趣味の電脳

WEBサイトの作り方、PCの周辺機器、タブレットの活用等について

いつまでも長続きするものは何か

2012-12-04 07:21:14 | 宗教

 総選挙やクリスマスが近づいてきているので、今日はパソコン関係の記事ではなくて、標題のような宗教的・政治的なテーマについて論評します。ブログのテーマもメリークリスマスにしてガラッと雰囲気を変えました。

 さて、私自身も現役のころは組合活動に没頭し、反核・平和運動に身を投じてきた経験があります。大方の組合員は主体的な生き方の問題ととらえて運動に参加してきたのですが、戦後何十年も時が経過するにしたがって広島・長崎の反戦運動は徐々に風化というか、時代の右傾化の風潮に押し流されてしまう面がでてきました。でも、最近では、3.11を境にした真の意味での反核・反原発運動という国民運動へと質的に変わり、いまだ被災地の復興もままならない現状を見るにつけ、より広範な国民的課題になってきているのは確かな事実です。しかし、この一大国民運動を、ややもすれば新聞・テレビによる世論操作でもって過小評価したり、唯一の被爆国であるにも拘らず選挙向けの単なるスローガンだとかいって平気で「政争の具」であるかのようにすり替えている傾向もあります。一般市民の声の大多数はいったい何なのでしょうか? かなりゆがんでしかテレビ・新聞では伝わってきません。インターネットでも、かなりゆがんでいますが、まだニコニコ動画などは、双方向通信であるだけ幾分マシです。総選挙ではどの政党に一票を投じるかは国民一人一人の自分なりの判断が必要です。

 そりゃあ、大手新聞社・テレビ会社は日本一の立派な大企業でありますし、当然、大口のスポンサーである電力会社や関連企業の経営が成り立つように、あるいは支援・尊重した省エネやCO2削減のコマーシャルを流すのは当然の責務であり、それが電力事情を安定化して安全で豊かな国民生活を保障するための啓発になることになる・・・という大義名分があるわけでしょうし、いろいろ持ちつ持たれつの関係やお家の事情があるのです。しかし、読者諸賢にはそんなことをこのブログであえて書くのは「言わずもがな」で蛇足かも知れません。でした!

 でも、原発の安全性確保については、そういった企業サイドでなくて電力消費者の立場である国民一人ひとりの生存権にかかわる背に腹が代えられないシビアな問題であるだけに、国民はそのあたりを十二分に見抜かなければなりません。

 しかし、よくよく考えてみると、こういった脱原発の考え方は、国全体の将来の安全・平和・命を考えるという重大な面がある反面、自分の人生は子どものためにある・・・というような個人主義的な発想、あるいは老後を何とか無事に長生きしたいというマイホーム主義の考え方が強く働いています。ですから、子ども手当てとか年金政策、消費税導入反対、TPP反対あるいは賛成・・・等々の目先の政策が最優先される発想と結びつくのです。そういった庶民の願いや生き方は、3年前の総選挙で公約に上げられていたものばかりですが、殆ど成就することはありませんでした。また、阻害する要素のほうが多かったのです。

 円高不況、事業仕分け失敗、財政赤字増大、学校では校内暴力、いじめ・不登校、非行等々・・・今の日本には、家庭的な平和を築く上で多くの困難が依然として待ち構えています。子育てがうまくいってこそ、夫婦円満で家内安全なのですが・・・。

 個人主義やマイホーム主義をささえるものは、つきつめて言えば、

Ⅰ国の主権・防衛力・外交力をもっとつけて、日本という国の国力を増して国際的な地位を高めること。

Ⅱ社会的な格差を是正し、行財政改革をして財源を生み出し、雇用を確保すること。

Ⅲ私たちにできることは、住みなれた地域社会の教育環境を守ること。

  以上の3つだと思います。だからといっても、

①隣国との国際紛争を起こさないためには、平和的外交力が求められます。そういうことができる人材を日本は育てなければならないはずなのに、紛争に結びつく極端な排外主義・民族主義を唱える必要性はありません。

②教育環境を整えるといっても、バラマキやバウチャー制度で子どもにいくらお金をつぎこんで何十年も育てても、所詮は嫁入りすれば他人のものになってどこか遠くに行ってしまい地域に還元できません。

③孫は息子や娘のものであって、決しておじいちゃんやおばあちゃんのために生きているのではないのであり、将来将来といって盛んに2030年代に何かが実現するとか公約しても、2039年12月31日は27年後のことであり、約束した政治家の殆どは既に他界しているし、自分も他界している可能性が高いのでこれは全く意味の無い言葉あそびのまやかしと考えたほうがいいでしょう。

④財源を生み出すために後期高齢者医療制度を見直しても、高齢人口が莫大であることから、それがプラスマイナスでどれだけ良い結果を招くのかそれとも悪い結果を招くのかが誰も予測できません。

⑤格差是正といっても、際限も無く公務員たたきをしたり相続税を極端に上げたりしても、資産が外国人名義で外貨に買い変えられて、優秀な人材も一緒に国外に流出するだけであり、いよいよ国難が現実的になってきます。

 結論は、①②③④⑤のような、訳の分からない荒唐無稽なものに自分の全財産や命を懸けたり、そういったことを公約に掲げる政党を支持して一票を投じても、殆ど実現するわけのものではなく、たとえ実現しても失うことのほうが果てしなく大きいと思います。そうではなくて、私は、やはり地元の学校やPTA活動、地域社会に永遠の命を吹き込むというか・・・非常に宗教的・哲学的ですが何十年、何百年、何千年も歴史と伝統を重ねることができる人間の知恵や文化的な遺産を残したいと思うのです。そのことが、結局、地域の教育力となって子どもたちの未来に生きる力になるのであるし、親・祖父・祖母の世代の生きがいにもなるのです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 無料サーバーの宣伝は自分の... | トップ | 一種の情報操作かな? »
最新の画像もっと見る

宗教」カテゴリの最新記事