イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

京アニ放火殺人事件 お門違いな犯人の逆恨み

2019-09-02 11:12:49 | 社会・経済
 7月28日、京都のアニメーション会社に41歳の男が侵入し、持参したガソリンを屋内と社員たちに振りかけ着火した。何と死者は35人に上った。
犯人自身も火傷を負い拘留されたが治療のため病院へ直行という事態になった。
犯人は警察官に拘留される際に「自分の小説が京アニにパクられた」と騒いでいたらしい。恰もその仕返しで放火したと言わんばかりである。
 亡くなられた35人の方々の殆どが20代から30代の若者だった。ご冥福をお祈りいたします。
イワン・アサノウィッチは知らなかったが、京アニ社の作品は優秀で多くのフアンが居て人気も高かったとの事である。
 社会学者の水無田 気流(みなした きりう:以下、水無田)氏が東京新聞(2019年8月27日)に「所属できない逆恨みか」と題する関連記事を投稿していたので読んでみた。
 水無田は「日本はいつの間にか無差別大量殺人が珍しくない国になってしまった」と指摘。そして、この5月に起きた川崎・登戸の殺傷事件、2008年の秋葉原通り魔事件、2016年の相模原障害者施設殺傷事件などの犯人に共通しているのは“所属のなさとそこから派生した孤立感である”と喝破している。
 そして水無田は推測の域を出ないが、犯人は京アニが織りなす世界観や、そのコミュニティの一員になりたかったのではないか。そしてそれが叶わなかったゆえの壮絶な「逆恨み」のように見えると結論している。
イワン・アサノヴィッチも同感・同意見だが、もひとつ犯人の置かれていた社会的状況への考察が抜けているように思えるのである。
即ち、「新自由主義」とかいう言葉が「自己責任」とタイアップして企業や役所世界に浸透してきた20年ぐらい前からの時期、様々な企業・役所・地域から庶民・勤労者の任意の横組織である「労働組合」「親睦会」「同窓会」「町内会」が落日のごとくに消え行ってしまったのである。
「格差はあって当たり前!」などと言う言葉も、時の首相が声高に喧伝し始めた頃である。男女差・学歴差・学閥差・地域差・etc  が蔓延している日本の企業や役所に尚一層の格差を持ち込まんとしたのである。
 人種種や言語・宗教・食べ物に至るまで異なる多人種・民族国家のアメリカにおいては、良し悪しは別として「格差はあって当たり前」なのであろう。
しかし日本においては、その言葉は当てはまらない。日本においては99%がモンゴロイド民族でコメを食い、言葉も漢字圏で宗教と言えばお釈迦様を何となくリスペクトしているのが殆どで、無論のこと宗教対立や宗教戦争など存在しない。
過剰な格差が国民の間の疎外感に繋がっている弊害を、真剣に考える時期に来たと思える。