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「KX50周年」の歴史の一コマ・・・モトクロス車の標準仕様となったペリメータフレーム

2023-10-27 06:30:06 | 二輪事業
  
「KX50周年website」関連情報の続編「#kx50yearsanniversary」は、世界のモトクロスマシンのフレームに大きな変革をもたらしたカワサキぺリメータフレームの誕生を紹介している。カワサキはこう書いている。 
In 1989, the KX125SR and KX250SR entered the All Japan Motocross Championship with a revolutionary new type of frame: a steel perimeter chassis that used two tubes that wrapped around the fuel tank rather than a single beam. That year, Kawasaki factory rider Atsushi Okabe won in the 250 class on this new chassis which eventually evolved into the aluminium perimeter frame still in use today and first introduced on the 2006 KX250F and KX450F.  」
1989年、新型ペリメータフレームを装着したワークスバイクKX125SRと KX250SRは世界で初めて全日本モトクロス選手権のレース場に登場し、その年度、ワークスライダー岡部篤史選手がペリメータフレームを搭載したワークスマシンで最高クラス250㏄クラスチャンピオンとなった。
 「KX250SR」

「RACERS」と言う、世界の二輪レースで大きな戦績を挙げたワークスマシンを取り上げた日本の専門雑誌がある。日本の購買層の特殊性から、取り上げる話題は圧倒的にロードレースで活躍したマシンが多いが、そんな中で編集長が取り上げた数少ないモトクロスバイクがカワサキのペリメータ搭載のKXだ。編集長がKXペリメータフレーム開発物語を取り上げた理由を、「RACERSvol26」の巻頭言に、要約するとこう書いている。
「ペリメータフレームを採用したカワサキKX125デザインの”圧倒的かっこよさ”を「RACERS」特集に選んだ。加えて、他社比較車と対比しながらKXを絶賛し、この”圧倒的かっこよさ”が多くのユーザーを引き付け、例えば当時カワサキKXの最大の競争相手だった、ホンダの技術者でさえ、ホンダのモトクロッサーではなくKXを買ったと書いている。その理由とは”KXが格好良いから”だったと言う。それまでのモトクロスフレームとは一線を引いた、言わばモトクロッサーのフレームとはこれだと言う既成概念を一掃してしまう”かっこよさ”がKXにはあった。そのことがホンダの技術者のみならず多くのモトクロスユーザーに注目されたとある」

その後もKXの話を外部から度々聞く機会があった。その度に指摘されたのはペリメータフレームの’90年代KXがもつ圧倒的カッコ良さとライディングポジショウンの良さである。その後のモトクロスマシンの多くは、カワサキのペリメータフレームをベンチマークとして発展し、ペリメータフレームがモトクロスバイクの世界標準になったような感覚さえある。
参考ブログ:

「RACERS編集長曰く”かっこいいKX”はどの様に開発され、そしてその性能、戦闘力の高さを如何に証明してきたのか」
ペリメータフレームは'90年モデルKX125と250に始めて量産車として採用されたが、その前年1989年、全日本モトクロス選手権で、カワサキワークス全日本チーム(KRT)はペリメータフレームをワークスマシンに採用した。それはMXレースマシンとしての戦闘力を確認するためだが、岡部、花田、長沼の3ワークスライダー用に搭載した。既に、次年度の量産適用を前提としていたので、是が非でもチャンピオンを獲得し戦闘力の高さを証明する必要もあった。当年のモトクロス選手権は前半125cc6戦、後半250cc6戦として、それぞれにチャンピオンを競うものだったが、'85、'87、'88年の125ccチャンピオンの岡部選手にペリメータフレームの勝利を託した。岡部選手の評価では「ペリメータフレームの特性は直進性に優れるがコーナリングに改良の余地あり」で、キャスター角等の変更でレース可能レベルまで改良された。更に良い点として「ペリメータフレームの優れた特性としてライディングポションに圧倒的優位性がある」と評価された一方、重量がやや重く125ccのエンジンでは非力さを感じるとの評価もあったと記述されている。残念ながら125ccクラスのチャンピオン獲得はできなかったが、後半250ccではパワーも十分にあったのでペリメータフレームの特性を見事に発揮しチャンピオンを獲得、そしてカワサキは全日本250ccクラスで13年ぶりにクラスタイトルを獲得することになるが、同時にペリメータフレームの優秀性が実戦で始めて認知された瞬間だ。

追加して言えば、今もそうだが、全日本モトクロス選手権には「米国AMAにある、レースマシンは量産車ベースである事」という規則はない。安全の基本事項を満足すれば如何なる仕様でもレース出場可能だ。開発機能を日本に集約していることもあって、当時の日本各社は各社が考える最強マシンを全日本に出場させ、夫々の技術力を誇示していた。従って、各社の考える最高技術の集大成であったモトクロッサーが参加する全日本で勝てるマシンであれば、次年度の量産車として販売しても十分な戦闘力があるマシンと考えられ、結果、開発中のマシンは量産可と説明していたので、全日本レースは落としたくなかった。

いずれにしても、'89~'97年の9年間でカワサキは5度の全日本選手権250㏄クラスチャンピオンを獲得し、その間ペリメータフレームと言う全く新しいフレームを搭載したKXが各社が誇る最強マシンと切磋琢磨する全日本で勝ち続けたことは、ペリメータの優秀性を示す証左だと思う。
また、この事実がオフロードの最大市場である米国でもカワサキモトクロス躍進の原動力へと波及していくことになる。'90年代初期におけるKMC(アメリカカワサキ)が誇る「kawasaki  racing team」の実績抜きに本当のカワサキペリメータの優秀性は語れない。
     「'92年Kawasaki Racing Team  USA」
    「向かって左から Jeff Matiasevich、Mike LaRocco、Jeff Ward、Mike Kiedrowski」

参考までに書くと、開発部門がペリメータフレームの開発を承認された理由の大きな一つに、エヤクリーナの埃対策があった。当時、クリーナボックス横に開閉式弁を埃対策として採用していたほどで、レース時のクリーナエレメントの埃詰まりによる出力低下が問題視されていた。改良案の一つに、ゼッケンプレートの直ぐ後にクリーナボックスを設け、埃舞うレースでも常にフレッシュエアーをエンジンに送り込み、かつ吸入量を増加させる事でエンジン出力の安定化を図ると同時に、燃料タンクはできるだけ重心位置に近い場所に設計する計画で開発スタートした。その構想を具現化するにはペリメータフレームが最適だった。試作車を野宮ライダーが試乗したところ、ライダーの股間からクリーナボックスの吸気音が気になるというのが第一声で、改良点として指摘された。一方問題点として、クリーナボックスから2サイクルエンジンのキャブに至る吸気通路が複雑になり、台上での出力向上に時間がかかった。結局満足できるエンジン出力を得るには時間がなく、泣く泣く(開発会議に上程した仕様と異なると叱責を受け)クリーナボックスの件は一時棚上げ先送り、ペリメータフレームだけを'90年モデルに適用した。 

’90年頃初期のペリメータフレームは、従来フレームよりもかなり高いポテンシャルがあることが分かったが、少し重いと言う欠点があった。カワサキはその後、ペリメータフレームを発展させたアルミフレームを試作し、’90年代初頭にはアルミフレームのKX250SRを当時のワークスライダーEddie Warren 選手に乗せて全日本モトクロス選手を戦ったこともあり、またミニバイクにもアルミフレームをトライしたこともある。これ等を通じて、当時のアルミフレームの課題を追求していた。

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