ドクターの話を聞く。
高熱と、
血圧降下は
想定外
軽い脳梗塞を起こしているが、
まだまだ、回復の見込みはある
ただ、同じくらいの確率で
命の危険もある。
この一週間は、
何が起きてもおかしくない。
姪は、座り込んで
暫く呆然と母につきそっていた
母の生命力と、先生を信じようと、声をかけ、母のベッドサイドから、引き剥がしてきた。
今、彼女が背負うものが
あまりに大きくて
辛くなるけど
なんとか乗りきらねばと、
叱咤激励。
早朝、姪から母(私の姉)が救急搬送されたと電話がありました。
くも膜下出血。意識はあったが、ぼうぜんとしていたと・・・。
とるものもとりあえず、駆け付けると、処置中。
入院4時間後、担当医から説明がありました。
姉の配偶者は、要介護で、長男は病気療養中。
そのため長女である姪と私たち夫婦が説明を聞きました。
くも膜下出血という病気は、非常に怖いということ。
普通は、発症した時点で命を亡くすことが多い。
救急搬送されても、すぐに亡くなる割合が高い。
手術できる人については、3分の1は死亡する。
3分の1は寝たきり状態になるというリスクがある。
3分の1は助かる。
家族は3分の1の確立にかけるしかない。
術後も、再出血するというリスクがある。2~3週間は不安定。
とても現実のこととは思えない。
姪に様々な負担がかかってくる。
父親の介護と、兄の世話も。
どういう手助けができるだろうか?
実は、姪が母の異変に気付いたのは、飼い猫が、朝、何度も何度も
起こしに来たから。いつもになくしつこく、姪のそばで鳴いて起こした
というのです。
病院から、帰宅した私たちを迎えた猫は、いつもなら、すっと
居なくなるのに、そばに来て「お母さんは?どうしたの?」
というように寄り添っているのです。
「きょうは、教えてくれてありがとうね。明日手術です。
きっと元気になるからね」というとすっと居なくなりました。
猫って飼い主の異変に敏感。
家事が好き
疲れて帰っても
家事をするのが苦ではない。
〈蜷川幸雄さんの訃報に接し
感じたこと〉
酸素吸入しながらも
精力的な演出だったから
虚をつかれた。
いつもに変わらず
迫力のある演出だったので
こんな急に亡くなるなどと思わなかった。
厳しい演出も、印象的だけれど雑談が楽しい方だった。
悪口が上手でねー(笑)
〈藤原達也さんについて〉
天才的な役者
寺山修司の短歌を
詠むだけで
素晴らしい台詞になる方。
蜷川さんが耳元でささやくだけで
みるみる良くなる。
〈大竹しのぶさんについて〉
白石さんと大竹さんと戦ったら凄いね、ゴジラとモスラみたいだねと、
蜷川さんが言っていた。早く亡くなってしまい、機会が無くなり残念だった。
〈長塚圭司さんについて〉
役者としても、演出家としても素敵な方。
・・・・・・・・・・・
■鍛練などと言われると身の縮む思いだけれど、若いときから、
すごい声を出していたからね・・・・・
■初めは、「相手の方ではなく、前を向いて台詞を言うと、客と迎合するな」
と言われたが、蜷川さんには「迎合しても良いのだと言われて、舞台が楽しみになった」
ラジオでも、どんどん引き込まれる。アナウンサーに
何を問われても、謙虚で、
語彙も豊富で、素晴らしい役者だと改めて思う。
圧巻な朗読に、つい、つい、正座してしまった。
半世紀も付き合って来たね。
こんなになるまで生きるとは思わなかったね。
団塊の世代は、いつだって世の中の指針になってきたね。
吉田拓郎が、「70年代の若者は、老成して居たんだよ。
なにかと言えば議論を戦わせていた。」と、言った。
私たちは拓郎さんより、少し若いから
老成しきれずあがいて来た気がするけど
、何事にも純粋だった。
なんのために山に登るのかなんて、
結論の出ない論争をして、
反発したり、かたをくんだり。
同じ釜のメシを食べた竹馬の友という気がする。
きょうは、午前は定期検診、午後二時に友達三人で待ち合わせ。名鉄百貨店のkihachiで
おしゃべり。近況やら、介護の話、愚痴。
あっという間に時が過ぎ
四時過ぎに、栄の歯科に。
土曜の夜に詰め物が取れたので、緊急外来。
美人の女医さんが、「難易度高いけどがんばります!」とのたまう。
やや不安を感じつつ、まな板の鯉。
しかし、無事、治療が終わり、惣菜を買って帰宅。
あああ、良い日だった。
秋限定のモンブラン。
モンブランというより
パフェ。
下敷きに、シリアルとコーヒーゼリー。マロンクリーム、木ノ実など、美味。
きょうのスタジオパークのゲストは、黒柳徹子さんでした。
nhk女優第1号なので、エピソードには事欠かない。
お休みがたくさんとれて、世界に行けたら何をしたいか
という問いに、「アイスクリームの食べ比べ」と答えていました。
アイスクリームがとにかく大好きで、食べずにいられないとか。
かつて、ニューヨークで暮らしていたとき、ブロックごとに
アイスクリーム屋があるので、ついついたべてしまったと。
徹子さんのお母さんは96歳に亡くなりましたが、90歳
になったとき、重大な告白が。「お母さんは、子どものために
ちゃんとご飯をつくってきたけど、本当はお菓子が好きなの。
これからは、3食お菓子にしてもいいかしら」徹子さんは
「ママが、よければそれで良いんじゃない」と答えたそうです。
つい吹き出してしまいました。本当に自由な人です。
清水ミチコさんの家に遊びに行って、ずっと、しゃべってずっと
食べていたとか。80歳すぎとは思えません。これこそが元気の素かも。
近頃、当方は、食が細くなり、あまり食べられません。
ビュッフェ形式は、とても無理です。
デザートは無くても平気。アイスクリームは、よほど気が向かないと
食べません。
面白味が無いことね。
徹子さんを見習って、楽しいことを探しましょ。
人生何が起きるかわからないというのは、2011.3.11
の、東日本大震災を、私たち日本人が経験してから、人生観が
変わったと思います。あの、悲惨な津波の映像がまだ焼き付いて
います。原発の安全神話が壊れ、政府の動きも、パニックを
起こしていました。
しばらくは、テレビからCⅯが消えて、日本広告機構が、なにやら
流し続けていました。
野球も開幕が遅れ、私たちは 声を出すのもはばかられました。
笑ってはいけないような気がして、はしゃげない気がして・・・
平和な生活が、地震で崩壊してしまった。
私たちは、当事者じゃなくっても、打ちのめされていました。
東北が、日本の農業や産業にいかに寄与していたかを知りました。
それにしても、人生 驚きの連続です。
映画「君の名は」の下敷きに、この”明日どうなるかわからない今”
というのが大きくかかわっている気がして・・・・