オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

さよならダイエー碑文谷店

2016年03月20日 13時19分32秒 | ロケーション

今から41年前の1975年4月、ワタシの自宅のすぐ近くに、地上7階の大型スーパー、「ダイエー碑文谷(ひもんや)店」がオープンしました。以来ここは、ウチの冷蔵庫(兼ダイエーの旗艦店)として、たいへん便利に働いてくれていました。

開店当時のダイエー碑文谷店。昨年、ダイエー碑文谷店が、開店40周年記念として展示していた写真より。

それに先立つ1970年か71年くらいのこと、この場所に「トーヨーボール」というボウリング場を建設する計画が持ち上がりました。当時は、昭和の歴史的な社会現象の一つである「ボウリングブーム」のさなかだったのです。しかし、ボウリング場ができると環境が悪くなると主張して反対運動を展開する地元住民団体もあり、敷地を取り囲むフェンスや反対住民の家の壁や生け垣などには、たくさんの抗議の看板が括りつけられていました。その頃のワタシは、能天気にも、ボウリング場と言えばゲームコーナーがあるだろうから、家のすぐ近くにできるのはうれしいことであるなあなどと考えていました。

反対運動の祈りが天に通じたのか、その後ボウリングブームは急速に衰退し、ボウリング場建設計画は見直され、代わりにダイエー碑文谷店が建てられることとなります。ワタシがその話を聞いた当初は少しだけ残念な気持ちを持ったものでしたが、実際にダイエー碑文谷店が開店すると、その最上階の半分のスペースがゲームコーナーだった(残る半分はスポーツ用品売り場だった)ので、ワタシにとってはたいへんに幸いなことでした。

ダイエーのゲームコーナーは二つのエリアに分かれ、このうち圧倒的に大きい方は「マル三商会」、かなり小さい方は「ナムコ」による運営でした。

マル三商会は、当時の大手オペレーターの一つで、「レジャック」と言うビデオゲームメーカー(実態は、当時はまだ弱小ビデオゲームメーカーだったコナミに作らせたビデオゲームに自社のロゴを載せて売る販売会社だったらしい)の株主でもあったそうですが、1980年に倒産してしまっています。なお、レジャックの株は、倒産する前にコナミに譲渡されていたそうです。一方のナムコは、古くから商業施設に付随するロケ(業界では「SC(エスシー=ショッピングセンター)ロケ」と呼ぶ)をいろいろなところで展開していました。ダイエーとこの両社との間にどんな交渉が持たれたのかはわかりませんが、とにかく、当時のダイエー碑文谷店のゲームコーナーの大部分はマル三商会によって運営されていました。

マル三商会のゲームコーナーの敷地は、大きな長方形と小さな長方形をくっつけたL字型をしていました。大きい方の壁沿いにはピンボール機が10台くらいも並べられ、その中には、セガの「ノスタルジア」や、無名メーカーの「ターキーボール」などの国産品もありました。フロア中央部には、エアホッケー、プライズ機、アップライト型のガンゲームやビデオゲーム機などバラエティに富むラインナップで、おそらく100台近くのコインマシンが設置されていました。

「ノスタルジア」。セガの77年版価格表より。


関東電気工業のピンボール。日本語表記は「ターキーボール」だが、それにしては英文表記のタイトルの綴りがおかしい。1972年に業界誌に掲載された広告。

L字型の小さい方はメダルゲームコーナーとなっており、「ファロ」、「ハーネスレース」、「ペニーフォール」など当時の定番マスメダルゲーム機と、バーリー製のスロットマシンが6~7台、一人用のコインプッシャーである「ミニフォールズ」が3台、イギリス製の「Ding-A-Bell」というペイアウトゲーム機(これは、よそでは見たことがないレアな機械でした)が1台、それに、過去にアングラ市場で人気のあったアメリカ製のギャンブルマシンで日本国内でも多くの模倣品が作られた「ウィンターブック」の、ユニバーサル社によるリメイク版2台がメインで、他に、メダルゲーム用に転用したアレンジボールがひと島、「ピカデリーサーカス」などシングルロケ向けの小型メダルゲーム数台などが設置されていました。

セガのハーネスレース。5頭立て、連勝複式のみで、メダルの最大払い出し枚数は112枚。

英国クロンプトン社のペニーフォール。「メダルゲームのロールスロイス」と評する人もあった。

同じく英国クロンプトン社の「ミニフォール」。一人用プッシャー。

英国デニス・ジェザード社の「Ding-A-Bell」。ところどころにメダルの径ほどの穴が開いたプレイフィールドにメダルを滑り台の要領で投入し、穴に落ちれば勝ち。後に、渋谷でこの筐体を使い回した別のゲームを見たことはあるが、これ自体は他で見たことが無い。

ユニバーサル社「ウィンターブック」。元ネタはアメリカ製のギャンブル機で、日本ではアングラ市場で「ダービー」と呼ばれる人気機種だったらしい。ユニバーサルはこれを1975年にリメイクして売り出した。ダイエーに設置されている個体は、メダルを投入しても返却口に戻ってしまって、うまく呑み込んでくれなかった。

実はワタシ、1978年の一時期の毎週日曜日、このマル三商会のメダルゲームコーナーで、ゲーセンのあんちゃんのアルバイトをしていたことがあります。機械の扱いについて特に何か教えられるわけでもなく、接客マニュアルなどというものも無いままいきなり現場に放り出されるのどかな時代でした。主な業務は、メダルが出ない、詰まった、などのお客さんのクレームへの対応ですが、多くの時間は「ヒマという苦痛」に耐えることが仕事でした。でも、ある有名なジャズミュージシャンがしばしば来店しては熱心に「ペニーフォール」を遊んでいる姿を見かけるという、少しだけ面白い経験もいたしました。

そんな思い出深いダイエー碑文谷店が、この5月に閉店してしまいます。一時はわが世の春を謳歌した巨大企業だったはずのダイエーは、90年代後半頃から業績が傾き始め、今では同業であるイオングループの子会社に成り下がってしまっています。今回の閉店は、店舗を大規模リニューアルしてイオンの店に衣替えをするためのものだとのことですが、再稼働の時期はまだ明らかにされていません。この変化によって、これまで行われていた会員客優待デーの改悪や、店舗面積縮小及び営業時間の短縮など、ヘビーユーザーにとってはありがたくない変化が予想されるところに不安を感じます。そしてまた、ダイエー碑文谷店最後の営業日とされている日は、ワタシがちょうどラスベガスに行っている予定で、そのオープン以来41年間、ずっと利用し続けていた店の死に目に会えないことが何とも残念でなりません。

今の生活パターンは、会社帰りにダイエー碑文谷店に立ち寄り、夕ごはんの材料や翌朝の朝ごはんを買うのがルーチンになっているのですが、さて、この夏秋はどうしたものか。西に約200m離れた場所にあるオオゼキは閉店時間が早く、会社帰りには寄りにくいので、今から困っているところです。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ボーリング流行りましたね (道草亭ペンペン草)
2018-11-12 07:17:10
ボーリングは我が松戸市でも流行っていました。
何軒かありました。近所の松戸ボウルはブーム前からあったような記憶があります。でも1978-9年頃に無くなり、後に黒川紀章設計のアーバンヒル松戸に変わりました。

ダイエー松戸店は1977年に出来ましたが、反対運動があったのはダイエー建設の頃でしたね。
大型店が出来ると街の商店が駄目になるから・・・という理由でした。
実際はバブル崩壊以降に商店街の衰退が著しくなったのですがね・・・
開店当初のダイエー松戸店にゲームコーナーがあった記憶はありません。
ただ、松戸駅から離れた所にサニーランドという総合娯楽施設があり、そこにはたくさんのゲームがありました。
あれは1975-6年の頃だったと思いますが、ペニーフォールもありましたし、メダルの競馬ゲームもありました。タイトーのダービーキングだったかあまりよく覚えていませんが、
えらく単純なアニメ形式でレース展開があり、全体のレース展開があんまり分からず、コーナーを曲がるところやゴールにズームアップするアニメになるけど、いつも同じような画面を繰り返し使っていたような感じでした。あの機種は亀有駅前の老舗的ゲームセンターにもあり、妹を連れて行ったことがあった。ただ亀有はだいぶ後年になってからだったから1984-5年の頃だったと思うけど・・・
Qixが流行っていた頃からかな?
返信する
任天堂の競馬ゲームだったかも (道草亭ペンペン草)
2018-11-13 04:21:06
上のコメントで書いた競馬ゲームはダービーキングではなくて、任天堂のEVRレースだったような気がしてまいりました。
返信する

コメントを投稿