野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

2012-02-16 06:30:33 | 日常生活

 「まだまだ満開-近所のロウバイ」

●13日は終日雨、14日の天気予報は午前中は曇りで午後3時ごろからは雨の予報だったが、朝起きたら既に雨が降っていた。

 12日の日曜日以来だから、2日間も外を歩いていない。
 傘をさして野々池をゆっくりと歩いている人もいるが本当に少ない。それでも熱心な人もいるもんだ。 

 雨で寒いこともありでは、野々池に上がろうにも自分の気持ちをそこまで持ってくるまでに時間がかかってしょうがない。

 雨が止めば、何とか気持ちを立て直し、ゆっくりでも良いから歩き始めこともできる。
 別に、ウォーキングしなかったからと言ってどーって事もないし、ウォーキングし続けねばならない事もない。
 ただ,健康維持のために歩いているだけだが、どこかで気持ちを奮い立たせねば益々うっとうしく自分自身を追いこんでしまうだけ。
 女房から、ウォーキングしないのかと質ねられると、なお一層更に自分を追い込んで暗くなってしまう。

 少しでも晴れ間が出てくれれば、気持ちを立て直そうと野々池に上がれる。
 歩き出すと自分の歩くペースを早足歩調にもどせるし、歩き終って体操する頃になると薄らと汗をかき、何時もの自分に戻って、
 気分も晴れ、うっとうしい自分を忘れてしまうのだが・・・。

 今日15日は曇り空だが雨が直にも降りそうな中、午後から野々池を歩いた。
 ウォーキングしながら段々歩くペースも上がってくると、頭の中に色んな事が浮かんでくる。
 そんな頭に残った事を思い出しながらブログを書いている。


●ホイットニー・ヒューストンが死んだ!
 彼女が主演した「ボディガード」は良い映画だった。
 ストーリーも上手く出来ていたし、アメリカの大スターはこんな危険性も現実にあるかもしれぬなーと妙に感心して見た。
 ホイットニー・ヒューストンが歌う「I Will Always Love You」は身震いするほどに素晴らしかったのだが、
 ケヴィン・コスナー演じたボディガードが自宅に飾っていた日本刀に絹のハンカチが触れて切れたシーンの方がより印象深く覚えている。

 確か、彼女がアメリカ国歌を歌った有名なシーンがあるはずと思い出し探してみた。
 1991年、第25回スーパーボウルが開催されたTampa Stadium でアメリカ国歌を斉唱し、最高の国歌斉唱と称されたビデオなんだが、
 1月27日、アメリカがイラクとの泥沼の戦争を始めてから10日目だそうで、7万3000人の観衆の前での国歌斉唱はまさに圧巻。

  「Whitney Houston performed the greatest national anthem in sports history」  

「Star Spangled Banner(American Anthem) God Bless America」



 丁度、イラク戦争が始まる前ころに、アメリカ駐在のMさんとJ社を訪問する機会があって、そこの幹部と昼食をともにした際、
 ひょんなことからアメリカ政府がイラクに侵攻する可能性について聞いたところ、かなりの確率で参戦するし参戦には賛成だと言う事だった。
 日本にいると、イラク進攻等きな臭い話ではあるが戦争突入には至らないと考えていたのと大違いだった。
 アメリカ人の国家や戦争に対する認識は日本とこんなにも異なるものかと、これが民主主義の頂点にいるアメリカの一般的な考えかと思い知った事を覚えている。

  
●一方、日本人の国家感は世界中で最低にランクされていると、最近の報道にあった。
 国家を戦前の軍国主義と混同してしまって、国家という概念は古くて危険なものだという意識が何処かに植え付けられたようで、
 国家とか国旗とか言うと何か犯罪でもあるかのような意識が戦後ずっと付きまとってきた。

 大東亜戦争で日本は負けてしまったので、国家を自虐的に見てしまいがちになったのかもしれない。
 何かあると、自虐的に発言するコメントをネットで見る機会が多くなっているようだ。
 
 「もし戦争が起こったら国のために戦うか」という問に対する各国の回答結果がネットに投稿されていたが、
 「はい」の比率が日本の場合、15.6%と、世界36カ国中、最低だった。
 敗戦国のドイツやスペインも同様な傾向にあるとの事だから、日本の近頃の若者が軟弱になったと言う事では無く、
 戦争はもうこりごりだという感情が強いためと単純にとらえるのがよかろう。とある。・・・それはそうだと思う。

 国家とは抽象的で実態がつかみにくいが故に、国家のために戦うかと詰問されてもノーとなるのは理解できる。
 敵国が攻めてきたとか、国家を代表する固有名詞が戦う必要を訴えれば別の次元となるのは吝かではないのだが。

 昨日14日、日銀がインフレ目標値なるものを発表した。今日の日経も為替も敏感に反応したので、好感して受け止められたのだろう。
 米国が1月に発表したインフレ目標値と同種のものだと神戸新聞には解説してあった。
 しかし、新聞によると、日銀はインフレ目標を達成する責任は負わないとのことだそうだ。
 何故なら、目標達成をノルマに設定し達成不可となったら、秋以降に迫った日銀総裁人事に影響がでるらしい。

 例え失敗したとしても銃殺されるわけでもないのに、むしろ高額サラリーを貰っても良いから景気を復活させてくれと広く国民が強く熱望しているのだから、
 「職をとして景気浮揚に邁進するので信じてほしい」と、何故国民の前で堂々と説明しないんだろう。
 
 それで思ったのだが、
 仮に日銀総裁と同じような類の国家最高責任者だったら、誰も国家のためには戦わないとなるのではないか。
 

 まだ、昭和20年代中期、日本が戦争に負けて、私の田舎の空にP-38 ライトニング が飛行している中でも、日本の祝日には玄関に国旗を掲げてきた。
 しかし、気がつくと何時のまにか、国旗及び国歌に関する法律が制定されているにも関わらず、国旗掲揚そのものが議論の対象に変わった。
   
  
取りとめなく、こんな事を考えながら野々池貯水池を今日は3周してきた。  

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