二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

ガラス一枚の思い出

2016-09-19 09:10:03 | 徒然に想う

雨が降ってる、日差しもある。どんな空なのか、あけ放った玄関の向こうのことだから、よくわからない。ああ、そういえば・・・。十年ほど前、初めてオーストラリアのタスマニアでWWOOFした時のことを思い出した。

その日、ホストたちは出かけてしまい、家にいたのは自分ひとり、何もすることがない。WWOOFerの部屋は離れにあって、あてもなく読書。あれ、窓の向こう、風景が歪んで見える。古いガラスのせい? 雨粒のせい? 耳をすませば雨音。起き上がり、玄関。扉を開けば、ハラハラと雨が太陽の光に輝き舞って。

ガラスがあるか、ないか。そこに違いがあることは知っていた。中学生頃だったと思う。淀川長治さんがチャップリンの「街の灯」だったかのワンシーン、ガラスを挟んで手のひらを合わせる、挟まないで合わせる。その違いをチャップリンの秀でてる演出力の一端として、淀川節にのって解説された。ガラス一枚があることで事実が分からない、直接触れることでわかるんだという。とても印象的なシーンだから、この解説を印象的に覚えていて、それがそのまま「違い」の理解となっていた。

そのまま、外に出た。しばらく、そのまま雨に打たれ。玄関先に座り込んむ。そうか、扉は開けなきゃ、開けなきゃ事実はわからないんだ。ガラス一枚間にあってもいけない。扉をひらけ、開けと叫んでた。ここでの生活を導く引き金になった思い出の一つである。



今日の一枚:9時過ぎ玄関から外を望む。


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