二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

情けない

2014-04-28 18:38:44 | 徒然に想う
立夏をまもなく迎える、夏が来る。畑に向かう道のわきの田もトラクターが入り、田植えの準備が着々と進む。先日、帰るとき、午前中まだ草だらけだった所がすっかり起こされているのに気付かされた。

≪田起こしの 陰に棲みしか ヒバリ鳴く≫


新しい畑で初収穫、ラディッシュがいい具合。何も手をかけないのに、けなげに大きくなってくれた。素直なもんで、取ったばかりは葉までもが丸く甘く感じられる。しかし、その数時間後食卓では、微かに辛味を感じるし葉を食べれば葉先が邪魔をする。これはラディッシュの反乱だろうか、それとも…。

庵主の周りには見えなくなってることが、予想以上に多い。そのことを忘れちゃいけないが、見えてることすら見えてないのだから…。



ちょっとノート。『病床六尺』の六月ころの下りに「如何にして日を暮すべきか」「誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか」との出てくる。病気から来る苦痛に耐えれられぬ際の思い。これを解決するのは宗教ではなく、「珍しき話」。誰か来て話してくれたら感謝するとある。この三か月ほどのち絶筆をむかえる。この知的好奇心はいったいどこから来るんだろう。





今日の一枚:収穫したラディッシュ、昨日の17時頃。