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「KX50周年」の歴史の一コマ・・・モトクロス聖地 と言われた 「 Saddleback Park 」

2023-10-24 06:15:10 | 二輪事業
  

モトクロス聖地 の今、 「 Saddleback Park 」
 「公園入口で販売されていたサドルバックパークのステッカー」
過年のmotocross actionネット誌に、「MEMORIES OF THE WAY WE WERE: SADDLEBACK PARK TODAY」と言う記事があった。
カリフォルニア州ロサンゼルス近郊にある、かってモトクロスの聖地と称された”SADDLEBACK PARK”の現在の写真が投稿されていた。昔、ほとんどのカワサキKXやKDXは、現地プロクラスのライダー達によるSADDLEBACK PARKを中心とするコースでの過酷なテストで合格した仕様を量産移行した。
     「motocross action」

1980年代半ば、当時全米中で吹き荒れた訴訟問題に巻き込まれ、サドルバックパークも閉鎖となった。
この公園は、全米で初めて建設された、オフロード車が遊べる、特にモトクロス車のための、広大な公園で、モトクロスが大好きな米国人を象徴する場所だった。モトクロスの世界選手権、全米選手権そしてリージョナル選手権等の多くのレースが開催され、言わば、モトクロスの盛んな南カリフォルニアにおけるモトクロスの聖地と言われた。当時、日本の二輪企業もモトクロスやオフロード車のテスト場所としてサドルバックパークを日常的に使用していた。

現在のサドルバックパークの航空写真は一面草に覆われ、モトクロスの聖地と言われたかっての面影はないが、図中にある、スタートラインからBANZAI HILL(バンザイヒル)までの登りの長い直線は平地のまま残っている。MAGOO DOUBLE(マグーダブル)の向う側にカワサキはテストキャンプを設置し、ここを拠点に広いサドルバック内のコースを使ってテストしていた。マシンの評価テストは勿論、マシンの耐久テストもここで実施していたので、多くの現地ライダーにとっても耐久テストは良い練習の機会でもあり歓迎されていた、懐かしい場所。写真には写っていないが、BANZAI HILLの右側にも広大なエンデューロコースがあって、日常的に多くのファンがいた。

思いだしてみると、'76年のアメリカテストを皮切りにアメリカ出張の機会も増えてきた。米国はモトクロスを中心とするオフロード車の大市場で、当地のサドルバックパークやインディアンデューン等の郊外の山や砂漠地帯でテストに立ち会う機会も多くなった。MX車のテストの殆どはサドルバックで仕様を決定し、このコースで耐久テストも実施した。毎日数名のプロクラスのライダーが朝から遅くまで走った。当時は「耐久テストに来て」と言うとすぐにプロクラスライダーが集まり、そのライダーの殆んどがレース並みの走りで競って耐久したものだ。サドルバックは日本二輪各メーカー拠点から30分ほどの近さなので、各社とも頻繁に利用していた。ある時、KX500の量産仕様を決めるために一通りの評価テストを終え、比較車として用意した他社前年度量産車を凌駕したので合格点とした。テストが終了したころ、黄色のワークスライダーが当地で一人練習していた。当方のテストライダーが彼と知り合いだった事もあり、それなら仕様の決まったKX500と黄色マシン(ワークスマシンだったと思う)と比較しようとなって、サドルバックのスタートラインからバンザイヒルまでスタート競争することになった。すると、KX500はどうしても黄色マシンに置いて行かれる。減速比を替え、ライダーを入れ替えしても、スタートで黄色マシンに勝てない。とうとう、その年の量産は延期となった。その時以来、黄色の500マシンを見ると、暫くの間トラウマとなった記憶が残っている(実際の全米選手権でのKX500SRワークスバイクは何度もチャンピオンとなったが)。多くのテストをサドルバックで実施したので結果の殆どはOKだったが、失敗したこと、うまく機能しなかったことの思い出は鮮明に頭の片隅にいつまでも残る。

アメリカの著名なアフターマーケット会社「Pro Circuit」の社長で「Pro Circuit Race Team」のオーナーでもあり、かつ優秀なエンジンチューナーでもある、Mitch Paytonさんのインタビュー記事「BETWEEN THE MOTOS MITCH PAYTON」にもあったが、「米国では、生活の一部として極普通にバイクを楽しんでいる多くの人々がいる。彼らは古い2サイクルのモトクロスバイクを購入し週末には整備し、こうした人生を楽しんでいる。米国の多くの人々はバイクが好きなんだ。だけど、彼らが欲しいバイクはWorld Superbikeマシンでは決してない」と、今のアメリカのバイクライフを話していた。これは、USテスト時、実際に見聞きした、約40数年前のアメリカのバイクライフと根本的に同じ風景だ。当時も、現地に行くと、そこには数台のキャンピングカーを中心に、父親と少年少女達がモータサイクルや四輪バギー、VWの改造車でビュンビュンと走リ回っている。側で、母親はキャンピングカーに張ったテントの下で昼食のサンドウィッチを準備をしていて、楽しそうな家族的な風景だった。そこには、暴走族まがいの人達はおらず、あくまでも家族単位の行動で、アメリカの週末の過ごし方の一つを垣間見る事が出来た。アメリカ人は長い開拓移民時代に、家族が一つの単位となり、幌馬車に揺られて 新天地を求めて歩み、永住の地にたどり着いた歴史がある。その頃の開拓民にとっては「家族」が唯一の財産であった時代の名残が、いまも脈々と受け続けられいるのだろうと思った。開拓時代の馬が現代は単にバイクに替わっただけなのだろう。だから、アメリカのごく普通の白人一般家庭の楽しみは小さい子供がバイクともに成長する姿だとすれば、モトクロスバイクはアメリカ人の伝統的な生活のごく一部として普通に存在しているのだろう。

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