ぼた山”筑豊富士”」の近くの菰田地区に向いました。
普段、田川で感じている「青春の門」の舞台背景を、飯塚でも何となくイメージしながらの散策です。
次は、歩いた際の経路図(googleより)です。


”筑豊富士”のこの辺りは、炭坑長屋(炭住)の面影を残す家並みがあり、
NHKBSプレミアムの新日本風土記「筑豊」の中でも大きく登場しました。
その際の、今は緑豊かな「旧住友忠隈ぼた山”筑豊富士”」を背景としたTV画像です。






その中で55年余り、当時から営業を続け、活き活きと紹介されたのが、池松酒店です。
炭坑華やかなりし頃の賑わいの様子など、池松酒店の主人や女将さんから説明があり、
池松酒店に集う「角打ち」仲間の皆さんの想い出話しに花が咲いていました。
(放送後、私も”勉強”を兼ねて、池松酒店で、楽しい角打ち体験をしました。(^_^)/~)




若い頃の石原裕次郎も輝いています。


棚に飾られた酒樽容器が、池松酒店の歴史を感じさせてくれます。


*NHKBSプレミアム新日本風土記「筑豊」について*
2016年6月24日放送され、筑豊の風景、直方、飯塚、田川などの炭坑時期の生活や現在の
文化、炭坑節・川渡り神幸祭などお祭り風景が、広く紹介されています。

”筑豊富士”の麓のバイパス道路など、菰田地区周辺をしばらく散策してから、飯塚駅へ向います。






飯塚駅に着いてから、振り返った”筑豊富士”ぼた山の風景です。




飯塚駅のかっぱ地蔵さんです。私もお賽銭を寄付しました。
左のたぬきさんは、筑豊の炭坑で良く見られる大変硬い木の化石(硅化木)の上に立っています。


少々歩き過ぎて、足ががくがくしましたが、気持ちは大満足で、飯塚駅から直方駅に帰ります。

●補足● 
五木寛之は現在84歳、「青春の門」は、第一部「筑豊編」を36歳の時に、1969年からスタートして、
第八部「風雲篇」の1994年4月連載途中で中断、最初のスタートからは、今年で48年目となります。
そして、今回の執筆再開は、中断から23年ぶりということで、かなりの話題となっております。
今回の「新青春の門 第九部漂流編」再スタートの舞台はシベリアで、時代は1960年代の前半、
伊吹信介29才という設定です。筑豊に戻り、新たなる展開になるという、信介の今後が大変期待されます。

今回の「新青春の門 第九部漂流編」再スタートにより、掲載誌「週刊現代」の販売もかなり伸びたようです。
私も、「新青春の門 第九部漂流編」再スタートの「週刊現代」を、早速購入して読みました。
その「週刊現代」には、「青春の門」の流れが、簡潔にまとめてあり、その記事の一部を加工して、ピックアップします。


こちらもどうぞ;**「旧住友忠隈ぼた山”筑豊富士”」について**  2012年09月14日

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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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●大河小説「青春の門」の再スタート;●その2

2017年02月12日 23時23分26秒 | 郷土の歴史
大河小説「青春の門」の再スタート;その2

青春の門フォーラム」に参加;その2
さて、会場に到着です。飯塚市のコミュニティセンターは、中央公民館図書館などの施設になっています。




コミュニティセンター前の広場では、ちょうど「筑前飯塚・地産大豆de節分まつり」が
開催され、子供たちや家族でにぎわっていました。
こういう風景も、地域盛り上げの雰囲気が伝わってきて、良いですね~。


さて、飯塚市のコミュニティセンターに入ります。1階は飯塚市立図書館になっています。
ちょうど、蔵書点検期間中ということで、図書館は休館日でした。
ロビーでは、フォーラム出席の知り合いの方たちとも、偶然にお会いし、雑談に花が咲きました。
初めての場所で、時間も少々あったので、ロビーをあちこち眺めました。
館内入口には、飯塚山笠が飾られていました。




さて、「青春の門フォーラム」会場の4階に上がります。会場への案内ポスターです。
よく見ると、かっての香春岳一の岳と、削り取られた現在の一の岳の写真が並んでいます。


そして、青春の門の映画のポスターや撮影時のそうそうたるスターが並んだ写真です。
サイン入りで、1974年のメモが入っています。門司の松永文庫からの寄贈のようです。


フォーラムの内容から、年配者(つまり信介世代)が多く、三々五々に集まられ、
静かな中にも、熱気が盛り上がりそうな会場風景です。




まず、第一部は、田川市石炭・歴史博物館の安蘇龍生館長による講演です。
タイトルは、「『青春の門』の時代に生きて~あの頃の筑豊」です。


続いて、第二部は、西村隆幸局長の歯切れのよい、名司会のもとで、
安蘇館長と筑豊総局の若手記者2人(山本諒記者、広田亜貴子記者)のパネリストが
「おかえり信介しゃん」のテーマで、パネルディスカッションでした。
若手記者2人は、まだ若き20歳台で、筑豊の「青春の門」の舞台の取材、五木寛之への
インタビューの様子などを紹介してくれました。
その経過や内容は、私も西日本新聞を見て、あらかじめインプットしておきました。


安蘇龍生館長は、田川伊田の地元出身で、教育畑を歩まれる傍ら、石炭の歴史や
炭坑社会の仕組みを研究され、しかも博物館の現館長という経歴で、まさしく専門家です。

若手記者2人は、30歳前ですが、今回の新聞記事への取り組みは、本当に
一生懸命取り組んで、成果を出しており、私も新聞を読んで、真摯な姿に感銘を受けました。

ディスカッションや会場からの様々な経験談や熱心な意見が出され、「青春の門」に対し、
大歓迎する一方で、描かれ方への疑問が出されるなど、色々な見方があるものだな―
といろいろと勉強になりました。

確かに、筑豊という風土の中で生活し、炭坑の仕組みや共同生活の実態も知る方や、
研究しておられる方々にとっては、「青春の門」の展開ストーリーは、
小説の特性かも知れないが、部分的であり、炭坑社会の制度上間違っている
部分もあるという指摘もありました。

ともすればマイナスイメージの、荒っぽい気風や暴力的な風土という強い印象で、
描かれているが、本当は、温かい助け合いの共同社会が形成された、という
プラスイメージが大きいのに・・・という気持ちもあり、です。

五木さんにとっても、母親の里の八女から、はるばると飯塚や田川へ自転車で来て
「筑豊でお茶の行商」をした際に、そのキップの良さや人間味にあふれ、
全国から集まった働く者たちの「共和国」があり、気風に憧れた、との好印象を持ったとの事です。
いずれにしても、「筑豊」という地域社会を取り上げて、一気に全国に広めてくれた功績にたいしては、
五木さんには、感謝です。

そして、伊吹信介と同世代の青春時代を過ごした方たちにとっては、大事な自身の
日記のようなものでもあるでしょう。会場からもそういう雰囲気が感じられました。

私にとっても、大変勉強になりました。

また、会場入口の廊下には、映画「青春の門」のロケ風景、松永文庫からの
寄贈写真、当時のスター達とのスナップ写真、サイン入り写真などがズラリと並べられ、
どれも懐かしく素晴らしいものでした。
特に来場者の皆さんにとっては、自身の青春時代にタイムスリップ出来たに違いありません。
私にとっても感動的なものでした。以下は、うまく撮れませんでしたが、その雰囲気の例です。












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◎こちらもどうぞ:
「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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●大河小説「青春の門」の再スタート;●その1

2017年02月11日 22時41分29秒 | 郷土の歴史
大河小説「青春の門」の再スタート;その1

五木寛之の1969年スタートの大河小説「青春の門」が、「第8部 風雲篇」の途中
1994年(平成6年)4月以来、23年ぶりに週刊現代(平成29年2月4日号)で、
「新 青春の門」第九部”漂流編”として、再スタートしました。
これに先立ち、地元の西日本新聞社筑豊総局では、正月から再開記念の特集を組んで、
「おかえり信介しゃん」、五木寛之へのインタビュー「語る新青春の門」記事が
連載され、私もこれらの記事内容を興味を持って読みました。

「青春の門」については、以前のブログですが、こちらもどうぞ
●香春岳;「青春の門」の舞台、烏尾峠よりの風景  2016年06月16日

◎『青春の門・筑豊編』の舞台  2015年10月27日

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そして、去る1月29日、飯塚市のイイヅカコスモスコモンの向い側にあるコミュニティセンターで
「青春の門」を語ろう、の「青春の門フォーラム」があり、私も参加出席して充実した時間を過ごしました。
主催は、西日本新聞社、飯塚市立図書館です。

今回は、まず、私の”道中記”です。位置関係を示します。


直方駅から、福北ゆたか線に乗り、新飯塚駅で降ります。
ちょうど駅構内通路には、お雛様が飾られて、しばし華やかな気持ちになりました。


飯塚は、2月~3月にかけて、市内各地で、町をあげての「雛(ひいな)のまつり」が、開催されます。
旧伊藤伝右衛門邸、千鳥屋本家、麻生大浦荘、商店街、市内各地が雛まつり会場になっています。
次は、素晴らしく豪華な旧伊藤伝右衛門邸の雛飾りを見物した際の、ブログです。
*旧伊藤伝右衛門邸のお雛様見物に行って来ました*~その2~  2015年03月30日

*旧伊藤伝右衛門邸のお雛様見物に行って来ました*  2015年03月28日

大きな麻生飯塚病院の病棟群の横を歩きます。


私もこの病院に何度かお世話になっております。


歩いて遠賀川(嘉麻川)の沈下橋を渡ります。
沈下橋の向こうに、筑豊富士の名前で呼ばれる忠隈のぼた山が見えます。


そして、内住川です。沈下橋とぼた山と水鳥の遊ぶ風景が、のどかです。


内住川の河川敷に白蓮の歌碑があります。



「師の君の 来ますむかふと 八木山の 峠の若葉 さみどりのして・・・白蓮」とあります。


この辺りは、俳優の火野正平が自転車で巡るNHKBSの「日本縦断~こころ旅」に
登場しており、私もその時の映像を思い浮かべながら歩きました。

★☆NHK番組特記 「日本縦断 こころ旅」 九州上陸!★☆  2011年11月05日

**「旧住友忠隈ぼた山”筑豊富士”」について**  2012年09月14日

そして、嘉穂劇場のそばを通ります。炭坑の繁栄の頃の風情を色濃く残す
嘉穂劇場は、昭和6年に開場し、江戸時代の芝居小屋の特徴である
「桝席や花道、廻り舞台等」を持つ、貴重な施設です。






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「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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◎折尾・若松へのお出かけ;車窓の風景◎

2017年02月04日 16時12分44秒 | 日記
折尾・若松へのお出かけ;車窓の風景

今回、仕事で、折尾・若松方面に出掛けました。
少し前まで、毎日朝晩、仕事の行き帰りに眺めていた風景ですが、
久しぶりに、ちょっと懐かしくて、思わず撮ったスナップ写真です。

1.よく晴れた2月の朝で、季節はもう立春ですが、まだ冬の寒い明け方の
朝焼けの風景です。福北ゆたか線の鞍手駅~筑前垣生駅間の田畑の向こうに
福智山系が見えます。写真では、うまく表現出来ませんでしたが、
雲ひとつない幻想的なシルエットが素敵でした。右端のピークが福智山です。


2.筑前垣生駅~中間駅間の遠賀川鉄橋を渡る際の左手の列車からの風景です。
左手に福智山や鷹取山、真ん中には、はるかに英彦山の山並みが見えます。
中間市役所前に架かる「遠賀橋」の街灯や町の灯りがチラチラしています。


3.帰りの際の、折尾駅前の駅側から見た堀川沿いの風景です。
名門東筑高校生の通学路でもありますが、自然に溶け込んだ感じのする
長い歴史を秘めたレトロな飲み屋街を中心とした夜の風景です。


4.今度は、逆に、現在大きな工事中の折尾駅側を観ました。奥に左右に伸びる灯りが、新駅舎の高架のホームです。
手前の「しんしんほりかわ」の銘版には、五平太舟が刻まれています。
かっての筑豊の石炭を運んだ要衝である事が窺えます。


5.同じく、折尾駅側を観ました。奥に左右に伸びる灯りが、新駅舎の高架のホームです。


こちらもどうぞ
◎JR植木駅~鞍手駅沿線の5月;麦畑のある風景◎  2015年05月18日

◎通勤(直方~折尾)車窓の風景;◎植木~鞍手駅付近の麦畑  2014年05月20日

●遠賀川の鯉のぼりの風景  2015年05月03日

●折尾駅東口、堀川のミニ鯉のぼり  2015年05月05日

◎折尾駅周辺堀川沿いの点描5~「角打ち」風景など  2014年07月15日

◎折尾駅周辺点描3(堀川運河);折尾駅東口の説明板  2014年06月22日

◎折尾駅周辺点描2(堀川運河);通勤時の風景  2014年06月21日

☆(1)★折尾駅のこと☆★  2013年02月20日

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「みんなで選ぶ筑豊市民遺産 筑豊の誇り」
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