☆花子とアンと伊藤伝右衛門邸☆その2
引き続き、「旧伊藤伝右衛門邸」です。
旧伊藤伝右衛門邸は明治期に建てられ、大正期、昭和初期に増築された、
近代和風建築物です。
その粋を凝らした豪邸は、国の名勝指定を受けた広大な庭園であるとともに
歌人柳原白蓮の日常があった建物です。
白蓮が伝右衛門に嫁いでから、7歳年下の宮崎龍介と恋に落ち、新聞紙上で
「絶縁状」を発表するという当時としては、極めてセンセーショナルな結末までの
10年間を過ごした場所です。
また、筑豊地区飯塚市内に残る貴重な炭鉱時代の面影を残す遺産であり、
「炭鉱王伊藤伝右衛門」の功績をも伝える文化遺産です。
現在、NHK連続テレビ小説「花子とアン」の影響で、大きく注目されているこの
豪邸ですが、白蓮の恋物語の一端と、伝右衛門たちの人生に触れることが出来ます。
1 約10年間を伊藤伝右衛門の妻として過ごした白蓮さんの部屋の中です。
ガイドボタンティアの方が、白蓮好みに配された細かいチェックポイントを
親切に色々と説明してくれます。
2 部屋の中の装飾を施された調度品類です。
うまく撮れませんでしたが、技巧を凝らした細かい細工があちこちに見られます。
・2階の白蓮さんの部屋への入り口。左手は、食事などの差し出し口。
・変色しているが、豪華な銀箔で彩色されていたふすま。
・天井の壁の細工
・伊藤家の家紋をあしらった天井
・かぼちゃの姿の室内灯と有田焼の碍子
・部屋から縁側と手すりを通して庭を見ます。
・白蓮さんの短歌とその解説です。
3 部屋の中から、国指定名勝となっている約2000坪の庭を眺めます。
白蓮さんが、色々な思いで庭を眺めていたであろうことが、想像されます。
4 今度は逆に、庭から屋敷を眺めます。左手2階屋が白蓮さんの居室です。
●建物の概要は、「長屋門」の入口の案内板にも記されています。
飯塚市幸袋300番地
敷地面積 約7、570㎡(約2、300坪)
建物延床面積 約1、020㎡(約300坪)
敷地面積約2300坪という敷地に、部屋数25という広大な家屋群の屋敷です。
その内部は京都から呼んだという宮大工の細やかな美の技法に驚かされます。
まさに石炭王という贅を尽くした豪邸です。
5 伊藤伝衛門像の実像は?
白蓮像と、伊藤伝衛門像とは、主役をどちらにするか、生き方や社会への貢献度を
問題にするか、教養・文化性か社会性か、著者の立場や何を強調して描くかなどの
ポイントにより表現や評価は異なります。
白蓮さんにばかり人気スポットが当たり、脇役・無学で粗野な伝衛門像が
描かれがちですが、困窮して働くばかりの無学の少年時代から、身を起こし、
石炭業での成功と多くの社会貢献などもっと注目される必要があると思います。
・古河鉱業との共同経営「大正鉱業」樹立と発展 ・運を呼び込み、
強い意思で成功させた「中鶴炭坑」、
・無事故で近代的な「宝珠山炭坑」という優良炭坑開発(高倉健の父親も勤務)、
・石炭産業の近代化に貢献した「幸袋工作所」、
・2期の代議士時代の「遠賀川大改修工事」等で遠賀川の洪水を減少させた業績、
・筑豊という地での女学校創設(現在の県立嘉穂東高等学校)という
文教面での貢献
・・・等々、伊藤伝衛門の数々の功績があります。
これらの業績は、白蓮さんの居室に近い邸内の蔵跡に展示されています。
NHK連続テレビ小説「花子とアン」の九州の石炭王・嘉納伝助(吉田鋼太郎)の
モデルとなった実在の人物・伊藤伝右衛門は、無学・粗野なだけの男ではなく、
裸一貫で経営者・実業家として成功し、また、政治や教育活動へも力を投入し、
スケールの大きな人物として、地元に大きな貢献をしているのです。
無学でも努力で財を成し、地元に貢献した誇り高い川筋男というのも、
伝右衛門の実像だと思います。
6 参考文献です。
放映中のNHK連続テレビ小説「花子とアン」効果のためか、行きつけの図書館に
出掛けると所蔵の、関連図書も貸出中や予約が多く入っているようです。
私も読んだ図書の一部を参考にアップします。
①月刊「MOE(モエ)」2014年6月号 特集「赤毛のアン」と村岡花子の物語 白泉社
②「柳原白蓮 (西日本人物誌)」井上洋子 西日本新聞社 2011年発行
③「白蓮れんれん」林真理子 中央公論社 1994年発行
④「娘が語る白蓮」 宮崎 蕗苳 河出書房新社 2014年発行
⑤「白蓮」娘が語る母子 長女宮崎 蕗苳監修 宮嶋玲子聞き書き
旧伊藤伝右衛門邸の保存を願う会 2007年発行
⑥「伊藤伝右エ門物語」深町純亮 旧伊藤伝右衛門邸の保存を願う会 2007年発行
⑦「筑豊の石炭王 伊藤伝右衛門」 深町純亮 2005年発行
⑧漫画「伊藤伝右衛門物語」 深町純亮原作 羽月由憲画 講談社 2011年発行
⑨筑豊一代「炭坑王」 伊藤傳右衛門 宮田昭 書肆侃侃房 2008年発行
⑩研究報告「白蓮と伊藤伝右衛門 : 新別府小手川家の仏壇」矢島嗣久
別府史談会 2002年発行~別府史談 No.16 (2002. 12) ,p.89- 98
さて、上記①~⑩は、それぞれに、興味深い図書ですが、飯塚市歴史資料館の
深町純亮元館長の客観的な事実に基づいた著書⑥「伊藤伝右エ門物語」には、
深い感銘を受けました。
深町元館長は、郷土史研究家としても活躍され、平成21年度 福岡県文化賞を受賞
されています。
また、⑧漫画「伊藤伝右衛門物語」も原著をベースに、白蓮と伝右エ門が強く
生きた部分が好意的に、分かり易く活き活きと明るい物語に描かれています。
また、漫画の付録には、伝右衛門のこと、飯塚のこと、筑豊の古代から現代まで
のことも記述され、筑豊に住む者として改めて地域の誇りを持たせてくれる一冊です。
深町元館長には、私も「筑豊の近代化遺産講座」シリーズに参加した際に、
80代後半のお身体ながら、2回ほどご案内と説明をして頂いたことを鮮明に
覚えております。穏やかながら、深い造詣と筑豊を愛する強いお気持ちが、
静かに深く伝わって来ました。
取り壊されようとした飯塚市の「旧伊藤伝右衛門邸」を今日の姿にされた
立役者だともお聞きしています。
次は、別府にあった別府「あかがね御殿」のことです。
⑩は別府市在住の親しい友人YKR58さんから教えて頂いたもので、論文は、
ネット上からも閲覧出来ます。
この論文には、伊藤伝右衛門と白蓮のこと、別府あかがね御殿での
白蓮と宮崎龍介との出会い、あかがね御殿のその後のこと、別府での出来事が、
分かり易く時系列で整理された状態で説明されています。
また、最近、別府市や地元メディアや文化施設でも、別府あかがね御殿と白蓮の
在りし日の姿を、熱い視線で特集を組んでいるようで、同じくYKR58さんから、
種々の情報を頂戴しております。
YKR58さん、貴重な情報を色々と有難うございます。
白蓮ゆかりのお菓子「幻の華 白蓮」も美味しかったです。
⑤『「白蓮」娘が語る母子』は、長女宮崎蕗苳からみた、白蓮の実像です。
82年の生涯のうち、家族の為に懸命に働き、周囲の人々にも出来るだけ
援助をするというけなげな女性の後半生の45年間を宮崎龍介家族
とともに歩んだ姿です。
宮崎蕗苳さんは、飯塚「旧伊藤伝右衛門邸」や赤銅(あかがね)御殿のあった
別府にも訪問しています。
こうして見ると、逆説的ではありますが、伊藤伝右衛門との結婚が
あったからこそ、生涯短歌に没入し、やがては、宮崎龍介との別府の
あかがね御殿での出会いとその後があったという客観的な事実があります。
センセーショナルな「白蓮事件」が、中心となって、
どうしてもスキャンダラスな部分にだけ焦点が集まりがちなのは、
仕方ありませんが、伝右衛門と白蓮は、
その後の人生も、それぞれの立場で、家族を大切にし、社会貢献しながら、
お互い一生懸命生きて来たという点で、ともに素晴らしいと納得させられます。
いずれにしても、この筑豊にあって、石炭産業は衰退しましたが、
かって日本経済を大きく支えた石炭王伝右衛門と白蓮の暮らした
旧伊藤伝右衛門邸は、「花子とアン」の盛り上がりとともに、
今後も見学者の来邸や認識の変化拡大が期待されます。
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