二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

一読あれ

2015-01-08 11:53:06 | 徒然に想う

「般若心教」の現代語訳若者ヴァージョン、昨日ネットで見つけた。相当反響があるとのこと。そりゃそうだと一読して納得。以下に長いけど貼り付けときます。

超スゲェ楽になれる方法を知りたいか? 誰でも幸せに生きる方法のヒントだ。もっと力を抜いて楽になるんだ。苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。

この世は変わり行くモンだ。苦を楽に変える事だって出来る。汚れることもありゃ背負い込む事だってある。だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。この世がどれだけいい加減か分ったか? 苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。見えてるものにこだわるな。

聞こえるものにしがみつくな。味や香りなんて人それぞれだろ? 何のアテにもなりゃしない。揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。それが『無』ってやつさ。生きてりゃ色々あるさ。辛いモノを見ないようにするのは難しい。でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。無理して照らそうとしなくていいのさ。見えない事を愉しめばいいだろ。それが生きてる実感ってヤツなんだよ。正しく生きるのは確かに難しいかもな。でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。愉しんで生きる菩薩になれよ。全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな。適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。非情になれって言ってるんじゃねえ。夢や空想や慈悲の心を忘れるな、それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。今までの前置きは全部忘れても良いぜ。でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』

『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

 

心配すんな。大丈夫だ。

 

ここ数日、太陽が顔を見せる時間が6時51分(NHKニュースの天気予報で、東京の)。これより遅くならない、これからどんどん速くなる。春が待ち遠しい。

 

 

今日の一枚:神社にいく手前、イチゴハウスがある。その前で、6時10分ころ。

 

 


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