二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

山はもう冬 - “山籠り”のまとめとして

2014-09-19 12:22:33 | 徒然に想う

ああ、美味、美味。常念岳から一の沢、ヒエ平に向かって下っていく途中、水場で汲んだ水でコーヒーを淹れる。それを一口飲んで今回の山籠りを想う。

道、道ってのは登山道も遍路道も同じだった。そこは、昔から何百万人、何千万人とが歩いてきて出来上がった踏み固められた一筋の場所。そして、その場所には、いろいろな汗や思い・願いが入っている。石の上に滴り落ちる汗は山でも遍路道でも何も変わらなかった。例えば横尾から調が岳への尾根に上がる標高1,000メートルを稼ぐ道。歩きにくい段差があるところには、木の階段・梯子が据えてある。そして今でも新しく木材が運び上げられ、更新されたり新たに設置されたりしてる。その他の場所は、どういうわけか石が敷き詰められてるように見える。その敷き詰められているところがまさに道。四国でも同じ。スコップや鋤簾をもってデコボコになったところを直される。階段が作られていて、遍路に階段は辛いが、それが土止めになり遍路の行く手を守ってくれる。石畳だって何箇所も歩いた。それは、その道を愛する人々が今歩いている、これから来る登山者たち・遍路に安全をとの願いを籠めてのことだろう。

残念だったこともある。ある小屋の前で、一人のガイドさんがその日率いてきた十数名の方たちの中心に立ち整備体操をされていた。もちろん、率いた方たちのことを思ってのことだし、理屈的にそうすべきだ。問題は、その場所。通路となる小屋の前で、通路を塞ぎなからしてる。通路が彼らだけの為にあるのならいい。我々を含むその組に属さない者は遠回りを余儀なくされるとは考えない。ツアーを率いている方々もおかしい。どれだけ後続に迷惑をかけているか、全く考慮しない。15日のこと、奥穂から前穂にかけての吊尾根が大渋滞。団体はしかたないと諦められればいいが、中には日程が厳しい方たちもいる。もちろん、日程に余裕があるように計画するのは誰もの責任。が、現実にそういかないこともある。苛ついたり焦ったりする気持ちが生まれざるをえない。明らかに、彼らには、仮にガイドやコーディネーターとして技量があったとしても、自分の率いている方々以外の登山者たちにも手本となる意識や安全を守る、先達・リーダーとしての資質に欠る。残念ながら四国でも同じような先達を多く見かけた。結局、自分を慕ってくるところ(つまり自分たちにお金を出す人たち)のみしか目に入らないからだ。子供じみた言い方(どれだけ怒り心頭であったか、酌んでいただきたい)だが、金には目を向けるが、その以外はただの石ころ。今年山での事故が多いと聞くが、その数や不幸にも事故にあってしまった方たちだけに目をむけるべきではない。こんなガイドやツアーのコーディネーターたちの資質の低さによって事故が引き起きてしまった可能性にも目を向けるべきだ。

登る側も、自分の“作法(体力・技術、山での常識・知識など)”をいろいろ分析理解、知らねばならない。庵主が山登りを始めたころ、登り優先という不文律があった。どちらが安全を確保できているかにもよるが、声をかけてもらい先に下ったことを覚えている。どうもそういったことは薄れているらしく、登っている人がいようがいまいがお構いなし、自分のペースでどんどん下りてくる、向かってくる。さらには、道がやせているところにもかかわらず、写真を撮りたいがために、後ろを確認することなく突然立ち止まる。追突されたら危険だと考えない。酷い場合、その人が過ぎるのを待っている方がいるのにもかかわらず、だ。全く、自分勝手、自己中。そのことでもって事故が起こりえる。これらは若者層だけのことではない。むしろ中高年に多いように見受けられたのが驚き。もちろん、自分のことを棚に上げるつもりはこれっぽちも微塵もない。庵主の“作法”は高校以来進んじゃない。相方もどれだけ肝を冷やしたことだろう、すまない限りだ。

心温まることもあった。ヒエ平に下り終え、山行の最後にと立ち寄り湯に行こうとしたときのことだ。ちょっと温泉までの林道の距離を読み間違えて、林道歩き。途中、70は超えられている軽トラのご夫婦にどれくらいかかるか尋ねたのだった。その後、我々は坂道を下り、ご夫婦は上って行かれた。しばらくして、「乗っていくかい? …温泉にいきたい、か」。目の前には軽トラしかない。荷台に乗る? でも、それは道交法か何かで、それは禁止されてる。罰金もんだ。しかし、「じゃ、連れてってやるよ」。こんなことは言い訳にならないが、疲れていた体は「お願いします」と言わせてしまった。結局、そのご厚意に甘え、町営温泉まで連れて行って頂いたのだった。その暖かさ、大きさは、完全に山中での負の思い出をすべて凌駕。山行の最後の最後に、大きな贈り物をもらったのだった。

収支バランス? 言うまでもない。触って嗅いで見聞きしながら登り降りしてきた“道”から沢山のことを貰えた、大いにプラスが残る山行。

常念小屋のテントサイトを後にする前、空身で横通岳を巻き東天井岳に向かう。あぁ、雪がチラホラまってる。紅葉が始まったばっかり、なのに…。

 

 山はもう静かな厳しい冬を迎えようとしていた。

 

 

今日の一枚:常念岳の山頂にて、13時半頃。槍ヶ岳を望む。二枚目は東天井岳から常念小屋に戻り出して間もなく、7時過ぎ。