オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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初期の国産メダルゲーム機(6) ユニバーサル その2a

2018年04月27日 00時03分36秒 | 初期の国産メダルゲーム機
ワタシの手元に、ユニバーサルの会社案内1982年版と1984年版があります。これらには、それまでにユニバーサルが世に出した製品のリストが掲載されています。


ユニバーサルの会社案内1982年版に掲載されている、かつて発売した製品のリスト(部分)。「昭和45年」=1970年、「昭和48年」=1973年、「昭和49年」=1974年。

ワタシは、過去記事「初の国産メダルゲーム機の記憶」以来、拙サイトにおいては「初の国産メダル機は1974年にセガが発売したファロ」と主張してきましたが、このリストを信じるならば、「ゴールドパンサー」が1973年に発売されたとあります。また、1974年にも少なくとも3種のメダルゲーム機を発売したとしており、ワタシのこれまでの主張が事実なのかという疑念が生まれてきてしまいました。

しかし、ユニバーサルが74年に発売したとしている3機種は、業界誌「アミューズメント産業」を見る限りでは、いずれも1975年または1976年にその広告が掲載されています。掲載時期と販売開始時期は必ずしも一致しているとは限らないし、またワタシは当時の業界誌紙の全てを参照できているわけではないのでそれ以前から広告が掲載されていた可能性もありますが、それでも、遅くとも1974年3月号に広告が掲載されたセガのファロよりも早いということはないという確信に近い記憶があります。

ただ、「ゴールドパンサー」には引っ掛かります。ネット上を検索すると該当する画像が一つだけあり、それは一見したところ、「ウィンターブック」(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(4) 競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム)の類似機種で、「ダービーゲーム」と言われていたGマシン(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(3) 競馬ゲームその1・ハーネスレース(セガ, 1974))のバリエーションのようにも見えます。そして、ワタシもこの盤面には見覚えがありますが、しかしそれはメダル機ではなくプライズ機であったように記憶しています。「ゴールドパンサー」については今後の宿題として、近いうちに国会図書館で過去の業界誌をひっくり返して調べてみようと思います

なお、上図における昭和49年(1974年)の「ステークス・レース」と「ダブル・オア・ナッシング」も、その名前からメダルゲームと思われますが、このゲーム機は私の記憶にありません。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたらご教示いただければありがたく存じます。それと、昭和51年(1976年)の「ミニ・ルーレット」と昭和52年(1977年)の「スーパーマシン」は、コナミの「ピカデリーサーカス」(関連記事:【小ネタ】一人用メダルゲーム「ピカデリーサーカス」とセガのファロ)の類似機種です。

今回も前置きが長くなってしまいましたが、これよりユニバーサルの会社案内が1974年と1975年に発売したと言っている機種について覚えていることを記録していこうと思います。

◆ニューウィンターブック(New Winter Book, 1975)
前掲の会社案内では昭和49年(1974年)の発売となっていますが、業界誌「アミューズメント産業」での広告の掲載は1975年3月号となっています。3月号ということは発売自体は2月であり、原稿の入稿時期も考慮すると、1974年に発売された可能性は否定できませんが、例えそうであったとしても、1年前の1974年3月号に同誌に広告が掲載されたセガの「ファロ」より早いということはないと思われます。ワタシがこれを初めてにして唯一見たのは、1975年の5月、オープン直後のダイエー碑文谷店のゲームコーナー(関連記事:さよならダイエー碑文谷店)でした。


業界誌「アミューズメント産業」1975年3月号に掲載されたニューウィンターブックの広告。

内容については、過去記事で前述の「初期の国産メダルゲーム機(4) 競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム」で触れていますので省略します。

◆ニューケンタッキーダービー(New Kentucky Derby, 1975)
この機種も、会社案内では昭和49年(1974年)の発売となっていますが、「アミューズメント産業」誌での広告の掲載は、前述の「ニューウィンターブック」と同じ1975年3月号となっています。そして、ワタシがこれを都立大学駅近くのゲームセンター「キャメル」(関連記事:柿の木坂トーヨーボール & キャメル)で見たのは、1975年以降のことでした。


ニューケンタッキーダービー。業界誌「アミューズメント産業」1975年3月号(前述ウィンターブックの広告が掲載された同じ号)に掲載された広告。

これも前述の過去記事「初期の国産メダルゲーム機(4) 競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム」で触れていますので、内容は省略します。

◆スーパースター(Super Star, 1975)
この機種も、前述2機種と同じく、会社案内ではやはり昭和49年(1974年)の発売とされていますが、アミューズメント産業誌の1975年12月号には、同年の秋に開催されたAMショウの出展機種紹介記事にて紹介されており、さらに、翌年の1976年3月号には広告が掲載されています。また、ワタシがこの機械を都立大学駅近くにあった「トーヨーボール」(関連記事:柿の木坂トーヨーボール & キャメル)に入荷したところを見たのは、間違いなく早くとも1975年以降です。




業界誌「アミューズメント産業」1976年3月号に掲載されたスーパースターの広告(上)と、筐体部分の拡大(下)。

遊び方は、3列のフルーツシンボルのランプが、左から右へと一つずつ順次点灯(右端に達したら左端に戻って以下繰り返し)していき、最終的にどのフルーツシンボルが点灯して停止するかを当てるゲームです。

ワタシはこのゲームのルールをあまり覚えておりませんでしたが、広告の文面を読んでなんとか思い出したところでは、一つのシンボルにつきメダルを3枚までベットできたように思います。例えばチェリーシンボルに1枚ベットすると、最上段の列のチェリーのみが当たりとなりますが、中段と下段はゲームに関係しません。さらにチェリーに2枚目のメダルをベットすると、上段と中段のチェリーが当たりとなりますが、最下段は関係しません。続けて、一つのシンボルのマックスベットである3枚目をチェリーにベットすることで、全ての段のチェリーが当たりとなる、というルールだったような気がします。シンボルは全部で6種あり、それぞれについて同様の要領でベットします。

スロットマシンのマルチペイラインタイプも、ベットするたびに有効となるペイラインが増えるので、それと同じようなものとも言えますが、スロットマシンはとにかく何でもいいから当たりの目が出れば良いのに対し、「スーパースター」では、出現率が異なるシンボルの中から当たりとなる目を自分で選ばなければならず、しかもメダル1枚で遊ぶ限りでは大当たりが望めないということからも、ワタシはこのゲームを面白いと思えず、遊んだ記憶がありません。ひょっとすると、全てのシンボルにマックスベットすればそれなりに面白くなったのかもしれませんが、当時のワタシはメダル1枚を惜しみながらベットするようなプレイヤーだったので、そんな度胸はありませんでした。

一度も遊んだことがないと言いましたが、しかしゲームサウンドだけは強く印象に残っています。スーパースターにはおそらくリズムボックスが内蔵されており、ベット受付中とゲーム進行中では異なるリズムが刻まれていました。そしてこの機械は、客の有無に関わらず自動的にゲームが進行するので、近くにいれば嫌でもそのリズム音を繰り返し聞かされます。まだリズムボックスというものの存在を知らなかった当時のワタシは、その高音質の心地よいリズムに驚いたものでした。

なお、筐体上部のビルボード部分にもフルーツシンボルが円形に並んだランプが3つあります。これは、一つのシンボルにマックスベットして、そのシンボルがすべての段で点灯した場合に与えられる大当たりのフィーチャーに関するものだったような気がするのですが、定かな記憶ではありません。もしかしたら、単なる結果表示である疑いも(ほとんどナンセンスではありますが)感じます。

ユニバーサルの初期のメダルゲームについては、もう少し言及しておきたいものがあるのですが、今回は前置きが長かったため、残りは次回とさせていただきます。

(つづく)
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