野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

#kx50yearsanniversary:②、KXディスクブレーキ

2023-07-07 06:28:21 | 二輪事業
 
「KX50周年のwebsite」関連情報の続編②がカワサキから投稿されている。
#kx50yearsanniversary」という動画で、モトクロスマシンに始めて採用されたディスクブレーキの事を、カワサキはこう書いている。
「Over forty years ago, Kawasaki did what many thought impossible: disc brakes on motocross machines. 
The KX125SR and KX250SR took to the track in the 1980 All-Japan Motocross Championship featuring liquid-cooled engines, Uni-Trak single shock rear suspension, and front disc brakes. These bikes were equipped with the most advanced technology of the time, but the disc brakes stole the show, attracting a parade of people to the Kawasaki paddock.
The 1982 KX125 and KX250 were both equipped with front disc brakes, a first for mass-production models. Rear disc brakes followed on the 1986 models. When supercross rose in popularity in the 1980s, riders started using the rear brake to adjust the pitch of the bike in mid-air, and to initiate brake turns into tighter corners. These riding techniques were made possible by a rear disc brake. #KX50yearsanniversary #KawasakiKX #GoodTimes #Kawasaki
40年以上前、モトクロスマシンにディスクブレーキを搭載することは不可能だと言われていたが、カワサキはそれを実現した。1980年代になると、カワサキは時代を先駆けた斬新な機構をカワサキのワークスバイクKX125SRとKX250SRに装着し全日本モトクロス選手権を戦った。例えば、水冷エンジン、ユニトラックリヤサスペンションそして前輪のディスクブレーキがそうで、これ等は当時の最先端技術だった。なかでもモトクロスのディスクブレーキは注目を集め、これ見ようと、カワサキのワークスピットの前には多くの観客が埋め尽くした。1982 年モデルのKX125/ KX250は前輪にディスクブレーキを標準装備した世界最初の量産モトクロスマシンである。そして、1986年KXは後輪にもディスクブレーキを採用した。
1980年代にスーパークロスの人気が高まると、ライダーはリアブレーキを使って空中でバイクのピッチを調整したり、タイトなコーナーでブレーキターンを開始したりするようになった。こうしたライディングテクニックは、リアディスクブレーキによって可能となったのだ。
 「前後輪にディスク ブレーキを装備した’86KX250」
その後もカワサキは全日本モトクロス選手権を戦いながらディスクブレーキの開発を続け、例えばブレーキの鳴き対策を始め、極低膨張ブレーキホースの研究、ブレーキレバー形状を含む更なるブレーキタッチ改良等を進め、モトクロスバイクのディスクブレーキを改善・改良を進めてきた。

当時の、カワサキの全日本モトクロス選手権に参戦する意義は、次年度以降の量産モトクロスマシンの戦闘力を実戦研究することに徹したこと。それは、例えば、アメリカの専門誌「RacerX」に投稿された「JEFF MATIASEVICH(ジェフ・マタセビッチ)のインタビュー」記事にも書いてある。 JEFF MATIASEVICHは、全日本モトクロス選手権3年連続チャンピオンだが、このカワサキワークスで戦った時代を、RacerX記者の「あなたのキャリアで突出したハイライトはなんですか?」との質問にこう答えている。「カワサキでレースに専念できたことが一番素晴らしい時代だった。特に1995'96'97と日本のカワサキワークスチームと契約し全日本のチャンピオンシップに勝ったことだ。日本でレースに専念できた3年間は、私の経験したなかでも最高の時間だった。日本のサポート体制は最高だった。カワサキのワークスバイクは驚くほど素晴らしく、要求するものはなんでもカワサキはトライしてくれた。他国のカワサキワークスバイクより2年も先行する優れた仕様を提供してくれた。それは5年後量産移行する仕様だ。驚くほど素晴らしいバイクをカワサキは用意してくれた」「私は1986年にプロに転向し、1998年に引退した。この間、最高の契約条件は日本のカワサキとの契約だった。私のキャリアの中で最高の3年間だった」として、当時のカワサキ技術陣のワークスレース活動の考えを適切に説明している。それが、当時のカワサキワークスが全日本選手権に出場し戦う目的で、そしてその時代がMATIASEVICHにとってもモトクロス人生最高の時間だったと語っている。
   「全日本選手権での JEFF MATIASEVICH」

「#kx50yearsanniversary」 が上段にも書いたように、大昔、’80から’90年代、全日本モトクロス選手権大会でのメーカーのワークテントの下では、次年度のマシンはどうなるんだろうかとか、どの位の戦闘力があるんだろうかとか、じっと目を凝らしている観客や競争相手の目が幾重も続く時代も確かにあった。ワークステントの下には、帆ロを被せたワークスマシンが数台。レースが近づくとワークスマシンがピットから出てくる。すると、観客もカメラマンもワークスマシンの後をぞろぞろと付いていく。ワークスチームのワークスマシンを、みんなワクワクしてワークステントの前で釘づけになって見ていた。ワークスライダーを、ワークスマシンを憧れの目で見ている子供達も沢山いた。80年代から90年代の全日本モトクロス選手権大会、そんな雰囲気が満ちていた。そんな時代も確かにあった。みんな何処に行ったんだろうと、そんな昔の記憶を「#kx50yearsanniversary 」が思いださせてくれた。何も、昔が良くて今はどうかと比べるつもりは毛頭ないし意味がないことで、50年の歴史をたどると、こんな時代もあったよねと思い浮かんだだけの話。


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