最近、ラジオ深夜便で、俳人の坪内稔典さんを知り、本を取り寄せて、毎日、句集を読んでいました。
今夜、たまたま、教育テレビにしたら、「知恵の泉」で 正岡子規についての番組で、
何と、坪内稔典さんが、ゲストで出ておいででした。
これまで、全く知らなかったのに
不思議なことです。
稔典さんは、子規の研究をされていますから、当たり前なのですが………。
子規は、大河にも、出ていたから
何となく 早逝した俳人として、認識しては居ましたが、興味深い方であったのだと、改めて思いました。
結核になっても、病床に毎日、友人が集まり、句会を開いていたとは、驚きです。
やがて、旅にも出られなくなり、病床で、死ぬまで、花を描いたり句を詠んでいたという。
狭い世界が、大きな宇宙になっていったと言うのは感動でした。
花の色を塗りながら、神も、世界をこうして作っていったのだろうと……
友人をとことんが大切にした、熱い男子規は、友人が亡くなったとき、募金を集め、
葬式をして、家族に手紙で知らせたのだが、何と八メートルもの手紙で家族を慰め、
亡くなった友人の名を上げて見せると約束したとか。
明治の、熱い男である子規の姿が目に浮かびました。
病気になったとき、病気を生き甲斐とした正岡子規にエールを送ります。
人生は、諦めないことです。