二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

土筆摘み

2014-04-04 22:26:17 | 徒然に想う

春になると、その先駆けとか盛りの象徴のようなものがいろいろ気になってくる。梅や桜、花は言うに及ばず、いつウグイが遡上してきて桜色の腹を見せるかとか、オタマジャクシの姿を確認したりとか。その中でも、味覚と連動して、土筆も同じように気になる対象である。幼かったころ、見つけては、沢山摘んでお袋殿に卵とじなどにしてもらっていた。子供のころから、春の味である。

この土筆。最近、うすうす感じ始めたのだが、土筆、庵主の周りで騒ぐのは、どうも庵主一人だけのようなのである。ヨモギなど産毛があるのようなちょっと白っぽい若葉を積んでヨモギ餅などにする友人がいるが、さほど興味がないように見受けられる。小川町の畑に向かう道中でも沢山見かけるが、摘んでいる人を見かけてことがない。どうして? あんな旨いもの…。

子規の随筆集「飯待つ間」に収められている「病床苦語」という明治三十五年の作品を読んでいた。すると、ちょうど3月下旬、碧梧桐一家と子規の妹さんが土筆摘みに出かける下りが出てきた。「予まで嬉しい心持がした」と続き、そして、「自分らの郷里では春になると男とも女とも言わず郊外へ出て土筆を取ることを非常の楽しみとしている習慣がある。…。ところが東京の近辺ではこれを取るものが極めて少ないため…」。

自分の使う言葉で、例えば「あぁ、しんど」というのがある。子供のころからバアチャンが使っていて標準語だと思っていた。ところが大学に入って周りの人たちと話し出すと、違うという。この言葉と同じように、どうも当たり前のことでも、そうでないことが多いのは解る。ただ、この土筆、土筆だけは、それこそ揺るぎ無く全国物だと信じていた…。見事に、子規は明確に見事に、伊予の習慣と断じてくれたのだった。となると、この土筆に対する思い入れは、親父殿の影響か、はたまた血が覚えていることなのか。一献傾けながら、ゆっくり考えてみたくなった。

 

 

今日の一枚:夕方六時半ころ、西のベランダから。久しぶりに、青の時間。朝のほうが好きだが、最近では起きるころにはもう終わっている。