行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

無功徳

2010年02月19日 | 禅の心
鳥取市にて

神社やお寺にお参りする人を善男善女と言います。

早い話が、信心深い人々という意味です。

しかし、それを人に誉めてもらおうと思ってするのであれば、意味がないというのです。

政治家やプロ野球の選手や監督が、参禅しているところが紹介されることがあります。

私は、黙って参禅すればいいと思うのです。

テレビや新聞に、「私は坐禅していますよ。」

と言わんばかりにアピールすることはないのです。

世間から誉めてもらうために参禅することはないのです。

達磨大師は、中国の梁という国の武帝の帰依を受けました。

武帝は、「私は、寺を建てたり、お坊さんを育成してきた。どんな功徳があるだろうか。」と言います。

達磨大師の答えは、「功徳なんてありませんよ。」

禅は、ひっそりと、目立たなくするものだというわけです。

信仰に限らず、普段から、良いことは目立たなく行うことも大事です。

「陰徳には陽報あり」です。

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