中学生になったら部活はブラスバンド部と決めていたのですがなかった為、テニス(軟式)部に入部し走り回ってたある日の日没のこと、ネットを片付けた後 友人がミスして転がったボールを全力疾走で追いかけていて、突然体に痛みが走り後方に倒されました。
瞬間何が起こったのか、何故飛ばされるように倒れたのかがわからず、暫くコートに寝転び暗くなった空を眺めていました・・・。
「かわいそうに、ついに股関節の痛みが出たんだね」
今これを読んで下さっている方は そう思って下さいましたよね!
ブー。外れぇ~!
辺りはもう真っ暗に近い状態で、ボールばかり見て走っていた私にはコートに張られていたネットを通すワイヤーが全く目に入らず、それに思いっきり突進して引っ掛かり反動で後方へ跳ね飛ばされた・・・・だけなのデス・・・。
どうぞお笑いください。
帰宅して確かめたら、みぞおちに真一文字の赤・青の傷と血の跡がロープを張ったように美しく残ってました。 おそまつ・・・。
それほど元気に走り回っていた中学時代でした。
さて高校生になり、今度こそブラスバンドに・・・と思っていたのがコーラス部のハーモニーを聴き、ゾクゾクッときてコーラス部に変更。
体育の授業では特に気になることも無く、長距離も得意でしたが 走り高跳びだけは相変わらず苦手でした。
お年頃となると太い足が気になるものです。
1ミリでも細くならないものかとメジャーで足首・ふくらはぎ・太股を測ってみてはため息。その時左右の太さが違うことを認識。
足のサイズ(靴のサイズ)は左の方が小さいことに5年生の頃から気付いていましたが、太さはどこを測っても 0.5~1cm位の差がありました。
「太さも違うんだ・・・。太さだけは左足になりたい!・・・」 乙女心は複雑也。
大学は教育学科で、小学校の九教科は必須単位の為 当然体育もある訳ですが、この頃には何となく「左足に強い衝撃を与えない方がいいのでは・・・」という気持ちが自然に働き、跳び箱の着地などは意識して左足をかばうようにしていました。
4年間アルバイトで週1日体操教室の助手をしていました。
私の担当クラスは幼稚園児~小学1・2年生までだったので、手本として見せるのはマット(前転・後転)・鉄棒(逆上がり・足掛けまわり)程度で特に困ることはなかったのですが、トランポリンだけは「足に良くないだろうなぁ」と思い、支障の無い範囲でやっぱり左足に負担をかけないように気を付けていました。
19歳の時、夜自宅前を走っていて突然身体に電気が走ったような鋭い痛みを感じ、気が付いたら転んでました。
瞬間「???」 何が起こったのか・・・ 何もつまずいてないのに・・・???
ピーンときましたよね。
「ああ又暗くて見えなかったんでしょ? ワイヤーにひっかかったんでしょ?」
そう思われたでしょ?
ブー! 外れぇ~!
この時が股関節の痛みを初めて経験した記念の(?)日なのです(幼少時は別にして)。
即近所に開院したばかりの整形外科に行き、ギプスをしていたことも報告し、レントゲン診断の結果、「お母さんに来てもらってください。説明しますから」と家に電話をして下さいました。
「こんな不安そうな顔を見たのは初めて」という青い顔であわてて現れた母にびっくりして 診断結果を聞くより母の様子の方がずっと心配でした。
結果は「脱臼はちゃんと治まってるから心配いらない。将来お産も大丈夫です。昨日足を使いすぎたんでしょう。(仲間とハイキングに行き1日歩き回っていた) 痛み止めを飲んでください」ということでした。
その時の母のホッとした赤みが戻った表情と、開院したての新しい建物独特の塗料などの臭いがセットになって 思い出になっています。 嫌な思い出ではなく、母の愛情をひしひしと感じたとても懐かしい思い出として。
(後にこの診断は間違ってたんだ と気が付くことになった訳ですが・・・)
その年からスキーを始め冬休み・春休みは4泊位で出かけるようになりました。
ところが、股関節の痛みがでることがわかり、2回目からは行く前に痛み止めをもらってからというのが 習慣になりました。
休みに入り、私が現れるとそのヤブ・・いや・・アノお医者様は「またスキーですか?
ハイ痛み止めですね」というのが決まり文句でした。
必ず痛みが出るけど、「大丈夫」と言われていたので 何の心配もしていませんでした。
「他の人よりチョット左足が弱いだけ」と単純に考えていました。
でも、痛かった・・・。
5月のゴールデンウィークに行ったときは(栂池に) 雪は山頂にしかなくゲレンデは草のみで当然リフトも止まっており スキーをかついで足首の曲がらないスキー靴で上まで山登りとなり、同行者に迷惑がかかるから「痛い」とは言えないし・・・きつかったぁ・・・。
今思うと とんでもないことを平気でやってたんですねぇ。
逆に言うと「知らないということは強い」ですねぇ。
やっぱり「若さ」ですかねぇ。
さらに物語はつづくのだ!
瞬間何が起こったのか、何故飛ばされるように倒れたのかがわからず、暫くコートに寝転び暗くなった空を眺めていました・・・。
「かわいそうに、ついに股関節の痛みが出たんだね」
今これを読んで下さっている方は そう思って下さいましたよね!
ブー。外れぇ~!
辺りはもう真っ暗に近い状態で、ボールばかり見て走っていた私にはコートに張られていたネットを通すワイヤーが全く目に入らず、それに思いっきり突進して引っ掛かり反動で後方へ跳ね飛ばされた・・・・だけなのデス・・・。
どうぞお笑いください。
帰宅して確かめたら、みぞおちに真一文字の赤・青の傷と血の跡がロープを張ったように美しく残ってました。 おそまつ・・・。
それほど元気に走り回っていた中学時代でした。
さて高校生になり、今度こそブラスバンドに・・・と思っていたのがコーラス部のハーモニーを聴き、ゾクゾクッときてコーラス部に変更。
体育の授業では特に気になることも無く、長距離も得意でしたが 走り高跳びだけは相変わらず苦手でした。
お年頃となると太い足が気になるものです。
1ミリでも細くならないものかとメジャーで足首・ふくらはぎ・太股を測ってみてはため息。その時左右の太さが違うことを認識。
足のサイズ(靴のサイズ)は左の方が小さいことに5年生の頃から気付いていましたが、太さはどこを測っても 0.5~1cm位の差がありました。
「太さも違うんだ・・・。太さだけは左足になりたい!・・・」 乙女心は複雑也。
大学は教育学科で、小学校の九教科は必須単位の為 当然体育もある訳ですが、この頃には何となく「左足に強い衝撃を与えない方がいいのでは・・・」という気持ちが自然に働き、跳び箱の着地などは意識して左足をかばうようにしていました。
4年間アルバイトで週1日体操教室の助手をしていました。
私の担当クラスは幼稚園児~小学1・2年生までだったので、手本として見せるのはマット(前転・後転)・鉄棒(逆上がり・足掛けまわり)程度で特に困ることはなかったのですが、トランポリンだけは「足に良くないだろうなぁ」と思い、支障の無い範囲でやっぱり左足に負担をかけないように気を付けていました。
19歳の時、夜自宅前を走っていて突然身体に電気が走ったような鋭い痛みを感じ、気が付いたら転んでました。
瞬間「???」 何が起こったのか・・・ 何もつまずいてないのに・・・???
ピーンときましたよね。
「ああ又暗くて見えなかったんでしょ? ワイヤーにひっかかったんでしょ?」
そう思われたでしょ?
ブー! 外れぇ~!
この時が股関節の痛みを初めて経験した記念の(?)日なのです(幼少時は別にして)。
即近所に開院したばかりの整形外科に行き、ギプスをしていたことも報告し、レントゲン診断の結果、「お母さんに来てもらってください。説明しますから」と家に電話をして下さいました。
「こんな不安そうな顔を見たのは初めて」という青い顔であわてて現れた母にびっくりして 診断結果を聞くより母の様子の方がずっと心配でした。
結果は「脱臼はちゃんと治まってるから心配いらない。将来お産も大丈夫です。昨日足を使いすぎたんでしょう。(仲間とハイキングに行き1日歩き回っていた) 痛み止めを飲んでください」ということでした。
その時の母のホッとした赤みが戻った表情と、開院したての新しい建物独特の塗料などの臭いがセットになって 思い出になっています。 嫌な思い出ではなく、母の愛情をひしひしと感じたとても懐かしい思い出として。
(後にこの診断は間違ってたんだ と気が付くことになった訳ですが・・・)
その年からスキーを始め冬休み・春休みは4泊位で出かけるようになりました。
ところが、股関節の痛みがでることがわかり、2回目からは行く前に痛み止めをもらってからというのが 習慣になりました。
休みに入り、私が現れるとそのヤブ・・いや・・アノお医者様は「またスキーですか?
ハイ痛み止めですね」というのが決まり文句でした。
必ず痛みが出るけど、「大丈夫」と言われていたので 何の心配もしていませんでした。
「他の人よりチョット左足が弱いだけ」と単純に考えていました。
でも、痛かった・・・。
5月のゴールデンウィークに行ったときは(栂池に) 雪は山頂にしかなくゲレンデは草のみで当然リフトも止まっており スキーをかついで足首の曲がらないスキー靴で上まで山登りとなり、同行者に迷惑がかかるから「痛い」とは言えないし・・・きつかったぁ・・・。
今思うと とんでもないことを平気でやってたんですねぇ。
逆に言うと「知らないということは強い」ですねぇ。
やっぱり「若さ」ですかねぇ。
さらに物語はつづくのだ!
続きが気になりまーす。
案外股関節を痛める人は多いのですね。
痛みの自覚がいつ出るかは違うけれど。
なんともいえない痛みですよね。
股関節痛仲間の皆さん、お互いに頑張ろうね!
歩くと痛かったのに整形外科でスキー行きたいんですが、と言ったら無理しないでね。って言われ、
そうか!無理しなければ良いんだって、歩く時よりも滑っているほうが痛みは少なかったし。
転ぶと10分ほどかけないと起き上がれない状態だったのに。知らないということは、ほんとに強い!
そして、とんでもないことも平気でやっていました。同じくで~す。知らないことは恐ろしい!