小学生の時からクラシック音楽が好きでよく聴いていました。初めは小学校の放課後に流れるシューベルトの「軍隊行進曲」や、シューマンの「トロイメライ」、ベートーベンの「エリーゼの為に」等を。初めて聴く曲で流れるようなメロディに感動していました。
中学になるとFMラジオでオーケストラ作品も聴くようになりました。田舎は辺鄙な所でまともにFM放送さえ受信できません。当然ノイズがいっぱいの中で、「運命」、「田園、「未完成」、「新世界」等の交響曲等を初めて聴きました。次から次にソナタ形式の展開する楽音と対位法の旋律対比に興奮して聴いていました。
高校生の頃は、相変わらずFM放送や、カセットに録音したリパッティの演奏を毎日繰り返し聴いていました。リパッティの「最後の告別会演奏」の中から、モーツァルトのピアノソナタK310やバッハの「主よ人の望みの喜びを」が特に好きでした。何度聴いても飽きることなく3年間もよく聴いていました。
自分で働いて給料が出るようになると、本格的なシステムをコンポで揃えました。「良い音楽を良い音質で聴きたい」と願った第一歩です。そんな時に出会ったのがシューベルトの「即興曲」。「どうやって弾いいているんだろうか?」と思えるほど、細かい音が流れるように出てきます。演奏者を変えると曲そのものの印象が変わることも知りました。オーケストラ曲もベートーベンやブラームス、チャイコフスキーを一通り聞きかじり、ブルックナーやマーラーの世界に入っていきました。次から次に「新しい曲」を聴く度に「感動」していたものです。
機器のグレードに関係なく、音楽によって感動する事は出来る訳です。では現在はどうなのか?というと、「生演奏の再現」のテーマを上げて取り組みました。小編成の場合は「生演奏」に近づけることは出来ますが、大編成の曲では「部屋の容積」や機器のサイズ(特にSPの大きさ)やエネルギー感に有限な制約が有りますので、理論的に無理と思います。ただ「らしさ」を追求することは出来ます。
8年間も「音質アップ」について「仕事」として取り組んできて、「SPのセッティング術」、「音変換ロス対策」、「伝送ロスの極小化」と対策をして来て、「一本のケーブルの思想」に到達しました。
「云うは易し、行うは難し」です。音質アップの為のオーディオ機器の取り扱いには最低二人の作業できる人が必要です。SPの移動やセットアップ、ユニットの取り外しや付け替え等は重量物ですので、絶対に一人でやること自体が無理です。オーディオマニアは個人の趣味ですので、基本的には「一人」の確保しかできません。必然的に「出来ること」しか出来ない訳です。テーマを持って貫徹すること自体個人では難しいと思います。
色々なSPの組立、セッティング、音質対策等を8年間もやってきて、達観したことは、「足るを知る」事だと思いました。
機器には「電気じかけの限界」が有り、「感動」とは機器のグレードに関係なく、受け手の感性で楽しめることだと思います。「癒し」を求めての音楽鑑賞でも感動は得られます。