二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

ササフラスのお茶

2016-09-22 10:01:14 | 徒然に想う

ブンタンの施肥設計を試み、JAに出す注文書を書く。ホッと一息、お茶が飲みたくなった。ひさしぶりにササフラス(サッサフラス、Sassafras)のを入れ、あれやこれや思う。

このお茶、敬愛するポール、ジェラルディン夫妻(後述)から訪ねてた時に教えていただいた。あまりに気に入ったので、味や香りだけじゃなく、自分で作るというところも、行くたんびに持ち帰ってきた。とはいえ、日本酒と同じで空気もまたその味わいであるように、日本で飲むとどこか違って、めったなことじゃ飲まない。数年前の物が依然残ってる。早く飲み切って、採りに行けばいい? そうだけど。でもどうして、今日はササフラスにしたんだろ。ポールが遊びに来たかな。

先日、素敵な言葉をいただいた。「自然界ではすべてが関係し干渉しあっている。だから、お互い様。どの立場に立ってみるかが大切になる」。これ、なにも道徳や宗教の話しじゃない。野菜や果樹を育てる場合の心得、姿勢を示してる。長年求めていた表現。十数年来、長野県八ヶ岳の麓、埼玉県小川町、高知県の窪川と場所を変え、その間、「わら一本の革命」の福岡正信さんの本、タスマニアのWWOOFのホストファミリーのポールとジェラルディンと出会い、「農」と接してきた。考え方も、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ。やっと定まり、実現させるためにやっとこの町にたどり着いた。でも、それを表現する言葉が見当たらなかった。まさに目から鱗、「お互い様」というキーワードで表現できるじゃないか。

有機にしても慣行にしても農業に関するセミナー出ると、大概「収入」という「結論」の話しになる。それは我々人間の立場から野菜たち植物を見てるということ。では、「お互い様」の観点に立つとどうなるか。もちろん、収入のことを否定、批判しようとする意図など微塵もないし、この観点に立たなければならないと言うつもりも全くない。間違いなく、個々人のライフステージによって違うし、「農」が生き方の表現手段の一つであると思えば、共用したいと思えども押し付けることほど失礼はあるまい。植物たちから、そこにいる虫たち、鳥たちのベクトルで見たらどうか、と思い圃場にいる日々。でも、現実は、怒り心頭、大きな落胆ばかりなり・・・。

今日は、あったかい飲み物が欲しくなり、部屋にいても長袖で丁度いい。ちょっと前まで、暑さにヒーヒー言ってたのに。このギャップは、なんだ。さてさて、雨も止んだ、止んだようだ。動くことにしますか。このお茶を飲むと、動くより思いにふけってしまう。ここはこのお茶の唯一のマイナス点。



今日の一枚:書き終え、外に出た。ブログ用に一枚と10時ちょっと前。粉糠雨、だった。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿