遊戯(ゆげ)

世の中は、なるようになるわ。
あきらめないで、悠然と生きる事を楽しむ・・・・
それが遊戯(ゆげ)の心です。

今日のダーリン

2015-01-28 | Weblog
2015.1.27のほぼ日刊イトイ新聞の糸井さんのコラム
昨夜、ツイッターがこの記事で盛り上がっていたのでご紹介します。
わたしのパソコンの壁紙はいつもブイヨンです。

・主にぼくなのだが、人間がボールを投げる。
 それに先んじるくらいのタイミングで、
 犬がダッシュし全速力でボールを追いかけ、
 口にくわえて、これまた全速力で戻ってくる。
 あんまりその遊びを続けたがるものだから、
 いったい何度やったらやめるのか、
 根比べをしたことがあるのだけれど、
 生命に差し支えるような気がして中止した。
 
 愛犬ブイヨンにとって、ボールは獲物であり、
 ボールは目的であり、ボールは命そのものだった。
 
 あれほどボール投げが好きだったうちの犬が、
 このごろは、あんまりそれを望まなくなった。
 投げてほしいと要求する回数が、じょじょに減って、
 このごろは、一度もボール投げをしないまま、
 帰ってくることもある。
 それでも、おしりの用事があって出かけるときには、
 一度も使わなくてもひとつの象徴として、
 ボールをくわえて玄関を出て行く習慣は続いていた。
 だが、それも、省略してもいいようになってきた。
 
 ブイヨンは、11歳と半年生きてきて、
 いま、「狩猟犬」であることを辞めたのだと思った。

 疲れも感じさせずボールを追いかけ、
 大きな口にくわえて得意満面で戻ってくることは、
 おそらく、彼女の身体のなかに隠されている
 「狩り」をするための血のせいだったのだ。
 そんな機能を、ぼくらは欲しかったわけではないから、
 ブイヨンがボールをとってくることは、
 ぼくらのためではなく、彼女の大事な遊びだったはずだ。
 
 「狩猟犬」であることを辞めたブイヨンは、
 これで、晴れて、愛すべき役立たずになってくれた。
 もともと、なんにもできなくても大好きだったんだよ。
 そういうことを、知っているのか、知らずにいるのか、
 ひとりっこで育ったこどものように、
 いままで以上にのびのびとうろうろしている。
 ぼくも、いつか「狩猟犬」をやめるのだろうなと思った。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
愛されるのに理由はいらない。それが家族ってものだよね。

コメント
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