家は麦藁屋根だった。
子どもの時、葺き替え工事があった。
手伝いをしたわ訳ではないが、古い藁にさわったのか、こすったのか・・・
工事の期間中、着ている服も、顔も煤だらけになった記憶がある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「新修 倉敷市史8」
屋根葺き
かつての倉敷の農村では、麦藁葺き屋根や葭葺き屋根が主流を占めていた。
二毛作として麦作り盛んであった。
一般の農家では、屋根材料の小麦藁は、自家製麦で賄われていた。
葭(よし)は、用水や干拓地や高梁川の中州などから購入された。
麦藁に比べて葭の方が耐用年数は長いが、費用は葭の方がかさんだ。
県北では萱(かや)を使うが、県南では葭(よし)を使う。また一緒に使う場合もある。
手順
丸太を使った足場作りから始まる。
長い丸太を屋根の垂木に縄でくくりつけ、およそ2m間隔に置き、上に板を渡し、作業の通路を作る。
垂木の上には桟竹を並べて屋根の下地とする。
古屋根の修理の時には、腐ったり虫食いした竹や、屋根の扠首(さす)組みの取替や補修が行われる。
次に、屋根に葭を挿す作業にかかる。
屋根の下地に使う葭は、傷みの少ないものを再利用した。
新しい葭に比べ、古い葭は長さが短くなっているので、新しい葭と交互に挿すことで、葭の傾斜が屋根の外側で緩やかになり、葭が滑り落ちることが防げる。
もちろん予算の面から、新品ばかりでなく、古い葭の再利用も行われた。
昔は、倉敷周辺にも、草葺き屋根職人が30人ほどいたが、今では都窪郡早島町に、明石芳行がいるだけである。
屋根屋は、親方に弟子入りし、技術を覚え、設計・足場・葺き手間・手伝いの見積もりができなければならなかった。
普通家屋で2~3にん、下働きが3~5人。
農村の場合は「モヤイ」として近隣・親類の手助けがおこなわれた。
子どもの時、葺き替え工事があった。
手伝いをしたわ訳ではないが、古い藁にさわったのか、こすったのか・・・
工事の期間中、着ている服も、顔も煤だらけになった記憶がある。
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「新修 倉敷市史8」
屋根葺き
かつての倉敷の農村では、麦藁葺き屋根や葭葺き屋根が主流を占めていた。
二毛作として麦作り盛んであった。
一般の農家では、屋根材料の小麦藁は、自家製麦で賄われていた。
葭(よし)は、用水や干拓地や高梁川の中州などから購入された。
麦藁に比べて葭の方が耐用年数は長いが、費用は葭の方がかさんだ。
県北では萱(かや)を使うが、県南では葭(よし)を使う。また一緒に使う場合もある。
手順
丸太を使った足場作りから始まる。
長い丸太を屋根の垂木に縄でくくりつけ、およそ2m間隔に置き、上に板を渡し、作業の通路を作る。
垂木の上には桟竹を並べて屋根の下地とする。
古屋根の修理の時には、腐ったり虫食いした竹や、屋根の扠首(さす)組みの取替や補修が行われる。
次に、屋根に葭を挿す作業にかかる。
屋根の下地に使う葭は、傷みの少ないものを再利用した。
新しい葭に比べ、古い葭は長さが短くなっているので、新しい葭と交互に挿すことで、葭の傾斜が屋根の外側で緩やかになり、葭が滑り落ちることが防げる。
もちろん予算の面から、新品ばかりでなく、古い葭の再利用も行われた。
昔は、倉敷周辺にも、草葺き屋根職人が30人ほどいたが、今では都窪郡早島町に、明石芳行がいるだけである。
屋根屋は、親方に弟子入りし、技術を覚え、設計・足場・葺き手間・手伝いの見積もりができなければならなかった。
普通家屋で2~3にん、下働きが3~5人。
農村の場合は「モヤイ」として近隣・親類の手助けがおこなわれた。