環7、環8‥‥。 道路に全く詳しくない私でもこの二つの環状道路はなんとなく知っています。
では1~6号線はどこになるのか? 環状道路について調べると、東京のまちづくりの歴史が見
えてきた。
都内の主要な道路には番号だけでなく「~通り」のように名前がついていることも多い。
環状1号線から6号線はどの通りを指すのだろうか。 東京の環状道路は皇居に近いほど数字が
若く、1号線は皇居を取り囲むように走る内堀通りと日比谷通りの一部で構成されている。
2号線は虎ノ門や四谷などを結ぶ外堀通り、3号線が飯倉や六本木などを通る外苑通り。 4号
線は上野や小石川を結ぶ不忍通りの一部や白金台の有名なプラチナ通り(外苑西通り)などを
含む。 5号線と6号線はそれぞれ明治通り、山手通りを指す。
実は1号線以外は完全な環状(ループ)にはなっていないのだが、環状道路には都心に集中しが
ちな交通を分散し、混雑を防ぐ効果がある。 都心を中心にした放射状の道路しかないと、円
周方向に移動したい場合でも、いったん都心を通らなければならない。 移動距離が長くなる
だけでなく、渋滞を招く。
東京の環状道路の計画の歴史は古い。 東京都によると,現在の整備計画が決定されたのは19
46年3月26日。 ただ、環状1号線~8号線の計画そのものは戦前から存在していた。
23年に関東大震災が発生。 復興都市計画を導いたのが震災の翌日に内務大臣に就任した“後
藤新平”だ。 震災以前から練り続けていた都市計画を戦災復興を機に進めたという。
都市計画研究の第一人者、“越沢氏”の「東京都市計画物語」によると、復興計画でまず環状5号
線が新たに計画された。 その後、27年に幹線道路として6号線、7号線、8号線の3本の
計画を告知。 1号線から4号線までは既存の道路をつなぎ合わせるなどして計画された。
後藤・安田記念東京都市研究所にある市政専門図書館には26年に当時の復興局が制作した「大
東京都市計画道路図」が保管されている。 細かい文字で当時計画されていた道路網がびっし
りと書き込まれており、今日も使われている主要な道路インフラを当時の人々がすでに考えた
ことには驚きました。
大震災の復興計画は戦争で一時中断。 その後戦災復興で再び計画が日の目を見るが、整備が一
気に進んだのは64年の東京オリンピックが契機だ。 たとえば環7は東京五輪の重要インフ
ラとしてつくられた「オリンピック道路」でもある。
2021年開催の東京五輪・パラリンピックでは、晴海に建設された選手村と五輪会場を結ぶイ
ンフラとして環状2号線が注目を集めた。 2号線の中でも「マッカーサー道路」という異
名で有名なのが虎ノ門~新橋間だ。 この区間は戦災復興で計画された後、用地の買収が進
まず、事業化が行き詰まっていた。 2度目の五輪が追い風となり、ついに14年に開通。
新虎ノ門通りと名付けられた。 一方、同区間の地下を通る「築地虎ノ門トンネル」は築地
市場の豊洲移転問題によって工事に遅れが発生。 五輪開催前に完成予定だったが、22年
度末まで延長された。
環状道路は東京の都市計画の肝であったにもかかわらず、2号線地下トンネル以外にも計画が実
現していない区間が残っている。 地図を見れば一目瞭然だが、青写真を描いてから約1世紀
たった今でも完成率は70%にとどまっている。
「未完成」には計画が目指す規格通りになっていない場合も含まれる。 東京都発行の「東京の
都市づくりのあゆみ」によれば、7号線は1985年、8号線は2006年に開通したものの
計画よりも道幅が狭い「概成」と呼ばれる区間が残っている。
新型コロナ過が起きるまで地方の人口を吸収し、膨張し続けてきた東京。 今後「環状9号線」
という道路名が生まれる可能性はあるのか?
現在、都内の環状道路は都が管理する。 8号線の外側の環状道路を管理するとなると、埼玉県
や神奈川県などにまたがる道路となるため、他県との連携が必要になる。 複数の都道府県を
通る道路の建設は国の管轄となる。
都の事業としての「東京都市計画道路幹線街路環状第9号線」が生まれる「可能性はない」(東
都の都市整備局担当者)とのことだが、生活者としては番号がついている方が位置関係などをつか
みやすい。 環8の外側には16号線など、すでに環状道路も整備されている。 通称として
だけでも「環9」という道路の誕生を期待するのは夢物語なんでしょうネ‥‥。
では1~6号線はどこになるのか? 環状道路について調べると、東京のまちづくりの歴史が見
えてきた。

都内の主要な道路には番号だけでなく「~通り」のように名前がついていることも多い。
環状1号線から6号線はどの通りを指すのだろうか。 東京の環状道路は皇居に近いほど数字が
若く、1号線は皇居を取り囲むように走る内堀通りと日比谷通りの一部で構成されている。
2号線は虎ノ門や四谷などを結ぶ外堀通り、3号線が飯倉や六本木などを通る外苑通り。 4号
線は上野や小石川を結ぶ不忍通りの一部や白金台の有名なプラチナ通り(外苑西通り)などを
含む。 5号線と6号線はそれぞれ明治通り、山手通りを指す。
実は1号線以外は完全な環状(ループ)にはなっていないのだが、環状道路には都心に集中しが
ちな交通を分散し、混雑を防ぐ効果がある。 都心を中心にした放射状の道路しかないと、円
周方向に移動したい場合でも、いったん都心を通らなければならない。 移動距離が長くなる
だけでなく、渋滞を招く。
東京の環状道路の計画の歴史は古い。 東京都によると,現在の整備計画が決定されたのは19
46年3月26日。 ただ、環状1号線~8号線の計画そのものは戦前から存在していた。
23年に関東大震災が発生。 復興都市計画を導いたのが震災の翌日に内務大臣に就任した“後
藤新平”だ。 震災以前から練り続けていた都市計画を戦災復興を機に進めたという。
都市計画研究の第一人者、“越沢氏”の「東京都市計画物語」によると、復興計画でまず環状5号
線が新たに計画された。 その後、27年に幹線道路として6号線、7号線、8号線の3本の
計画を告知。 1号線から4号線までは既存の道路をつなぎ合わせるなどして計画された。
後藤・安田記念東京都市研究所にある市政専門図書館には26年に当時の復興局が制作した「大
東京都市計画道路図」が保管されている。 細かい文字で当時計画されていた道路網がびっし
りと書き込まれており、今日も使われている主要な道路インフラを当時の人々がすでに考えた
ことには驚きました。
大震災の復興計画は戦争で一時中断。 その後戦災復興で再び計画が日の目を見るが、整備が一
気に進んだのは64年の東京オリンピックが契機だ。 たとえば環7は東京五輪の重要インフ
ラとしてつくられた「オリンピック道路」でもある。
2021年開催の東京五輪・パラリンピックでは、晴海に建設された選手村と五輪会場を結ぶイ
ンフラとして環状2号線が注目を集めた。 2号線の中でも「マッカーサー道路」という異
名で有名なのが虎ノ門~新橋間だ。 この区間は戦災復興で計画された後、用地の買収が進
まず、事業化が行き詰まっていた。 2度目の五輪が追い風となり、ついに14年に開通。
新虎ノ門通りと名付けられた。 一方、同区間の地下を通る「築地虎ノ門トンネル」は築地
市場の豊洲移転問題によって工事に遅れが発生。 五輪開催前に完成予定だったが、22年
度末まで延長された。
環状道路は東京の都市計画の肝であったにもかかわらず、2号線地下トンネル以外にも計画が実
現していない区間が残っている。 地図を見れば一目瞭然だが、青写真を描いてから約1世紀
たった今でも完成率は70%にとどまっている。
「未完成」には計画が目指す規格通りになっていない場合も含まれる。 東京都発行の「東京の
都市づくりのあゆみ」によれば、7号線は1985年、8号線は2006年に開通したものの
計画よりも道幅が狭い「概成」と呼ばれる区間が残っている。
新型コロナ過が起きるまで地方の人口を吸収し、膨張し続けてきた東京。 今後「環状9号線」
という道路名が生まれる可能性はあるのか?
現在、都内の環状道路は都が管理する。 8号線の外側の環状道路を管理するとなると、埼玉県
や神奈川県などにまたがる道路となるため、他県との連携が必要になる。 複数の都道府県を
通る道路の建設は国の管轄となる。
都の事業としての「東京都市計画道路幹線街路環状第9号線」が生まれる「可能性はない」(東
都の都市整備局担当者)とのことだが、生活者としては番号がついている方が位置関係などをつか
みやすい。 環8の外側には16号線など、すでに環状道路も整備されている。 通称として
だけでも「環9」という道路の誕生を期待するのは夢物語なんでしょうネ‥‥。