イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

同調せず違って良い 玄侑宗久師

2019-10-09 22:19:19 | 日記・エッセイ・コラム
 東京新聞(2019年10月5日)の記事、「令和 多様性の時代に」を読んだ。芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久師の一文だが感慨深く読んだ。
現役時代に、この言葉に似た反意語とでも言うべき「協調性」なる言葉が、軽々に職場の管理職者たちに寄って口にされていたからである。
 玄侑宗久師は『会社ではノルマの達成が至上命題で同調圧力に逆らえない。上からこれが正しいのだと与えられ、何も考えずに真似をするのは楽だ。そして全体主義がどんどん進む。そしてモノカルチャー(単一)化している。コミニュケーションは違うものに出会うことなのに、同調することだと思われている。』
40年前に入庁した公共事業の元職では、大げさな表現になるが政官業癒着が当たり前の状況であった。イワン・アサノウィッチは技術職で、担当業務は土地改良事業の工事を設計・積算をして発注し且つ工事現場の施工管理を行い竣工させて地元の土地改良区や農家に引き渡しをすることが業務内容だった。
今でも大して変わらないと言われそうだが、当時は政官業癒着ムラの存在は某県庁内の公共事業職場では当たり前のことであり、例えば発注工事の設計額は入札前から完全にゼネコン業者に漏れていて、談合も100%行われていたから入札通知をすると程なく業者の社長ないしは営業関係者が名刺を持って挨拶にくるのである。
『この度の工事は手前の方で頂くことになりましたので宜しくお願いいたします。』
入札も済んでいないのに、まるで契約者然とした態度であった。
その後の現場説明会や入札執行日は文字通りの儀式に過ぎず、また発注者側も当然視していた。当然ながら落札額は予定価格に対して殆どが99%以上であった。
それで「地元の経済が回って行くのであれば、それも有りか・・・」
 そこまではイワン・アサノウィッチも我慢できたのであるが、付随した話が続くのである。すなわち官と業の担当者レベルの癒着である。工事現場では厚い・寒いと言えば工事担当者と業者側の担当者は終業前から早々に料亭に引きこもり、業者持ちの一杯会が始まるのである。午前中の現場立ち合いであれば、昼食は業者持ちとなる。
盆暮の送り届けは度を越した金額の品物が一流デパートから送られて来る。
 イワン・アサノウィッチは、そんな悪習が嫌でたまらなかった。労組と相談して一切の悪弊を絶とうとして有志と共に立ち上がったが、ある管理職は業者との付き合いは「神聖なものである」と気色ばっていた。また好き者は隠れて業者との付き合いを続けていたりした。只酒・盆暮れの付け届け・歓楽街のトルコ代・etc。
そして、そんな時に「イワン・アサノウィッチは協調性が無い」と非難された。即ち皆ながやっていることなんだから「同調しろ」という圧力を掛けてくるのであった。
其のころから、県政与党の幹部にイワン・アサノウィッチは睨まれ、定年まで人事差別を受けるようになった。